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(久しぶりな気もするけど、そんなこともないか。だってたかだか数週間ぶりなんだし……。ん~、面白い依頼はありそうかな?)
眼前の掲示板には、羊皮紙がズラリと張り出されている。それらは白紙ではなく、そのどれもが文字という形で依頼者の要望を代弁中だ。
アダラマ森林の看板清掃。
ルルーブクラブの肉集め。
指定した丘でのソーセージ焼き。
内容は多岐にわたるのだが、そのどれもが危険だ。なぜなら王国の外は魔物のテリトリーであり、人間は狩られる側でしかない。
ここは傭兵のための大規模施設、ギルド会館。その巨大さは城下町においては随一であり、百人を超える人間が一斉に押し寄せようと受け入れ可能だ。
灰色の短髪ごしに頭皮をかきながら、ウイルは渋い顔で羊皮紙達を眺める。背が低いため、掲示板を眺める際はどうしても見上げるような姿勢になってしまうが、最上段が見えづらいだけで特段支障はない。
ここに足を運んだのは、半月ぶりだろうか。
傭兵ならば、仕事を求めてほぼ毎日訪れる場所なのだが、多忙を理由にウイルの足は遠のいていた。
(父様がお小遣いくれたから、新しい服や汗拭きシートは買えたけど……。自分でも稼いでおかないと)
この少年はその若さで既に傭兵だ。
十二歳で試験に合格し、今では一人前の狩人にまで成長した。残念ながら戦技や魔法の類は使えないが、魔物探知という天技が扱えることと柔軟な思考、そして高い身体能力が魔物を確実に追い込む。
今まではエルディアが隣にいてくれた。
彼女のわがままに付き合う形で、ウイルはこの大陸を駆けまわっていた。
しかし、それも過去のことだ。エルディアの両眼が魔眼へ変化したがために、王国の敷地は二度と跨げない。魔女は魔物として排除されてしまうからだ。
そんなことはさせない。
ウイルはそう誓うも、現実は非情だ。夢を実現させるためには実力が伴っていなければならず、残念ながら今は夢物語でしかない。
その上、金もない。貴族に戻れたのだから親のすねをかじっていれば良いのかもしれないが、鍛錬も兼ねて魔物狩りに打ち込むことは決して悪手ではなく、同時に金も稼げるのだから一石二鳥と言えよう。
だからこそのギルド会館だ。傭兵が仕事を求めるのなら、ここを訪れるのが手っ取り早い。
(朝一番に来なかったから、めぼしい依頼は見当たらないな……。だったら、やっぱり特異個体狩り)
ウイルは眼前の掲示板に見切りをつけ、同業者を避けながら歩く。ここに鎮座する掲示板は一つではなく、種類によって使い分けられている。
目当ての立ち位置に移動を終え、改めて羊皮紙達を物色しようとしたその瞬間だった。
「ハイド、ウイルがいた」
「お、やっと会えた。お~い」
男の声が二つ、少年の耳に届く。人ごみの中でも聞き分けられた理由は、それほどに見知った間柄だからだ。
「あ、お久しぶりです、ハイドさん、メルさん」
ウイルは声の方へ振り向き、自然と顔をほころばせる。
そこには二人の男が立っており、一人は満面の笑顔で、もう一人は無表情ながらも右手を小さく振っていた。
ハイドとメル。二人組の傭兵だ。
腰から剣をぶらさげ、魔物の皮で作られた軽鎧をまとう男が、リーダーのハイド。赤い髪はウイルに負けず劣らず短く、その顔立ちはどこまでも優しい。
隣の長身がメル。黒紅色のローブをまとっているように、魔法の専門家だ。白髪は長く、一見すると気難しい大人のようにも見られるが、言葉数が少ないだけで内面は熱い。
二人はユニティを結成している。
ライトアンドサウンド。名が広く知られているわけではないのだが、少なくともウイルは彼らの実力を高く評価している。
もっとも、それはこの二人も同様だ。
