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――なぜ、なぜなの?!
部屋に一人取り残されたシルヴィーは、マルスの使っていたワイングラスを床に叩きつけた。
散らばったガラスの破片が、ランプの灯りでキラキラと鋭利に光っている。
「いえ、落ち着くのよ。別にあの男にこの力が効かなかったからといって、なんの不都合もないわ」
シルヴィーは自分のグラスにワインを注いでから、ソファへと座り直した。
魅了の力。
2枚目の羽根を使い得たこの力の威力は、想像以上だった。
意中の男性を落とすくらいの力だと思っていたが、男という男を虜にし甘い言葉を吐けば意のままに操ることができた。
だから侯爵家に恥をかかせたと騒ぐ貴族に会っては魅了し、黙らせてきたおかげで異論を唱える者は殆どいない。
この世の女性の頂点に立ちたい。
もともとシルヴィーは、王太子妃になる為この力を手に入れたのだった。
王太子だけではなく、王も、家臣も、貴族も、民意もこれで手中に収めたも同じ。
同性には効果がないのが残念なところではあるが、重要な役職に就いて国を動かし世を動かしているのは主に男性。十分だ。
この力を得てからというものシルヴィーは、夜毎男を誘っては淫楽に耽った。
これまでずっと、穢れを知らない清らかな女性を演じるために我慢してきたのだから、このくらいは許されてもいいと思う。
大体、エメリアが王太子妃になろうとしていたことが間違いなのだ。
容姿はそれなりだが性格はどぎつく、聖力はシルヴィーの方が上。エメリアがシルヴィーより優れているところなど、出自しかない。
侯爵家の娘というだけで、シルヴィーが欲しいその座に着くなんて絶対に許せない。
昔シルヴィーが聖堂へと連れられてきた時、自分より聖力が強いと知ったエメリアの悔しがりようは、今思い出しても笑えてくる。侯爵令嬢にしてNo. 1の聖力を自慢していた彼女の鼻っ柱をへし折ってやったあの快感といったら……!
歳下で身分も低かったシルヴィーに『様』付けせざるをえなくなったエメリア。彼女に名を呼ばれる度に優越感を味わいゾクゾクとした。
だからこそ許せないのだ。
王太子妃、ゆくゆくは王妃としてシルヴィーの前に立ち、あの女がふんぞり返る様を見るのは。
シルヴィーはチェストの引き出しを開けると、日中いつも首からかけているロケットペンダントを手に取った。
大きめで精巧な作りのロケットを開けると、中から出てきたのは真っ黒な一枚の羽根。
無理矢理ロケットの中にねじ込んでいたにもかかわらず、出すと折れ曲がったりクセがついたりすることもなく、もらった時の姿のまま。
シルヴィーがこの羽根を手に入れたのは5年前。
浄化のためにアルチュセール家が治める伯爵領へ訪れた時だった。
エメリアよりも優れた聖力を持つシルヴィーは、その優越感に浸り初めてまだ間もなかった。それなのに浄化先にいたのはあの女――ティナーシェ・アルチュセールだ。彼女は一瞬にして瘴気を浄化し、触れてもいない周りの人々を癒してみせた。
シルヴィーは目の前でティナーシェが力を使うところを見ていたわけでは無かったが、その聖力があたり一体の地を駆け巡っていったのは体感している。
間違いない。この女は私よりも優れている。それも、圧倒的に。
手に入れた大聖女の称号。それを失うにはあまりにも早すぎる。
これから訪れるはずだった輝かしく、華々しい未来。
思い描いていた自分の未来にほんの微かな翳りが出たことで、シルヴィーの心に魔がさした。
もともと敬虔な信者だったわけではない。
たまたま聖力が宿っていただけで、祈りを捧げたことなど数えるくらいにしかしてこなかった。
聖堂に来てから毎日礼拝を行うのは、ただの義務。毎日繰り返されるルーティーンに過ぎない。
だから禁忌を犯すことにさほど躊躇いはなかった。
小さな食堂を営む夫婦の娘に過ぎなかったシルヴィーは、貧民との距離も近かった。
食堂の裏で食べ残しのゴミを漁る奴らが、似つかわしくもない重厚な本を持っていたので尋ねると、拾ったから後で本屋に売りに行くのだと言う。布張りの表紙が見事だったからか、その本を無性に欲しくなったシルヴィーは両親にゴミを漁っていることを言わない代わりにその本を欲しいと言った。そして追加でパンをいくつかやると、本はシルヴィーのものとなった。
本を開いてみるとそれは、ユリセス教について書かれているもので、そこに悪魔召喚のための手順も記されていた。
陣の書き方も手順も全て頭に入っていたシルヴィーは、ティナーシェを連れて帰る道中で、夜中にこっそりと抜け出し悪魔を呼び出した。
現れた悪魔はシルヴィーを気に入り、3枚の羽根をくれた。
契約を結べば使い方は自ずと分かると言っていた通り、悪魔がシルヴィーの上着を引きちぎり胸元に口付けをすると、不思議と羽根の使用法や契約についても分かるようになった。
その後はもう簡単。
一枚目の羽根を燃やしながら、欲しい力を唱えればいい。
『この世で最も優れた聖力を持つ聖女。そのための力を』
もとから宿る聖力の強さを悪魔の力で変えることはできない。だからシルヴィーの力がティナーシェより勝るようになったのではなく、ティナーシェの力が押さえ込まれた。内包する聖力を外へ出さない、という形で。
結果ティナーシェは『落ちこぼれ聖女』と呼ばれ、蔑まされる対象となったが、シルヴィーの心は全く傷まなかった。
だって、伯爵家の娘で歴代最強の聖力など出来過ぎている。
伯爵令嬢というだけでも恵まれているのに、更なる幸運を手に入れるなんて。
だから見ていて気持ちがよかった。
さらにシルヴィーがティナーシェに親切にすることによって、自分自身の評価が上がることにも貢献してくれた。
これ以上可笑しいことがあるだろうか?
「自分を慕う人に裏でこっそりと裏切られたら、あの女がどんな顔をするのか見てやりたかったのに」
ちっと舌打ちしてからシルヴィーは、羽根をロケットに捩じ込んでしまった。
どういう訳だか、マルスに魅了の力は効かなかった。
中身は酷いが、見た目は王太子よりもずっといい。楽しめるものだと期待していただけに力が効かなかった事が少々惜しい。
「まぁいいわ。男なら他にもいるしね」
割れたグラスを片付けさせるために神女を呼んだシルヴィーは、次は誰と遊ぼうかと、ガラス片を拾う神女を眺めながら思案した。
マルスが力のことをなぜ知っているのか疑問に思うべきだったのに、この時のシルヴィーは酔っていたのか、それとも予想外の展開に驚いたせいなのか、いつもより少々軽薄であったことに本人は気が付かなかった。