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小さな声で店員にそう伝える様子に、涼ちゃんの顔を見てみるが、聞こえているような素振りはない。それなりにお酒に強い涼ちゃんが酔っていたのにはこんな理由があったとは。
「滉斗!」
呼ばれた名前にはっ、として涼ちゃんを見るが特に変わった様子はない。困惑すると同時に、隣から肩を叩かれた。
「ねえ、無視〜?もう酔っちゃった?」
どうやら名前を呼んだのは金髪の彼女のようで、いつも涼ちゃんに呼ばれている名前だからか勝手に勘違いをしてしまっていた。こんなの気付かれたら恥ずかしい、なんて思いながら彼女と話そうと思った時、一瞬涼ちゃんと目が合った気がした。
「こちらレモンサワーでーす。」
「ありがとうございまーす。レモンサワー頼んだの誰〜?」
丁度彼女と俺の間くらいに店員さんがレモンサワーを持ってきた。グラスを受け取った彼女が声掛けをすると、涼ちゃんの隣にいた女性が直ぐに声をあげた。
「あ、私です!」
「ん、はいどーぞ。」
「…ありがとうございます。」
手渡されたグラスを受け取った女性が小さく感謝を呟き、涼ちゃんに渡そうとした時、事件が起こった。
「あ、ありがと、っ!?」
涼ちゃんがグラスを受け取ろうとした直後、女性が手を滑らせてしまった。手の中から滑りおちたグラスは、中身を零れ落としながら床へと鋭い音を立てて割れ散る。
「ぁ、す、すみません。ど、どうすれば……。」
その場にいた全員の注目を一斉に浴びた女性は、明らかに動揺でパニックになっている。そんな女性を窘めるような涼ちゃんの穏やかな声が空間に響いた。
「大丈夫だよ。あ、すみません。何か拭くもの貰っていいですか?」
「か、かしこまりました。お怪我はございませんか!?」
「僕は大丈夫だけど…。大丈夫?怪我してない?」
優しい問いかけに、小さく女性が頷く。
「彼女も大丈夫そうです。ちょっと御手洗お借りしますね。」
そんな様子に安心したような笑みを向けて、席を後にする彼の背中が遠くなっていく。席を立ち上がった時に気がついたが、かなりズボンや服が濡れていた。着替えもないのにどうするんだろう、なんて考えながら勝手に身体が涼ちゃんの背中を追いかけていた。
「涼ちゃ、」
涼ちゃんが男子トイレの入口に入ろうとした時、声をかけようとしたが別の女性に邪魔をされてしまった。ちょうど女子トイレから出てきた黒髪の女性が涼ちゃんに絡み出したのだ。困ったように眉を下げる涼ちゃんの表情から到底知り合いとは思えない。
「ねー、お兄さん!私って結構良い女じゃない!?」
「はあ……そうだと思いますよ。」
「えっ!それってもう告白じゃない!?ってか、お兄さん結構筋肉ある〜!」
女性のノリが、酔っ払い特有のそれだった。告白、なんて意味のわからない言葉を発した後に涼ちゃんの身体を執拗に触り始めた。困った表情のまま好き勝手にされている様子に、咄嗟に身体が動いてしまう。
「あの、俺の恋人なんで勝手に触んないで貰えます?」
「、!?若井!?」
久しぶりに名前を呼ばれた。下の名前ではなく上の名前で呼ばれると何だか少しだけ寂しくなってしまう。完全に涼ちゃんに毒されてるな、なんて心の中で自分に微笑する。
「あ……すみません。」
思っていたよりも呆気なく去っていく女性に、2人だけになった場に沈黙が訪れてしまう。トイレの前で成人男性が2人で黙り込んでいる状況も変で、勇気を出して言葉を発する。
「ごめん、恋人とか言って。」
何を言えばいいか分からなくて言葉がたどたどしくなってしまう。下を俯いたまま言葉を返さない涼ちゃんに更に気まずくなり、その場を去ろうとした時、控えめに手を引かれた。
「……恋人がいい。」
小さく呟かれた言葉に視界が揺れる。聞き間違いかと思い慌てて振り向くが、頬を真っ赤に染めた涼ちゃんに間違いとは思えなかった。