混みあった掲示板前からわずかに離れた場所で、和やかな空気をまといながら談笑が始まる。
「やぁ、久しぶり。ここ最近、わけあってこっちの方まで出張っててね。ほら、ジレット大森林が閉鎖されちゃったろ? そのせいか、ここの連中がルルーブ港やヨーク村まで来るようになってさ。少ない依頼の取り合いを避けるため、メルと一緒に遠征中さ」
ハイドは見た目通り、気さくな男だ。困った人間には手を差し伸べずにはいられない性分であり、お節介ではないのだが、その特殊な出会いから、ウイルのことは気にかけてきた。
「今日で一週間。ウイルも元気そうだな」
高身長のメルが、表情を変えずにウイルを見下ろす。その背丈なハイドよりもさらに高く、重苦しいローブの色も相まって顔見知り以外はなかなか寄り付かない。
二人は傭兵だが、活動拠点はイダンリネア王国ではない。
ルルーブ森林の南に存在する漁港にもギルド会館は配置されており、彼らは主にそこで生計を立てていた。
仕事量は、残念ながらそう多くはない。そもそも人口が王国よりも圧倒的に少なく、依頼数もそれに比例してしまう。
ゆえに、傭兵のほとんどが活動拠点を王国に移すのは当然だ。
ハイドとメルはこの地の出身ではない。
そして、活動場所も南の港だ。
そういった背景からウイルとは疎遠になっていたのだが、こうして出会えば再会を心の底から喜ぶ。
それはウイルも変わりない。この二人には助けられた過去があり、テンションの高まりとともに口数も自然と多くなる。
「ぼちぼちやってます。あ~、でも、ここ最近は長旅が多くて、しかもお金にならないから、いつも以上に懐が冷え切ってます。こっちに来て、お二人はそこらへんどうなんですか?」
「実を言うと、そこそこ順調かな? 依頼が減ってもなおこれなら、王国に定住しても良いくらいだ」
「僕も構わない」
彼らの返答が少年を唸らせる。
ハイドは傭兵として要領が良いだけでなく、実力も申し分ない。メルとコンビを組んでいるという利点を最大限活かし、難易度の高い依頼にも果敢に挑戦してきた。
その結果、スチール製の片手剣が買える程度には稼げており、相方の杖も一級品だ。
「さ、さすがです。僕なんて、お恥ずかしながら無一文だったりします。あ、でも、武器はスチールダガーですけど。ものすっごい刃こぼれしてますけど!」
ウイルの装備も問題ない。鋼鉄の刃なら、巨人族にすら遅れは取らない。もちろん実力が伴っていればの話だが、その点も合格だ。
「あれ、二刀流に変えたの?」
ハイドは二本目の短剣に視線を奪われる。
ウイルの腰にはその両側に短剣が携帯されており、それぞれを抜いて両手で握れば、二刀流という戦闘スタイルの完成だ。
「こっちのアイアンダガーが本命です。スチールダガーはこんなんなのであんまり使いたくなくて……」
問いかけに対し、少年は照れ笑いを浮かべながら右手側の短剣を抜き取る。
灰色の短剣は先ほどの発言通り、ギザギザに刃が半壊している。それでも凶器としては使えるだろうが、ウイルは使用を控えており、ならば主力はもう一本の方になってしまう。
披露された武器を前に、ハイド達は静かに息を飲む。それは決して使い古されてはおらず、その意味を即座に見抜いてみせる。
(スチールダガーが通用しない魔物と戦ったってことか……。相変わらず、無茶をしているなぁ)
(イエスじゃないね。こんなの、命がいくつあっても足りない。エルさんは相変わらず……か)
エルディア・リンゼー。彼女もこの二人とは顔見知りだ。
そして、ハイドとメルは、エルディアが新人潰しと噂されていることも知っており、そういった背景からスチールダガーの損壊を彼女と結びつけてしまう。
脳裏に浮かんだことから、会話を膨らませるためにも赤髪の男が話題を振る。
「そういえばエルさんは? ウイル君と一緒に会えるものかと……」
