夕刻。
ウールウォード邸は久々の来客――主人とその後見人――へのもてなしの支度で静かに忙しく、廊下には新しい絨毯の毛並みが柔らかい影を落としていた。
ランディリックはラウ執事をウールウォード邸内にある執務室へ呼び、扉を閉める。
「……ラウ。お前は昔のリリアンナの部屋を知っているんだったね?」
「はい」
「カーテンは……どんな色だった?」
唐突な問いに、ラウは一瞬きょとんとしたが、すぐに懐かしげに目を細めた。
「淡い桃色でございました。ピンク色のチュリーヌの花びらを思わせる色で、春になると窓を開けてよくひらひら揺れるカーテン越しの明かりが好きだと笑っておられました」
「……そうか」
短くそれだけ答えると、ランディリックは何かを思案するように顎へ手を添えた。
「ラウ、頼みがある」
ラウはランディリックの指示に瞳を見開くと、どこか得心した風に小さく微笑んで、「仰せのままに――」と静かに一礼して下がっていった。
ひとり残されたランディリックは、机に向かい、便箋を一枚広げる。
鋼鉄のペン先が、紙をかすめる音だけが室内に響いた。
あて先はニンルシーラ領の自邸ヴァン・エルダール城の執事・セドリック宛。
細かく書かれた指示書には、〝チュリーヌ〟の文字があった。
***
夜――。
王都エスパハレの街に、遠い鐘が時を打つ。
ウールウォード邸のバルコニーで、リリアンナは手すりに指を添え、ひとつ息をついた。
見上げる空に散らばる星空は、ヴァン・エルダール城の上空にあるものよりもほんの少しだけ薄く見えた。
きっと街がニンルシーラよりも気持ち明るいのだ。
そこかしこにぼんやりと浮かんで見えるのは、等間隔に配されたガス灯の火だろう。
今は暗くて見えないけれど、昼間庭師ベルトンの案内で、ランディリックとともに見たチュリーヌの花たちは、恐らく夜の闇の中でギュッと花弁を閉ざしてうなだれているはずだ。昼間はお日様に向かって目一杯背伸びをして花弁を広げるチュリーヌの花は、夜にはギュッと身を縮こまらせるのを経験からリリアンナは知っていた。
(……明日)
明日から、社交界参加へ向けての準備が本格的に始まる。
ほぅっと小さく吐息を落としたと同時、部屋の扉をノックする音がした。
「リリー、いいかな?」
ランディリックだ。
その声にリリアンナは「開いてるわ」と答える。
ヴァン・エルダール城の、二人の部屋の間を繋ぐ内扉のようにここの表扉には施錠なんてしていない。
そもそもリリアンナが幼い頃使っていた子供部屋なのだ。元より鍵なんてかからない。
ガチャリと扉が開いて、バルコニーに立つリリアンナの横に、静かな気配が寄り添った。
「ニンルシーラほどじゃないが、ここだって夜は冷える。せめて上着を――」
ランディリックがリリアンナの肩へ、ふわりと外套を羽織らせてくれる。その温もりが、昼間よりも近く感じられて、なんだか胸がくすぐったくなる。
「ありがとう。……ランディ」
言葉はそこまで。あとは並んで、しばらく王都の星を見上げた。
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