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あや
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「もう! 二人共、廊下で喧嘩はやめなってばぁ!」
里奈は穂乃果と直樹の間にひょこりと割って入り、両手をぱたぱたさせて仲裁するフリをした。そのわざとらしい仕草に、直樹は露骨に眉をひそめる。
「何だよ斎藤、お前には関係ないだろ。邪魔するな」
「関係ないわけないでしょ? 穂乃果はきっと、意地張って引っ込みがつかなくなってるだけだってば。それなのに、私が昨日真鍋先生と一緒に居る所を見ちゃったから、余計に意固地になってるだけよ」
里奈はマウンティングを含んだ意味ありげな視線を穂乃果に送りながら、直樹の袖をきゅっと引っ張った。
あまりにもあからさまな白々しさに、呆れて声も出ない。人間は、怒りを通り越すと何の感情も湧かなくなるのだなと、穂乃果はつくづく実感する。
「ねぇ穂乃果ぁ。今回のことについては、私が全部悪いの。私が真鍋先生を誘っちゃったんだから……だから真鍋先生を責めないであげて?」
上目遣いで、いかにも「私が悪者になってあげる」という風を装う里奈。
そんな二人を見つめていると、穂乃果の心は急速に、急速に冷え切っていく。
「……あっそ。どうでもいいけど、私はその男要らないから、アンタにあげるって言ったよね?」
吐き捨てた言葉は、冷徹そのものだった。一刻も早く、この哀れで滑稽な馬鹿二人から離れたい。
「お似合いじゃない? 私は直樹を喜ばせるようなテクニックも何も持ち合わせてないマグロマグロだから。床上手な里奈に癒して貰えば? 里奈の身体は最高なんでしょう?」
「え……っ!?」
「お、お前……なんでそれを……っ」
二人は、何故その密室の会話を穂乃果が知っているのかと言わんばかりの顔をして、凍りついた。直樹はみるみるうちに顔を青くし、里奈は引きつった笑みを浮かべたまま完全にフリーズしている。
泥棒猫のように他人の男を寝取って優越感に浸っていた里奈も、まさか自分たちの下劣な会話がすべて本人に筒抜けだったとは思ってもみなかったのだろう。一瞬にして、二人はただの哀れなピエロへと成り下がった。
言いながら、穂乃果の脳裏には、昨夜浴びるように刻み込まれたナオミの言葉が蘇っていた。
(『それって、ただ単に、あのクソが下手くそだったんじゃないの?』)
あの甘く低いテノールと、自分を本物の「女」へと変えていった圧倒的な熱量。それを思い出した瞬間、目の前で口をパクパクとさせている直樹のことが、なんだか無性に可笑しくなってくる。
(本当に……ただ下手くそなだけだったんだわ、この人)
そう思うと、これまで抱えていた傷が嘘のように消えていき、思わず鼻で笑ってしまいそうになるのを必死にこらえた。
「それじゃあ、お幸せに。真鍋先生、斎藤さん」
最後にこれ以上ないほど冷ややかな、けれど清々しい微笑みを残して、穂乃果は今度こそ躊躇なく二人へ背を向けた。背後から「おい、待てよ穂乃果!」と直樹の焦った声が聞こえたが、もう振り返る価値すらなかった。