「あ~、エルさんは一時的に休業中でして……。体調不良とかではないんですけど……」
彼女については何一つ真実を伝えられない。
母親が魔女だった。
エルディアも魔女になってしまった。
今は彼女らの里に隠れ住んでいる。
このような情報はご法度だ。嘘を織り交ぜ、事実を伏せるしかない。
ゆえにウイルの歯切れが悪くなってしまうも、ハイド達は深く追求せず、会話を弾ませる。
「そっか。だったらウイル君を借りても問題ないのかな」
「え?」
「丁度良い。二回目の三人旅」
「え?」
本人の承諾なしに話が進む。もちろん、半分はおちょくっているのだが、もう半分は本気だ。
「ウイル君がいれば、二人では挑めない強敵にも挑戦出来る。がっぽり稼げる特異個体狩り……、どうかな?」
ハイドの提案にウイルは目を丸くしてしまう。
特異個体。魔物の中でもとりわけ危険な強敵を、畏怖を込めてそう呼称する。
人間がそうであるように、魔物の強さは均一ではない。草原ウサギの中にも極稀に異質な個体が現れ、マリアーヌ段丘で傭兵を返り討ちにすることがある。
そういったイレギュラーは他の種族も同様だ。
爪が発達したもの。
牙が鋭いもの。
巨大化したもの。
見た目で判別可能な個体もいれば、周囲の同類に溶け込む場合もある。
なんにせよ、その個体は非常に危険だ。傭兵が次々と殺された場合、傭兵組合は指名手配代わりにそれを特異個体と定め、懸賞金をかける。
被害が拡大するにつれ、その金額は吊り上がるのだが、それに伴いその魔物は放置される。強敵だとわかっているのだから、危険を冒す傭兵は減って当然だ。
「はい、是非!」
驚きはしたが、二つ返事で承諾する。ウイルにとってもありがたい話であり、断る理由が見つからない。
今回の挑戦がいかに危険かは明白だ。
そうであろうと、この二人がいれば臆する必要はなく、少年は満面の笑みで白い歯を見せる。
この返答はハイド達にとってもありがたい。仲間が増えれば、その分戦力も向上するのだから、喜びたいのは彼らの方だ。
メルは無表情を貫きながらも、補足事項を伝える。
「報酬は今朝時点で三十万イール。つい先日までは四万イールだった。ここ数日で急上昇」
「う、それって……」
「ああ。おそらくは何人も返り討ちにあったのだろう。この増え方だと、一人二人では済まないはず……」
ウイルが狼狽するのも無理はない。
魔物一体を倒すだけで三十万イール。この金額設定は破格だ。一般的な仕事の月収に相当するのだから、大金ではないが低額でもない。ひと月分の収入を数日で稼げるのだから、勝てる見込みがあるのなら美味しい儲け話と言えるだろう。
三人で挑むのだから、頭割りで一人十万イール。それでも申し分ない。金欠のウイルにとっては十分過ぎるほどの提示額だ。
それでも、ピクニック気分で挑戦するわけにはいかない、と予感する。
標的が雑魚ではないと、その金額が訴えている。
「それでも、僕達なら……」
ウイルは普段より勝気だ。眼前の男達がそれほどに頼もしく、エルディア不在でありながら、テンションの昂ぶりを覚える。
それはハイド達も同様だ。賛同を得られた以上、嬉しそうにほほ笑み返す。
「敵わないなら敵わないで問題ないさ。グラウンドボンドが二枚もあるからかね。ダメ元でチャレンジしてみないかい?」
「了解」
「は、はい!」
慎重さは失わない。迂闊な行動は避けなければならないと、彼らは経験から知っている。だからこそ今日まで生き延びられた。今回も無茶はしないつもりだ。
盛り上がると同時に、メルが一枚の紙っぺらを提示する。それは標的の情報が記載された羊皮紙であり、ウイルは吸い込まれるように凝視する。
「こいつ……ですか。なるほど」
情報を読み取りながら、静かに唸る。
