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#溺愛
#ハッピーエンド
それから月日は流れ、数ヶ月後───
「……佐藤さん。何をそんな、全プロジェクトが失敗に終わった直後のような、悲壮感漂う顔をしているのですか。視覚情報のノイズが激しすぎて、こちらの計算が狂いますよ」
魔王城の最上階。
轟音と共に崩れ落ちた玉座の瓦礫と、消えゆく魔力の残滓が紫の火花となって散る中で
一ノ瀬部長は相変わらず、埃一つついていない完璧な軍服姿で毅然と立っていた。
その目の前には、時空の歪みが作り出した、元の世界へと繋がる次元の裂け目──
『帰還ゲート』が、吸い込まれるような眩い白光を放ちながら口を開けている。
このゲートを一歩潜れば、全ては終わる。
異世界での奇妙な生活も、騎士団長としての彼との偽装結婚も
そして私に向けられた、あの中毒性の高い「過保護」も…
「だって、部長……。ついに魔王も倒したし、これで名実ともに『ハッピーエンド』ですよね? 契約書に記載されていた『ミッション完遂後の報酬』…元の世界への帰還タスクが、ようやく実行可能になったんです」
「……これで、この『偽装結婚プロジェクト』も、正式に解散ですね」
私は込み上げてくる涙を必死に堪え、無理に口角を上げて、彼に右手を差し出した。
震える指先を悟られないよう
せめて最後は、有能な部下としての「完了報告」をしてみせたかった。
「お疲れ様でした、一ノ瀬部長。日本に帰ったら、また元の営業二課で、普通の部下として精一杯働きますから。……今日まで、本当に……ありがとうございました」
喉の奥が、焼けるように熱い。
視界が急速に滲んで、彼の顔が歪んで見える。
彼との「業務」は、いつの間にか私の人生において
どんな成功報酬よりも大切で、何物にも代えがたい「居場所」になっていた。
けれど、これはあくまで異世界を生き抜くための合理的な期間限定プロジェクトだったはずなのだ。
しかし
差し出した私の手は、握手という名の「合意」を得ることはなかった。
代わりに、私の手首は万力のような抗えない力で掴まれ、一気に彼の胸の中へと引き寄せられた。
「……佐藤さん。貴女は根本的な『契約条項』を致命的に勘違いしているようだ。あるいは、多忙を言い訳に、私が提出した最終承認フローを読み飛ばしましたか?」
「え……っ!?部長…?」
部長は、逃げる隙など微塵も与えない強引さで私の腰を抱き寄せた。
ゲートの光に照らされた彼の横顔は
かつてないほどに傲慢で、そして……泣き出しそうなほどに、必死だった。
「いいですか、よく聞きなさい。私が提示し、受理された『ハッピーエンド』の定義は、単なる物理的な帰還ではありません」
「……佐藤ひよりという、世界に唯一無二の最高機密リソースを、元の世界に戻っても、この異世界に留まっても、永久に私の隣に置き続けることです」
「へ?!」
「……契約期間は『終身』。解約や途中離脱の条項など、最初から一行も、一文字も存在しません。私が認めないからです」
「な、何を言ってるんですか!? 日本に帰ったら、部長と私はただの上司と部下、赤の他人に戻って……」
「戻りません。その提案は、私の全権限をもって断固として拒否します」
部長は、私の頭を大きな手で愛おしそうに包み込み
耳元で熱を帯びた、掠れた声を漏らした。
その振動が、私の肌を通して心臓まで直接伝わってくる。
「……これほどまでに私の『心臓の工数』を乱し、独占欲という名の修復不能なバグを私の脳内に埋め込んでおいて、今さら『お疲れ様でした』の一言で清算できると思っているのですか?」
「…佐藤ひより。貴女が私に引き起こしたこの不始末は、一生かけて私が責任を持って回収し、管理し続けます」
「…そっ、それって…私のこと…好きだってことですか……っ?」
「そう言っているでしょう?ゲートを潜るのは二人一緒です。そして、向こう側の土を踏んだ瞬間に、新しい契約を締結します」
「…!」
「……今度は偽装でも業務代行でもない、本物の『婚姻届』という名の、最も重い最終決済書類に、貴女のサインをいただきます」
部長の唇が、私の確認や同意を待つ間もなく、強引に私の唇を塞いだ。
魔王城が崩壊する地響きも、次元ゲートが鳴らす轟音も、今は何も聞こえない。
伝わってくるのは、彼がずっと隠し持っていた
狂おしいほどの独占欲と、不器用で真っ直ぐな、あまりにも重すぎる愛の重圧だけだった。
「ん……っ、んぅ……いちのせ、さ…っ」
深く、深く……魂を繋ぎ止めるようなキスの後、ようやく唇が離れる。
部長の顔は、かつて見たことがないほど熱っぽく赤らみ、瞳には隠しきれない熱情が渦巻いていた。
「……佐藤さん。…いいえ、ひより。この永久契約、受託していただけますか?」
「……もう…っ!部長の勝手な仕様変更と独占欲には、一生かかっても勝てそうにありません……っ!」
私は彼の軍服をぎゅっと握りしめ、溢れ出した涙を拭うことも忘れて微笑んだ。
私たちは、繋いだ手を砕け散るほど強く握りしめたまま
光り輝くゲートへと同時に一歩を踏み出した。
どうやら、鬼上司との「ハッピーエンド」は
元の世界に帰還した瞬間の『結婚生活』なのだった。