コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
出張二日目、私も拓真もそれぞれ順調に支社での役目を終えて、夕方一緒に帰路についた。新幹線の座席に落ち着くと、早速拓真が心配そうに訊ねる。
「太田さんから連絡は入ってた?」
「今朝とお昼ごろに、メッセージがたくさん入ってた。何時に帰って来るのかって。適当に返信はしておいたけど……。今夜会いに行くって、やっぱり書いてあったわ」
「そうか……。とりあえず、向こうに着いたら、真っすぐリッコに行くってことでいいんだね?」
「そうだけど、疲れているでしょう?私一人でも大丈夫だから、拓真君は帰っても大丈夫だよ」
「そんなわけにはいかないよ。もしもだめだってことになったら、困るでしょ?仮にホテルってことになっても、俺も一緒に手伝えるから。本当はもう諦めて、真っすぐうちに来てほしいんだけどね……」
ため息をつく拓真に私は首をすくめ、それから礼を言う。
「ごめんね。えっと、ありがとう」
「気にしないで。ひとまず落ち着く先が決まったら、この後のことも一緒に考えたいしね。ところでさ……」
拓真の瞳が柔らかく緩んだかと思ったら、私の手を握った。
「向こうに着くまでの間だけでいいいから、こうしていて」
周りの耳があるからなのは分かっていたが、顔の近くで囁くように言われてどきりとする。
「……うん」
私はためらいながら彼の手を握り返した。昨夜、彼とまた恋人同士に戻ることになりはしたが、太田のことが心に引っ掛かっていて、自分の方からはまだ素直に拓真に触れられないでいる。
早くこの状況を解決して、憂いなく自分の方から彼の手を求めたいーー。
駅に到着するまでの間、私はそんなことを思いながらずっと拓真と手をつないだままでいた。
到着を知らせるアナウンスが流れる。
私は離しがたい気持ちを抑えて、彼の手を解いた。その時ふと見上げた彼の目にも、私と同じ名残惜しげな色が浮かんでいた。嬉しかった。
ホームに降りて、私たちは並んで改札に向かう。
梨都子には今朝も改めて連絡を入れておいた。彼女からは、仕事が終わり次第店に行くからと返信があった。いつも通りであれば、恐らく九時過ぎには姿を現すはずで、それまではまだ時間がある。
「ご飯はリッコで食べようか」
「うん」
私たちは荷物を持ったまま、リッコに向かった。何度か拓真が荷物を持つと申し出てくれたが、たいして重くもないからと断りながら歩く。
ドアを開けると、池上の声が出迎えてくれた。私たちを見て驚いたように目を瞬かせる。
「あれ?碧ちゃん、拓真君と一緒だったんだな。梨都子から、碧ちゃんが誰かと一緒に行くからって聞いてたんだけど、その誰かって、拓真君のことだったのか」
私は曖昧に笑う。
「はい、そうです」
「同じ会社だって言ってたもんな。ん?」
池上が私たちの手元を見て首を傾げた。
「大荷物じゃないか。二人して出張にでも行ってたの?」
拓真が笑いながら答える。
「そうなんです。旅行だとか遊びなら良かったんですけどね」
「ははは、それはお疲れ様。荷物はこっちに置いておこうか?ほら、碧ちゃんのも貸して」
「すみません、お願いします」
池上は私たちの荷物を受け取ってから、拓真に向かって苦笑しながら言った。
「拓真君さぁ、一緒だったなら女の子の荷物くらい持ってやりなよ」
拓真が恨めしそうに私を見た。
「ほら、碧ちゃん。やっぱり俺が怒られた」
「だって、申し訳ないと思って……」
「ん?んんっ?」
私たちのやり取りを耳にして、池上が目を見開いた。私と拓真を交互に見て、不思議そうな顔をした。
「今の『碧ちゃん』っていう名前呼びは、何?いつの間にそんなに仲良くなったんだよ。この前来た時はそんなんじゃなかったよな」
「それはですね……」
拓真は私の顔をちらと見てから答えた。
「実は俺たち、学生時代付き合ってたんですよ」
池上の目が驚いたように見開かれた。
「それで、またつき合い出したってこと?」
拓真は私の顔を見て、確かめるような言い方をする。
「そういうことでいいのかな」
「その曖昧な言い方、気になるな」
ふむ、と考えるような目をする池上に、私は言った。
「池上さん、もう梨都子さんから聞いてますか?私が泊めていただきたいって言ってるってこと」
「え?泊める話?いや、まだ聞いてなかったけど……。なんかあったの?」
「えぇ、まぁ……。詳しい事情は梨都子さんが来たら話そうと思ってて。その時、改めて池上さんにもお願いしたいなって思ってたんです」
「事情?何か困ったことでも起きたのか?梨都子がいいんなら、俺は全然構わないよ。その話は後で聞かせてもらおう。それならテーブル席の方が落ち着くかな。今日はこの通り席はがらがらだから、好きな所に座って。ところで二人とも、晩飯は食べてきた?」