羊皮紙の最上段にはタイトルのように大きな文字で特異個体と書かれており、添えるように魔物の名称も記載されているのだが、目を見張るのは真ん中に描かれた絵だ。
そこには水墨画のようなタッチで昆虫のカマキリにも似た何かが堂々と居座っている。カラーではなく白黒ゆえに色合いまでは読み取れないが、威嚇するように直立している姿からは、その凶暴性が十二分に感じられる。
羊皮紙の一番下には金額が提示されているのだが、三の後ろにはゼロが五つも並んでいるのだから驚きだ。ウイルも生唾を飲んでしまう。
魔物の猛々しい肖像の下部には、現時点で判明している情報が事細かに書かれている。読めば済む話なのだが、ハイドは説明せずにはいられなかった。
「アダラマ森林の北部、岩場付近で目撃されている。確かにその付近はアダラマカマキリの縄張りだけども……。だからこそ、近寄る傭兵は少ない。あいつらはとりわけ手ごわいからね。何より……」
「うま味がありませんから」
ウイルも若くして歴戦の傭兵だ。その魔物については熟知しており、当然のように相槌を打てる。
カマキリ族。名前の通り、昆虫のカマキリに酷似した魔物だ。しかし、サイズ感は似て非なる。
人間よりも大きく、巨人族よりは小さい。つまりは中間程度の大きさなのだが、相対した際の恐怖感は格別だ。両手そのものが大きな鎌なのだから、見た目が与える重圧は想像以上に凄まじい。
頭部も昆虫のそれよりも巨大化しており、その口は人間の頭を頭蓋骨ごと嚙みちぎる。
強敵だ。ゆえに戦闘は避けたいのだが、大きな眼に補足されたら最後、問答無用で襲われてしまうだろう。
逃げ切れれば問題ないが、アダラマカマキリは四本足ながら非常に俊敏だ。足の速さで負けてしまった場合、当然ながら迎え撃つしかない。
負ければ、死。
勝てたとしても、得られるものは非常に少ない。
なぜなら、カマキリ族の硬い表皮やその鎌は、素材としての需要がほとんどなく、仮に巨大な死体を苦労してまるごと持ち帰ったとしても、食事代すら稼げないだろう。
ゆえに、傭兵はアダラマ森林の北側に近寄らない。用事がない上に危険なのだから、当然の帰結だ。
「そのうま味が、こいつのせいで発生した。そして、何人も殺された」
メルは無地のローブごと体を傾けながら、補足する。冷静沈着な男らしく、現状把握は済ませている。
「傭兵の世界では、ありふれた話ではありますけど……。いたたまれないですね。ん? 体の色は茶色?」
「普通なら緑だから、遠目からでもすぐにわかりそうだね。体も一回り大きいようだし。ウイル君がいてくれれば、探すだけなら苦労しないだろう」
ハイドの言う通りだ。ウイルは魔法や戦技を習得していない代わりに天技という神秘を扱える。
ジョーカー・アンド・ウォーカー。周囲の魔物を視認せずとも広範囲で感知出来る。魔物退治の専門家にとっては強力な武器と言えるだろう。
「だけど、掃除は必要かもしれない」
メルの発言が二人を頷かせる。
この場合の掃除とは、傭兵達が使う専門用語だ。意味合いとしては、標的以外の魔物を事前に討伐することを指す。本命との戦闘に集中するためであり、遠回りなようで勝率を高めるための最短ルートだ。
「掃除なら僕にお任せください。あそこのカマキリなら、パパっとやれます」
「いや、ウイル君には索敵をお願いしたいな。俺でも問題なくやれるからね。メルの魔法もあるし、多少時間をかけても慎重に進もう。近場だし」
「わかりました」
「了解」
作戦会議は終了だ。方針が定まった以上、ここからは動き出す。
すぐにでも出発したいところだが、ウイルはいつも通りの思考を巡らせることから始める。
(えーっと、手持ちは干し肉が……、二枚だけだったかな? 野営する必要なんてないから、とりあえず昼食分のパンは買わないとか)
