(やだっ、どうしよう!)
台所を通るとき、くるみは団子をこねるときに使ったボールや、茹でるときに使った鍋などが汚れたまま流しに置きっぱなしになっていることに気が付いた。
幸い実篤はまだ気付いていないみたいだけど、きっと見られてしまうのも時間の問題だ。
(辛気臭いのは嫌かなぁ思うて仏間を避けるルートを選んでしもうたけど……)
こんなことなら仏間を通過する順路にすれば良かったと思ってしまったくるみだ。
でも、自分自身両親の写真を見るとまだウルッと来てしまう。
ましてや自分にとてもよくしてくれる実篤の前。
つい気が緩んで泣いてしまわないという保証はなかったから。
だから台所ルートが正解だと思ったのだけど。
(もぉ、うちのバカっ。何で先にお団子の飾り付けしちゃったの!)
存外うまくピラミッド状に団子を積み上げるのに手間取ってしまった。
お陰で実篤が訪れるまでに洗い物まで手が回らなかったのだ。
団子を夢中になって並べている間に洗い物のことをすっかり失念してしまったのも敗因だ。
こんなことなら盛り付けは実篤と一緒にワイワイ言いながらした方が良かったかもしれない。――が、今更思ったところで後の祭り。
(実篤さんに片付けが出来ん子じゃって思われるんは嫌……!)
何となく実篤にはそういうダメな部分を見せたくないと思ってしまった。
それで、くるみは実篤に目をつぶるようにお願いしてしまった訳だけど。
思わず考えなしに実篤の手を握ったら、何故か指を絡めるように握り返されて――。
途端ドキン!と心臓が飛び跳ねて、くるみは驚いてしまった。
(何なん、これ――)
実篤のことは優しいお兄さん、という認識だった。
初めて実篤と出会った日。変な男性に絡まれて危ないところを助けてもらった時には、「何て頼もしい人なんじゃろう!」と感激して。
両親を亡くしてからこっち、くるみはずっと一人で頑張らないといけない、と思っていたから。
自分を庇ってくれる存在が現れたことが、心の底から嬉しくて、実篤の存在が頼もしく感じられたのだ。
その実篤が、祭りでのトラブルをきっかけに自分のことを気にかけてくれるようになったことも、優しいお兄ちゃんが出来たみたいでワクワクしたくるみだ。
一人っ子だったくるみは、元々兄弟姉妹に憧れていて。
何故かくるみのことを本当の妹みたく無条件に甘えさせてくれる実篤に、ついつい頼りまくってしまった。
お兄ちゃんみたいな存在の実篤と、何と言うことのないメッセージのやり取りをするのもとても楽しかった。
そんな、兄のように慕っている実篤に、パン屋とは関係なく、プライベートで自分が作ったものを食べてもらいたいと思ったのは、きっと必然だ。
両親が健在の時は、くるみが作ったパンやお菓子を二人によく食べてもらっていた。
「くるみはホンマに料理が上手じゃね」
父や母に褒められて、頭を撫でられるのがくすぐったくて、照れ臭くて……でも温かくて大好きだった。
実篤なら、またくるみにそんな時間をくれる気がして。
十五夜にかこつけて、くるみが実篤をお月見に誘ったのは、そういう経緯だったのだけれど――。
***
ギュッと実篤から指を絡められた瞬間、心臓が大きくトクン!と跳ね上がって、くるみは(何これ、何これ。こんなん家族には感じんよ?)と内心物凄いパニックに陥ったのだ。
実篤はくるみの手を握ったまま全然目を閉じてくれないし……真っ赤になっているのを見られてしまう!と思ったくるみは、柄にもなく焦ってしまった。
「目っ!」
と指摘して、何とか実篤に目を閉じてもらったのだけど――。
今度は実篤の閉じられたまぶたの、まつ毛が思いのほか長いことに気付かされてドキドキしてしまう。
(実篤さん、かっこいい……)
思わずそう思ってしまって、実篤のことをお兄ちゃんだと思って接していた時には決して芽生えなかったその感情に、くるみ自身驚いた。
自分の感情を確かめたくて、実篤が目を閉じているのを良いことに背伸びして間近でじっと実篤の顔を見ていたら――。
(キスしちゃいたい……)
そんなことを思ってしまった。
(うち、実篤さんのこと、好きなん?)
今更のように自分の想いに気づいてしまった。
目の前の実篤も、自分のことを憎からず思ってくれている気がするのは自惚れだろうか。
二人きりで室内にいるのに襲いかかってくるような素振りがないのは、実篤がくるみのことを妹のように可愛く思っているからなのか、それとも自制心を総動員してくれているのか。
後者じゃったらええな、とか色々考えていたら、何だか実篤の気持ちを知りたくなってしまったくるみだ。
(このままうちがキスしたら、実篤さん、どんな反応するんじゃろ?)
そんな小悪魔なことを考えていたら、
「あ、あの……くるみちゃん?」
実篤に声を掛けられて、ビクッと身体が飛び跳ねてしまった。
(うち、何ちゅう大胆なことを……)
元々思い立ったらアレコレ動いてしまう方ではあるけれど、それにしたって自分から男性を襲おうとするなんて、さすがにありえんじゃろ!と自分で自分が恥ずかしくなった。
実篤の手を握ったままのくせに、何処かへ走り去ってしまいたい衝動にかられて、彼の手を引いたまま無意識に小走りになったら、背後から
「ちょっ、くるみちゃん、俺、目ぇつぶっちょるけん、結構怖いんじゃけどぉ〜!」
と情けない声で呼びかけられて。
(あ〜、ホンマこの人、凄く可愛いくて堪らんのじゃけど!)
と、胸がキュンキュンのくるみだった。
***
一度は解いたはずの手を、再度実篤にギュッと握られた上に見詰められて。
つい何の脈絡もなく「月が綺麗ですね」なんて昔の文豪の言葉を借りて愛の言葉を囁いてみたのだって、そうやってどうにか吐き出してしまわないと、気持ちが溢れて止まらなくなりそうだったから。
ああ、でもまさかっ!
実篤がその言葉の意味を正確に受け取ってしまうだなんて、くるみには全くもって想定外だった。
でも、考えてみれば文豪の名前を付けられているような男なのだ。
分からない方がおかしかったではないか。
「月が綺麗ですね」
――あなたのことを愛しています。
「くるみちゃんと見る月じゃけぇ」
――キミとおると幸せじゃけぇずっと一緒におりたい。
実篤からの返しをそう解釈してしまっていいものかどうか戸惑ってビクッと震えて彼を見上げたら、実篤が「キミのことが好きなんよ。もし嫌じゃなかったら、俺の彼女になってくれん?」とより直接的で明確な言葉をくれた。
くるみは、嬉しくて嬉しくてたまらなかったのだ。気が付いたら感極まって涙がポロリと落ちてしまうくらいに。
そんな、満月の夜の――。
実篤は出来事の全貌を知らない、くるみの心の中だけのこぼれ話。
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