テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
さつまいも

130
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「パティシエさん! 今すぐ厨房にある『重曹』と、メニューにある『あずき茶』を持ってきて! それと、保冷剤を全部!」
私の怒号に、パティシエが弾かれたように動いた。
救急車が到着するまで、あと数分。
その空白時間を埋められるのは、この場にいる誰でもない。成分の『相克』を見抜いた、私だけ。
「おねえちゃん、何するの……?」
「占術師が一番嫌うのはね、計算が合わないことなの。ボクの善意が毒になったなら、私の執念でそれを『薬』に書き換える」
火の暴走を止めるには、土だ。医学的に言えば、血中に溢れたカルシウム成分を『土』の属性を持つカリウムで拮抗させ、心臓のパニックを鎮める。
私は、重曹を溶かした水で老紳士の口内を清拭《せいしき》し、首筋を氷で急冷させた。
リキュールのアルコール(火)と柑橘(木)によって異常加速した強心剤の効能を、物理的な冷却と、解毒を司る『土』の属性――あずき茶のサポニンとカリウムで中和し、強制的に代謝を促す。
「……戻って、命の炎!」
私はドレスが汚れるのも構わず、正確なリズムで胸骨圧迫を開始した。
一回、二回。
私の占術的計算によれば、まだこの人の魂は肉体を離れていない。
三回、四回――。
「……カハッ、ウッ!」
老紳士の喉が大きく波打ち、どす黒かった顔色に微かな赤みが戻った。その瞬間、店外にパトカーと救急車の重なり合うサイレンが鳴り響く。
「……ふぅ。これで、計算通りね」
私は立ち上がり、乱れたドレスを整えた。
数分後、隊員たちに運ばれていく老紳士の指先が、少年の手を弱々しく握り返した。
救急隊員が「完璧な応急処置だ」と驚く声を背に、私は……すっかり酸化して色あせた『和栗モンブラン【極み】』を、この世の終わりを見るような目で見つめた。
「結局、私のモンブランは救えなかったわ……」
悪意を持った犯人なんて、どこにもいなかった。
あるのは、不運な『相克』と、救護のために踏み荒らされた店内。そして、賞味期限を数分過ぎ、無残にも乾燥しきった栗ペーストの残骸だけ。
私の至高のティータイムは、一滴の毒も介さず、ただの『事故』として崩れ去ったのだ。
「あの、お客様……。本当に、ありがとうございました。あなたのおかげで、取り返しのつかないことにならずに済みました」
涙を拭ったパティシエが、私の前に小さな紙袋を差し出した。
「お礼と言ってはなんですが……モンブランと同じ最高級の和栗ペーストを練り込んだ、焼き立てのパウンドケーキです。どうか、これでお許しを……」
私は無言でそれを受け取った。袋から漏れる、芳醇《ほうじゅん》な栗とバターの香り。
悪くない。
限定モンブランには及ばないけれど、今日の『吉』の落とし所はこれだったのか。
「おねぇちゃん、良かったね」
少年が微笑んでいる。まさか、私のパウンドケーキを狙っているのか――?
「ボク、私の観相学によると、将来、大物になるわよ」
「乾燥?」
私は少年の頭を撫で、颯爽と店を後にした。
「さあ、帰るわよ! 私の『奇門遁甲』によれば、次の『絶品』は、もう駅前のデパ地下に現れている計算なんだから」
誰にともなく、私は空に向かって叫んだ。