長旅ではないと判断した理由は、傭兵の尺度ならばアダラマ森林が遠方ではないからだ。イダンリネア王国の北西に位置し、徒歩の場合、三日程度はかかるのだが、彼らの脚力ならあっという間にたどり着けてしまう。
「んじゃ、お昼買ってきます」
「俺達はもう買ってあるから、ここで待ってるよ」
「海老おにぎり、おすすめ」
掲示板エリアから食堂方面へ歩き出そうとしたその時だった。メルの発言が少年の足をピタリと止める。
「海老、ですか?」
「そう。新商品。うまかった」
「なるほど、行ってきます」
二人に見送られ、小さな傭兵がテキパキとそこを目指す。
食堂には多数のテーブルと椅子が並べられており、朝方ということもあり、荒くれ者達が朝食の只中だ。
その光景を眺めながら素通りすれば、こじんまりとした売店と出会える。
「いらっしゃい」
年配の女性職員が売り子を務めており、ウイルは小さく会釈を返すと、商品達に視線を落とす。
(あ、あった。海老おにぎり。名前通り、具が海老なんだろうな……。値段は百二十イール。服買った時のお釣りが少しはあるから買えるけど、値段半分だし素おにぎりでいいや。パンとお茶も買いたいし)
決して節約家ではないのだが、この少年もまた、海老おにぎりを選ばない。その理由は単純に所持金が少ないからであり、一品だけで済ませるのなら選択肢に挙がったが、それだけでは腹の足しにしかならないため、今回は渋々除外する。
三人は合流し、ギルド会館を後にするのだが、普段とは異なり、今回はこのタイミングで躓いてしまう。
「う?」
先頭を務めたハイドが真っ先にそれを目撃し、驚きの声を漏らす。
両開きの扉を開き、外へ出ようとした瞬間だった。白いローブをまとった大勢の男女が通せんぼのように立ちはだかっているのだから、困惑して当然だ。
彼らは皆、ギルド会館に背を向けており、自分達を壁と見立てているのだろう、そこから動く様子はない。
このままでは、出入りなど不可能だ。もちろん、それこそがこの集団の目論見であり、背後の傭兵に気づいたのか、声高々に宣言し始める。
「魔物を殺すな!」
「魔物との共存を実現せよ!」
「傭兵制度は即刻廃止!」
大声で叫べば、視線を集めて当然だ。
通行人は不思議そうに眺め、ギルド会館に入りたい傭兵達は困った表情を浮かべるしかない。
それはハイド達も同様だ。力づくで押しのけても良いのだが、それよりも今は状況把握に務める。
「これは……? メル、知ってる?」
「知らない。イエスじゃないね」
相手は魔物ではなく、同じ人間なのだから、警戒する必要はないのかもしれない。それでも、二人はただただ困惑してしまう。
意味がわからない。
眼前の集団が何をしたいのか、わからない。
白いローブで統一している意図がわからない。
何もかもが不明なため、立ち尽くしてしまう。
そんな中、最後尾のウイルだけは極めて冷静だ。
「この人達は、女神教の信者です」
「と、言うと?」
それでもなお、ハイドは尋ねてしまう。その単語の意味すら知らないからだ。
「僕も歴史の授業で習っただけなのですが、発祥は九百年以上も昔のことで、教団名の通り、神様……、女神を信仰している人達です。それだけなら無害なんですが、実際は過激派集団でして……」
ウイルが言うまでもなく、目の前の大人達に知性の欠片は感じ取れない。同じ人間でありながら意思疎通が可能とも思えず、彼らには彼らなりの信念があるのだろうが、現状では想像すらも困難だ。
ハイドだけでなくメルも驚いており、さらなる情報を求める。
「こいつらは何がしたい?」
「教団の教えが厄介で、曰く、王国と魔物の共存を謳っていて、だからまぁ、傭兵の僕達を目の敵にしているのかと……」
説明不足でありながら、二人は理解する。そもそも彼らが声高々に主張しているのだから、耳を傾ければ納得は出来ずとも把握は可能だ。
