テラーノベル
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夜は、二人にとって一番落ち着く時間だった。 外では「父と息子」として役割を守り続けているが、家の中では多少の緊張を解くことができる。
その夜も遅く、オールは風呂を終えて、いつものように冷えた水を飲もうとリビングへ向かった。
ドアを開けると──そこにモストがいた。
まだ濡れた髪から水滴が落ちていて、タオルで無造作に拭っているところだった。
肩にかけられたシャツは半分脱げかけており、筋肉の浮き上がった肩から胸板までが露わになっている。
十四歳の身体だというのに、日々の鍛錬で刻まれた線は、確かな「男」のそれだった。
オールは思わず立ち止まった。
その姿を目にした瞬間、胸の奥がひどく熱くなる。
──違う。見ちゃいけない。
心の中でそう言い聞かせながらも、視線は離れなかった。
濡れた前髪の隙間から覗く瞳が、妙に大人びて見えた。
首筋を伝う一筋の水滴にまで、息を呑んでしまう。
「……父さん、どうした?」
モストが顔を上げた。
その声はいつも通りの無邪気さを含んでいるはずなのに、今のオールには違って聞こえた。
低すぎず、幼すぎず。
揺らぎのない、自分を男として立たせようとする意思が滲んでいた。
オールは慌ててコップを手に取り、水を口に含む。
喉を潤すためではない。ただ時間を稼ぎたかった。
「……いや、なんでもない」
視線を逸らすのに、ひどく苦労した。
だが、その沈黙の間に、モストの方は小さく笑っていた。
「……変だな、父さん。そんなに見られたら、こっちが恥ずかしい」
その一言に、オールの胸は更にざわつく。
「父と息子」の関係であれば、ありふれた冗談にすぎない。
だが、耳に残るその声の響きは、オールに別の意味を思わせてしまった。
オールは口を開きかけて、すぐに閉じる。
言葉にしてしまえば、全てが崩れる気がした。
「……もう遅い。風邪ひくぞ。早く休め」
それだけを低く言い残し、背を向けた。
だが歩き出した瞬間、背後からモストの視線を強く感じた。
振り返ることはできない。
振り返れば、二人の間に引かれたはずの境界線を、自分から壊してしまいそうだった。
寝室に入ったあとも、心臓の鼓動は収まらなかった。
十四年間「父」として守ってきた壁が、音もなく崩れ始めている。
その崩壊を止めたいのか、望んでいるのか──オール自身にもわからなかった。
(〜モスト視点〜)
父さんの視線に気づいたのは、偶然じゃない。
あの夜、風呂上がりに髪を拭いていた時、背筋に刺さるような熱を感じた。振り返れば、やっぱり父さんが立ち止まって俺を見ていた。
──あの人の目は、いつもと違っていた。
普段の父さんは冷静で、必要以上に俺を子ども扱いもしない。でも、あの瞬間は違った。
俺を「息子」としてではなく、何か別のものとして見ているように感じた。
それが何かを、俺は知っている。
そして、心の奥で望んでいる。
マフラーを父さんの前でだけ外すのは、無意識じゃない。
外の世界では、まだ自分を「男」として認めてもらえない。だから守るために巻いている。
でも父さんの前では違う。
俺が男であることを、真っ直ぐに見てほしいと思っている。
なのに、父さんは背を向けて出て行った。
まるで俺の気持ちを見透かしたように、逃げるように。
……ずるい。
ベッドに横たわっても、鼓動が収まらない。
あの人の背中を追いかけたくて、名前を呼びたくて、でも呼んでしまえば戻れない。
「父さん」と呼んでしまえば、またただの親子に縛られる。
けれど、口から零れそうになるのは──「オール」という名前だった。
天井を見上げながら、俺はそっと呟いた。
「……俺はもう、父さんの息子じゃない」
その言葉は夜の闇に吸い込まれ、誰にも届かない。
けれど確かに、胸の奥で燻る火を強くした
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