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急な合宿編「次も
山合にひっそりと佇む合宿所の夜は、都会のそれとは比較にならないほど深く、重苦しい静寂に塗り潰されていた。
消灯時間をとうに過ぎ、古い木造の廊下を微かに照らすのは、数メートルおきに設置された、虫の羽音さえ聞こえそうなほど弱々しい保安灯の橙色だけ。
私はマネージャーとしての膨大な後片付けをようやく終え、軋む床の音に神経を尖らせながら、重い足取りで女子部屋へと向かっていた。
(……やっと、終わった。……早く、布団に入って……意識を消したい……)
昼間の練習中、コートの中から角名先輩に何度も、皮膚を焼き切るような「視線」で射抜かれ、セット間の給水のたびに、誰にも見えない位置で指先を絡められ、掌を執拗になぞられた。その緊張感と、彼から放たれる毒のような独占欲に晒され続け、私の心身はとうに限界を超えていた。
誰もいない、薄暗い廊下の角を曲がろうとした、まさにその瞬間だった。
(ガシッ……!)
音もなく、闇の中から伸びてきた大きな、熱い掌が、私の口元を強引に、容赦なく塞いだ。
悲鳴を上げる隙さえ、思考を巡らせる暇さえ与えられない。
そのまま背中を冷たく硬い壁に押し付けられ、視界が激しく火花を散らして回る。
鼻腔を暴力的に突いたのは、昼間の練習の残り香と、深夜の冷え切った空気に混じった、あの聞き覚えのある——清潔でいて、どこか狂おしいほどに熱を孕んだ、角名倫太郎の香り。
「……しっ。静かにして。……そんなに大きな声出して、誰かに見つかりたいの? 君は」
耳元で、鼓膜を直接震わせるような、低く掠れた、どこか愉悦を含んだ囁き。
暗闇に目が慣れてくると、そこには三白眼を細め、獲物を完璧に仕留めた後の、満ち足りた残酷さを浮かべた角名先輩が、至近距離で私を見下ろしていた。
「っ……、角名、……さん……っ。なんで、こんなところに……っ。練習、終わったはずじゃ……っ」
「なんでって、君がなかなか来ないから。……ずっとここで、君がこの角を曲がってくるのを、秒単位で数えながら待ってたんだけど。……遅すぎ」
角名さんは私の口からゆっくりと手を離すと、代わりに私の首筋、制服の襟をどんなに正しても隠しきれなくなっている、あのドス黒く残った「執着の痕」を、親指の腹でじりじりと、私の皮膚が悲鳴を上げて熱を持つまで、何度も、何度もなぞり始めた。
「……ねぇ、紬。今日の練習中、北さんと結構長く話してたよね。……俺、それ見てる間、ずーっと吐き気がするほど気分悪かったんだけど。……どうやって、俺のこの苛立ち、鎮めてくれるわけ?」
「あれは、明日のスケジュールの確認で……っ。離してください、誰か来たら……っ、大変なことに……っ」
「いいよ、誰か来れば。……その時は、君が夜中に俺を誘惑して、空き部屋に連れ込んだってことにしとくから。……誰も、君の言葉なんて信じないよ?」
角名さんは意地悪く、細い三白眼をさらに細めると、私の細い手首を、骨が軋むほどの暴力的な力で掴み上げ、すぐ隣にある、長年使われていない、埃を被った暗い空き部屋の引き戸を、音もなくスライドさせた。
「……っ、角名さん、だめ……っ、やめて……っ!」
「だめじゃないよ。……君、昨日電話で『夢でも俺に捕まってて』って囁いた時、すっごく可愛い、喘ぐみたいな声で返事したでしょ。……だから、現実(こっち)でも、ちゃんと一生逃げられないように捕まえに来てあげたんだよ。……感謝して?」
彼は抵抗する私の脆弱な体を、月明かりさえ届かない、暗闇の底へと放り込むようにして、力ずくで引きずり込んだ。
バタン、と絶望的なまでに静かに扉が閉まり、内側から鍵が「カチャリ」と掛けられた音が、この世の終わりを告げる鐘のように、私の脳内に重く響き渡った。
埃と、古びた畳の匂い、そして角名倫太郎の圧倒的な熱量だけが支配する密室。
そこは、外部からの助けも、理性の光も、一筋の慈悲も届かない——角名倫太郎だけの、絶対的な処刑場であり、愛の檻だった。