「理想論ですらないと思うのだけど……」
ハイドの感想に少年は頷くと、知りえる情報をさらに開示する。
「僕もそう思います。魔物の肉が食卓から消えたら、僕達は飢え死にですから。富裕層は魚や野菜、家畜で生きていけるでしょうけど、どちらにせよ食べ物の流通量が各段に減りますから、市場は大混乱、物価の急上昇も合わさって大変なことになります」
「そもそもなぜ、魔物を殺してはならない?」
今の説明だけではやはり納得出来ず、メルは彼らの主張の本質を問わねばならない。
魔物は異質であり、異常だ。人間に対し、明確な殺意を抱いており、その肉体はそれを可能とするほどの強度を持ち合わせている。
その上、その多くが交尾等の繁殖行為なしに増殖する。
正しくは、減った分だけ時間経過で自然に補充される。
土から生える雑草のように、それが草原ウサギであろうと、これから狩りに行くカマキリ族だろうと、無から発生するのだから生物という枠組みに当てはめることは困難と言えよう。
例外は巨人族やゴブリン族といった、知性をもった種族だ。それらは人間同様に子を産み、育てる。
さらには、文化すら形成している。
そうであろうと人間の抹殺欲求に縛られており、だからこそ、軍人や傭兵は必要な戦力だ。
「教祖の教えらしいです。魔物を殺すなとか、食べるな、とか。ただ、だんだん過激なことをし始めて、ついには王国軍と武力衝突にまで発展したとかなんとか。その後、信者は全員捕まって死刑。女神教もそこで解散という流れです」
「じゃあ、この人達は?」
ウイルの説明は間違ってはいない。
女神教は歴史の授業で習うほどには過去の遺物だ。
そのはずだが、ハイドは首を傾げながら問いかける。女神教の信者が目の前に立ちはだかっているのだから、自然な反応だ。
「近年、水面下でいつの間にか復活したようです。治維隊も把握はしているのですが、信者の数も少ないので見て見ぬ振りをしていると言いますか、許容しているのですが……」
無害かつ小さな集団であれば、王国も解散を無理強いしない。教義が非現実的であろうと、他人に迷惑をかけないのなら妄想まで縛るつもりはないからだ。
「これは立派な迷惑行為」
白い髪をかきあげながら、メルが事実を言い当てる。
彼らは自分達の意志主張を叫んでいるだけでなく、ギルド会館の営業を妨害中だ。これは立派な犯罪であり、軽度であろうと裁かれなければならない。
「そうですね。治維隊呼んで来るので、ちょっとだけ待っててもらって良いですか?」
「ん? あぁ、もちろん」
この発言を受け、二人が道を譲ると、ウイルは歩みを進めて敷地を出る。当然ながら目の前には信者の背中があり、それ以上の前進は物理的に不可能なのだが、少年の小さな姿はそこからパッと消え去る。
(なるほど、上に……)
(飛んだ)
飛び越えれば済む話だ。垂直方向に跳ね、忍者のように建物の壁面を足場にすれば方向転換など容易に出来てしまう。
その後、ハイドとメルは出発前の準備で時間を潰すも、ものの数分で外部がいっきに騒がしくなる。
緑色の制服をまとい、武器を携帯した部隊の到着だ。その人数は白ずくめの集団と同数いるため、鎮圧は迅速に行われる。
「おまえ達! そこで何をしている! 全員、現行犯で逮捕する!」
彼らは治維隊だ。犯罪者を逮捕、取り締まるための機関であり、その実力は並の軍隊と同等かそれ以上だ。
危機を察知し、女神教の信者達は多種多様は反応を示す。
ある者は悲鳴と共に逃亡を試み、ある者は怒り狂って立ち向かう。
どうであれ、もはや手遅れだ。治維隊は武器を一切使うことなく、無法者達を例外なく取り押さえる。
それでもなお、苛立つように暴力で抗う愚か者もいたが、圧倒的な身体能力の差はいかんともしがたく、道路を構成する石のタイルに顔を打ち付けられ、あっけなく意識を刈り取られてしまう。
