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ヴァニティの放つ鋭い殺気を真正面から受け止めながらも、アクチュアリティは一歩も退かなかった。
白銀の髪が、静かな風にゆったりとなびく。
そして、その唇に浮かんでいたのは――恐怖でも威嚇でもない。
まるで全てを受け入れるかのような、甘く、不気味な微笑みだった。
「解体?」
アクチュアリティは首を傾げる。
「私を?」
ふふ、と小さく笑う。
「なんて愛らしい殺意なのかしら」
「……っ」
ヴァニティが包丁を振り上げた。
その瞬間。
アクチュアリティが細い指を一本、静かに立てる。
チチッ。
小さく舌を鳴らした。
次の瞬間――
世界が、歪んだ。
「……なに?」
ヴァニティの包丁が、空中でぴたりと止まった。
まるで透明なゼリーの中へ刃を突き込んだようだった。
押しても動かない。
引いても戻らない。
「ボクの動きを……止めたの?」
「いいえ」
アクチュアリティは微笑んだ。
「何も止めてはいないわ」
そして、ゆっくりとヴァニティへ歩み寄る。
「ただ、ここは私の領域――SWAPSAKEN」
その声は静かだった。
けれど、その一言一言が空間そのものに染み込んでいく。
「ここでは、あなたが知っているFORSAKENの常識も」
さらに一歩。
「命の在り方も」
さらに一歩。
「傷つくという意味さえも――私が決められるの」
ヴァニティの目が細くなる。
「……ふざけてる?」
「いいえ」
アクチュアリティは、すぐ目の前まで近づいた。
「とても真面目な話よ」
彼女の瞳には、獲物が捕食者を見る時の恐怖など存在していなかった。
むしろ――
その逆。
「ここでは、一方的に与えるだけの『屠殺』なんて成立しないの」
「……」
「傷つける者と、傷つけられる者」
アクチュアリティは楽しそうに微笑む。
「その二つは、いつだって等価なのよ」
「等価……?」
「ええ」
彼女は囁く。
「あなたが与えたものは、あなた自身にも返ってくる」
ヴァニティの朱色の瞳が、大きく見開かれた。
「さあ」
アクチュアリティは一歩下がる。
「私を切ってみなさい?」
挑発するように両腕を広げる。
「あなたの大切な包丁が、この世界でどこまで通用するのか――見せてちょうだい」
その余裕。
その笑顔。
まるで、ヴァニティの誇りそのものを面白がっているかのようだった。
「……」
ヴァニティの頬が引きつる。
「……ボクを、馬鹿にしてる?」
「さあ。どうかしら?」
その瞬間。
「――ふざけるなッ!!」
ヴァニティが強引に包丁を振り抜いた。
空間を覆っていた見えない抵抗が弾ける。
「ボクの調理を……!」
一歩。
「ボクの愛の精密さを……!」
さらに一歩。
「侮るなぁッ!!」
ヴァニティはそのまま、白銀の追撃場へと駆け出していった。
今の彼女に必要なのは、考えることではなかった。
ただ、この胸の中で煮え立つ苛立ちを消すこと。
そのためには――
「……食材を探さなきゃ」
白銀の廃墟を駆け抜ける。
やがて、物陰に隠れているサバイバーの姿が見えた。
「見つけた」
ヴァニティの表情が変わる。
獲物を見つけた料理人の顔。
「今度こそ――」
包丁を構える。
完璧な距離。
完璧な角度。
完璧なタイミング。
「いただきます」
一閃。
――シュン。
確かな手応えを感じた。
はずだった。
「……え?」
ヴァニティが目を見開く。
目の前のサバイバーに、彼女が想像していたような反応は起こらない。
傷の代わりに、淡い光がふわりと舞った。
まるで花びらのように。
サバイバー自身も何が起きたのか分からないように目を瞬かせ――
「……なんだろう」
不思議そうに呟いた。
そして、そのまま走り去っていく。
「……」
ヴァニティは固まった。
「……待って」
サバイバーは振り返らない。
「待ってよ」
それでも走っていく。
「なんで……?」
ヴァニティは自分の包丁を見る。
刃は確かに相手を捉えた。
狙いも完璧だった。
なのに――
「なんで血が出ないの!?」
声が白銀の廃墟に響き渡る。
「おかしいでしょ!?」
もう一度、包丁を振る。
シュン。
また光が舞う。
「違う!」
さらに振る。
シュン。
また光。
「違う違う違う!!」
ヴァニティの呼吸が荒くなる。
彼女がどれだけ完璧に狙っても。
どれだけ正確に刃を振るっても。
この世界では、その結果が彼女の望むものにならない。
恐怖が生まれない。
絶望が残らない。
そして何より――
「作品にならない……」
ヴァニティの手が震えた。
「こんなの……料理じゃない」
彼女にとって、血も恐怖も絶望も、すべて意味があった。
それらが積み重なって初めて、最後の一皿が完成する。
なのに。
ここでは何も残らない。
すべてが白い光へと変わってしまう。
「……命を、無駄にするな」
ヴァニティが呟く。
「ちゃんと……仕上がってよ」
誰に言っているのか、自分でも分からない。
「ボクが、完璧にしてあげるから……」
声が震える。
「ちゃんと、怖がってよ……」
包丁を握る手に力が入る。
「ちゃんと、絶望してよ……!」
そして最後には――
「ちゃんと……ボクの作品になってよ……!」
返ってくるのは、静寂だけだった。
ヴァニティはその場に立ち尽くす。
「……ボクの料理が」
黒い瞳が揺れる。
「ボクの作品が……」
その瞳に、初めて涙が浮かんだ。
「こんな……意味のない光に……」
完璧なはずだった。
誰よりも正確で。
誰よりも美しく。
誰よりも恐ろしい。
それが、ヴァニティという捕食者の誇りだった。
なのに――
この世界では、その誇りすら通用しない。
「……嫌だ」
小さな声。
「こんなの……嫌だ……」
その背後から。
コツ。
コツ。
コツ。
ゆっくりと足音が近づいてくる。
けれど、ヴァニティは気づかなかった。
今まで一度たりとも揺らぐことのなかった自分の美学が、音を立てて崩れていくことに放心していた。
そして、その背後には――
白銀の髪を揺らしながら。
アクチュアリティが、楽しそうに微笑んで立っていた。
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