一方その頃――。
ペイン家の紋章旗がはためくペイン邸の前庭に、二台の馬車が滑り込んだ。
黒髪の美丈夫――セレン・アルディス・ノアールが下り立つと、石畳の片隅で水桶を抱えた少女が立ち止まった。
墨色の睫毛、少し肌荒れの目立つ頬、ほつれ毛の多い黒髪、お仕着せの粗末なメイド服に洗いざらしの前掛け。リリアンナのひとつ年下の従妹、ダフネ・エレノア・ウールウォードだ。
ダフネの瞳が、セレンの黒髪と紅のような瞳を映して、瞬きを忘れる。
その配色は、自分とまったく同じなのに、何故あんなにも彼は美しいんだろう。
この屋敷の領主ウィリアム・リー・ペインも相当な美貌の持ち主だが、彼の金色の瞳は何だかいつも自分を監視している猛禽類の目みたいで、どうにも落ち着かない。
だが、見たことのないその青年の赤い瞳から注がれるやわらかな眼差しは、どこまでも穏やかで……まるで春の日差しのようだった。
「……あの」
何の考えもなく声を掛けてしまって彼に見つめられたダフネは、あまりに美しい|顔《かんばせ》に、緊張して肩を振るわせた。
手にした桶の中で、水面が揺れて光が跳ねる。
青年は、春風駘蕩とした雰囲気を漂わせているのに、その所作からはそう〝易々と馴れ合ってはいけないような高貴さ〟が滲んでいた。
「はじめまして。キミはこちらの使用人 のかたですか? 僕は……セレン・アルディス・ノアール。しばらくの間、こちらでお世話になります。――よろしくね?」
「あ、はい。こちらこそ……よろしくお願いいたします」
幸いにして、いつもダフネを見張っている――ように見える――ここの領主・ウィリアムは、荷馬車の方で荷下ろしの手配をしていてこちらの様子には気付いていない。
ダフネはドキドキしながらセレンの肩越しにウィリアムの様子を窺った。
「あ、ごめんね。お仕事の手を止めさせてしまったね」
「い、いえっ! あの、その……っ。わ、私!」
「――?」
穏やかな眼差しで優しく見つめられ、ダフネの頬がぽわりと熱くなる。
「ダフネ……。ダフネ・エレノア・ウールウォードと申します……!」
言ってから、舌を噛みそうになったのを悟られませんように、と……胸がぎゅっと縮む。
だけどそれ以上に――なんとなく、目の前の美しい青年に、自分の名を覚えて欲しいと思ってしまった。
だが――。
ダフネが名乗った途端、セレン……と自己紹介してくれた青年の瞳が見開かれる。
「ウールウォード?」
「……はい」
ダフネ、の方を覚えて欲しいのに何故か家名の方に興味を示されてしまって、ダフネは少しだけ面白くないと思ってしまった。
それが声に出てしまって、セレンが申し訳なさそうに眉根を寄せる。
「ごめんね。実は……僕の知り合いにも同じ名前の女性がいて……」
言いながら、セレンは説明の続きを口にしなかった。
セレンの言葉に、ダフネがピクリと眉尻を跳ねさせたと同時、
「セレン卿?」
荷ほどきの采配を終えたんだろう。
ウィリアムが近付いてきた。
ダフネは監視者の接近に慌てて水桶を持つ手に力を込め直すと、
「し、失礼しますっ」
言って、ぺこりと頭を下げて、その場をそそくさと後にする。
頭を下げた際にパシャリと撥ねた水が粗末な靴に覆われた足元を濡らしたけれど、そんなことにも頓着できないくらい、ダフネの脳内には先ほどセレンが告げた、〝自分と同じ名を持つ女性〟のことが渦巻いていた。
(私と同じ名前の子……)
ダフネの胸中には、四年前に自分たち家族を不幸のどん底へ叩き落として王都から姿を消した、リリアンナ・オブ・ウールウォードの姿が浮かんでいた――。
コメント
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ダフネー!!!!!