鮮やかな逮捕劇に通行人から拍手が起こる中、通報したウイルが仲間の元へ颯爽と帰還する。
「お待たせしました。さぁ、行きましょう」
「お、おお」
ハイドとしてもたじろぐしかない。
一方、メルは無表情のまま疑問を口にする。
「こいつらはどうなる?」
無法を働いた信者は逮捕された。これから連行されるのだが、その後の扱いを一般市民が想像出来るはずもない。
しかし、ここには貴族がいる。ゆえに推測交りながらも答えは即座に返ってくる。
「傭兵組合に楯突いたということは、ギルバード家に謀反を起こしたも等しいので……、まぁ、運が良くても、死ぬまで強制労働かもしれません。治維隊に殴りかかった人は死刑すらありえます」
この説明は的を射ているのだが、ハイドは完全には納得出来ず、追加の質問を投げかける。
「ギルバード家って四英雄だよね? ギルド会館の運営に関わってるんだ?」
「はい。しかも直営店みたいなものです。ギルドの名称はギルバード家が由来なんです。四英雄に喧嘩を売るなんて、僕は怖くて出来ません……。まぁ、教養がないからこその自業自得なのかも……。同情はしませんけど」
教育機関で知性を身に着けた者。
無知を言い訳に、他者を責め立てる者。
その差は一朝一夕では埋まるはずもなく、ウイルはこれから王国の外へ旅立つが、弱者は牢獄に囚われ、一生を縛られ続ける。
(ウイル君って根っこは優しい子供なんだけど、時々すっごく冷たいというか、大人ぶるというか……)
(だから生き延びられた……)
それが二人の率直な感想だ。
この少年は無自覚ながらも、特定の庶民を見下してしまう。つまりは、素養の悪さが目につく人間に対しては、心の中で線引きしてしまう。
貴族という特権階級がそうさせるのだが、四年間の傭兵生活をもってしても、その気質は抜けることはなかった。
「詳細な作戦会議は走りながらって感じですか?」
出発だ。
地べたを這いずる犯罪者達には目もくれず、ウイルは大通りを歩き続ける。
目的地はアダラマ森林の最深部。普通なら六日前後はかかる見込みだ。
「あ、うん、そうしよう。昼頃には着くだろうし、色々と話しを聞かせてよ」
即席の三人チームながら、問題点は何一つ見当たらない。見知った間柄ということもあるが、この状況は過去にも一度あったからだ。
ゆえに、安心出来る。獲物の強さには警戒が必要だが、油断も慢心も彼らには縁のない言葉ゆえ、抜かりはない。
「草餅も買ってある」
甘いもの好きのメルがさらりと言ってのけるも、この発言はウイルを驚かせるには十分だった。
「え……、まだハマってるんですか?」
「そうなんだよ、かれこれ何年だ? 見てるこっちが胸焼けしちゃうよ。いやまぁ、美味しいんだけどさ」
そして笑いが沸き起こる。こんなことでも面白いと感じる程には、三人は気心の知れた間柄だ。
そんな中、ウイルとふと思ってしまう。
(エルさんがいてれれば……)
もっと楽しいはずだ。エルディアもまた、二人とは顔見知りであり、最初の出会いも彼女がきっかけだった。
しかし、今はここにいない。山脈の奥地で、魔女達とひっそり身を隠しているのだから、願望は想像上の産物で終わってしまう。
だからこそ、頑張るしかない。
ウイルはエルディアの分も奮闘し、今回の依頼を終わらせるつもりだ。
女神教によって出鼻はくじかれてしまったかもしれないが、二度と関わることはないだろうと考え、頭の整理を完了させる。
その予想は不正解だ。この少年もまた、新たな火種に巻き込まれる。
そうであろうと今は知る由もない。
なにより、先ずは眼前の用事から片付ければよい。
特異個体狩り。厳しい戦いが想定されるも、この三人は恐れおののくよりも先に、その足を前に突き動かす。