「で、でも。涼ちゃんもう恋人居るんじゃないの?」
てっきりもう新しい恋人がいるのかと思っていた。恐らく元貴と一緒に色んな場に連れ回されているだろうし、できていてもおかしくはない。投げかけた率直な疑問に、涼ちゃんの潤んだ大きな瞳が細められた。
「それは若井でしょ。」
いつ間にバレていたのか、痛いところを突かれて言葉を詰まらせてしまう。恋人が居たとはいえ、涼ちゃんの代わりにはならなかったし、心に空いていた隙間も一切埋められなかった。
「……寂しかったから。」
「ふーん…若井は寂しかったら浮気するんだ。」
悪戯気にはにかみながらそういう涼ちゃんに何も返せなかった。涼ちゃんは笑いながら言っているが、どこか瞳の奥に切なさを感じた。傷ついた時に笑って誤魔化すのもいつもの癖だ。分かっていた。こんなにも涼ちゃんを分かっているのに。
「涼ちゃんが大切だって、分かんなかった。」
そう自然と口から零れ落ちた言葉が自分でも驚くほどに震えていて、弱々しかった。いつの間にか流れていた涙が床に落ちていく。
「…大切なものは失ってから気付くんだって。」
優しく抱き締めてくれた涼ちゃんから発せられる声が落ち着く。
「僕たちに、失うとかないと思ってたけど…」
不自然に言葉を途切れさせた涼ちゃんの顔を見れば、酷く傷付いた表情をしていた。
「……ごめん。」
「…はい!!もうおしまい!ずっと引きずってたってしょうがないの!」
暖かい涼ちゃんの身体が離れていく。あと少しだけ、なんて思ってしまったが言葉にはしなかった。
「…ちょっと外出ない?」
まだ君と2人で居たくて、つい誘ってしまう。一瞬見開かれた瞳は、少しの迷いを見せた後に、緩く浮かべた笑みによって細められた。
「うん、いいよ。」
「僕は、若井の思ってること分かんないよ。」
店の外に出るや否や、濡れたジャケットを脱ぎながらそう発する涼ちゃんの様子が何かと重なった。
「……前にも言われた。」
「え?言ったっけ?」
前の彼女、と言うと涼ちゃんの眉が不機嫌に顰められた。うっかりとこぼれた言葉に謝ろうとしたが、涼ちゃんの言葉に遮られてしまう。
「分かる人なんて居ないから。」
何だか否定された気分で、自然と涼ちゃんの表情を伺ってしまう。
「若井だって僕の思ってることわかんないよ?」
「分かるよ。」
言い切るような口調に、つい強く返してしまう。そんな様子に、微笑みながら歩み寄ってきた君の手のひらが両頬を包み込む。
「分かろうとしても分からないんだよ。」
ただひたすらに意味が理解できなかった。今までだって、涼ちゃんの思ってることを当てたり、やりたいことを当てたりすることが出来た。それは涼ちゃんだって同じだ。だから分かっている。分かっているけれど、真っ直ぐと向けられた君の瞳に口を開けなかった。
「…僕が今何言おうとしてるか分かる?」
突然投げかけられた疑問を頭の中で考える。改めてそう聞かれると上手く答えが浮かばない。
「分かんない…。」
涼ちゃんの言いたかったことはこれか、と思った。だけど、そんな考えは直ぐに打ち消された。
「僕も若井が考えてること分かんない。けど、分かろうとするんじゃなくて感じることなら出来る。」
感じる、という言葉の響きを咀嚼する。確かに分かろうとして考えを当てたりすることは無かった。
「ねえ、滉斗。」
呼ばれた名の懐かしい感覚に顔を上げ、君を見る。まだ酔いの抜けないあどけない表情に心臓の音が早くなるのを感じる。何、と言葉を紡ごうとした時、柔らかい唇同士が触れ合う。顔を離した君が、微笑みながら呟いた。
「僕と一緒にいる時の滉斗は、分かりやすいね。」
短編とか言いつつ3話になっちゃいました😔
どうしても4話まで伸ばしたくなくて3話で終わらせようとしたら3000字超えてたみたいです。お得なキャンペーンってことで許してください🤤