私と拓真は口々に言う。
「まだです」
「腹減ってます。ここで食べようって思ってたんで」
「それじゃあ、適当になんか出すね。ちょっと待ってて」
そう言って池上がカウンターの奥に引っ込んだのを見て、拓真は私を促し窓際のテーブル席へ足を向けた。それから当然のように、私の隣の席に腰を落ち着けた。
新幹線の中で手をつなぎ合っていた余韻か、彼と肩が軽く触れ合っただけでもどきどきする。
不思議そうに拓真が首を傾げた。
「どうかした?」
「あの、ちょっとだけ椅子、ずらしてもらえないかな」
「なんで?」
「だって、狭いから……」
すると拓真はにっと笑い、テーブルに肘をついて私の顔をのぞき込んだ。
「こんなもんでしょ?それに、夕べは一緒にくっついて寝たじゃないか。新幹線の中でだって……」
絶対に分かって言ってる――。
「だ、だからよ。緊張するの」
「今さらなのにな」
拓真は苦笑して椅子の位置をずらす。しかしよく見れば、たいして離れたわけでもない。
「拓真君、もうちょっとそっちに……」
「これくらいで我慢して?」
拓真の笑顔に、これ以上離れてもらうことを諦める。これ以上鼓動がうるさくならないように、クールダウンのつもりで窓の外を眺めていると、池上が料理などを運んできた。
「さっき聞き忘れた。飲み物はどうする?」
私は迷わずウーロン茶を注文した。この後に梨都子へのお願いが控えているし、お酒を飲みたいような気分でもなかった。
「俺もウーロン茶で」
「え?拓真君は飲んでもいいのよ」
「今日はそんな場合じゃないでしょ」
「別に少しくらい……」
「気にしなくていいって」
「でも……」
そんなことを言い合っていると、池上の声が割り込むように降ってきた。
「それで?二人ともウーロン茶でいいのかな?」
はっとして頷きながら見上げた池上は、にやにやしていた。
「仲いいねぇ」
「ふ、普通ですよ、普通。とにかく、飲み物はそれでお願いします」
照れ隠しに早口で言う私に、池上は愉快そうに笑った。
「オッケー」
戻って行く池上の背中を見ながら私は苦笑した。
「からかわれちゃった」
「仲のいい恋人同士に見えてるんだって思うと、俺は嬉しいよ。さてと、冷めないうちに頂こうか」
拓真は笑ってそう言うと、料理を小皿に取り分け始めた。
「はい、どうぞ」
目の前に料理を並べてくれる彼に、私は申し訳ない顔を向ける。
「ごめんなさい。気が利かなくて……」
「これくらい、なんてことないよ。ほら、あったかいうちに食べよう」
「うん」
拓真の傍で大口を開けるのは恥ずかしいと思いながらも、お腹がすいていた私はぱくりとパスタを口に入れる。懐かしいような見た目と味のナポリタンスパゲッティだ。
「おいしい……」
しみじみと言ってほうっとため息をつく私を、拓真はにこにこしながら見ている。
「あとでデザートも頼もうか」
「うん、いいね」
私もにっこりと笑い返す。こうやって拓真と他愛のない会話をしていると、自分が今置かれている状況をうっかり忘れてしまいそうになる。できることなら、このままこの問題が自然に解決されればいいのにと、現実逃避気味なことを考えてしまい、慌ててその考えを振り払う。
「碧ちゃん、大丈夫?」
私の表情の陰りに気づき、拓真は眉根を寄せる。
彼の心配を払うように私は明るい笑顔を見せた。
「なんでもないよ。あ、このサラダも美味しいね。アスパラガスと生ハムなのね。自分でも作れるかしら。ね、拓真君、ローストビーフかスペアリブも食べない?」
拓真が苦笑する。
「そんなに食べられるの?」
「大丈夫だよ。だって、拓真君も食べるでしょ?後で梨都子さんも来るし」
「よし、それなら追加しようか。あ、その前に、碧ちゃん。ソースがついてる」
「え、どこ?」
私が自分の指を伸ばすより早く、拓真の指が私の口元に伸びた。
そっと撫でられてどきっとする。
「た、拓真君……」
「ん、綺麗になった」
動揺している私の前で、彼はソースを拭い取った指先をなめる。
「き、綺麗になったって、言ってくれれば自分でやれたよ……。そ、それに、そんなのわざわざ舐めなくても……」
どもるように言う私に拓真は不思議そうな顔をし、それからくくっと笑う。
「味見したくて」
「あ、味見って……。たくさんあるんだから、こっちを食べればいいでしょ」
私は恥ずかしくなって拓真から目をそらし、次のスパゲッティを口に入れるためにフォークを動かす。
「ごめんごめん。なんだか碧ちゃんに触れ足りなくて。そんなに怒らないで」
拓真は悪びれることなく笑っている。
「べ、別に怒ってるわけじゃないから」
「本当に?」
「本当だってば」
傍からは、恋人同士がいちゃついているようにしか見えないだろう。それを照れ臭く思いながらサラダを口に入れた時、ドアベルの音が聞こえた。