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第八十九話 チャームの裏側
公園を出てから、二人はほとんど話さなかった。
少年の頭の中には、
さっき思い出した言葉が何度も繰り返されていた。
『忘れても、探すから』
それが、事故の日に一人で呟いた最後の言葉。
そして、その言葉の前に何を言っていたのか。
誰を探していたのか。
まだ、そこだけが抜け落ちている。
駅へ向かう途中、少年はふと足を止めた。
「……待って」
「どうしたの?」
少年はポケットから銀色のチャームを取り出した。
「これ」
「さっきから持ってたよね」
「裏側に……何かある」
街灯の下で、チャームを傾ける。
表から見ると、いつもと変わらない。
けれど、角度を変えると、
裏側に細い傷がいくつか見えた。
文字のようにも見える。
「今まで、気づかなかった……」
彼女も隣から覗き込んだ。
「何て書いてある?」
「分からない」
少年は指先で表面をなぞった。
その瞬間だった。
頭の奥に、短い記憶が走った。
――誰かの手。
――このチャームを渡される自分。
そして、声。
『裏を見て』
「……っ」
少年は思わず目を閉じた。
「大丈夫?」
「うん……」
少し息を整えてから、もう一度チャームを見る。
「『裏を見て』って……言われた気がする」
「誰に?」
「それが分からない」
彼女は黙ってチャームを受け取った。
そして裏側を指で擦る。
「これ……文字じゃないかも」
「え?」
「傷が三つある」
よく見ると、確かに小さな線が三つ並んでいる。
341
まくら
135
みおん
5,265
33
その下に、さらに薄い跡。
二人はスマートフォンのライトを当ててみた。
すると、かすかに一つの言葉が浮かび上がった。
『戻る場所』
少年はその文字を見つめた。
「……戻る場所」
「事故の日のこと?」
「たぶん」
今までの記憶がつながっていく。
『戻る』
『待ってて』
『忘れない』
『忘れても、探すから』
そして――
『戻る場所』
少年はチャームを強く握った。
「俺、事故の日に……戻ろうとしてたんだ」
「どこに?」
その問いに、少年はすぐには答えなかった。
けれど、頭の中に一つの風景が浮かぶ。
駅。
古い建物。
公園。
歩道橋。
そのどれでもない。
もっと別の場所。
雨の中、曲がり角を曲がった先。
そこに誰かがいた。
「……分からない」
「無理に思い出さなくていいよ」
「違う」
少年は首を振った。
「思い出したくないんじゃない」
チャームを見つめる。
「思い出すのが、怖かったんだと思う」
彼女は何も言わず、隣に立っていた。
しばらくして、少年が口を開く。
「事故の直前、俺は誰かを守ろうとしてた」
「うん」
「でも、その人を守るために……俺は一度、その場を離れた」
「戻るために?」
「そう」
少年の記憶に、また一瞬だけ声が重なった。
『必ず戻ってきて』
そして自分が答える。
『分かった』
その直後――
雨。
ブレーキ音。
視界が途切れる。
少年は目を開けた。
「……戻れなかった」
彼女が静かに言った。
「事故があったから?」
「……うん」
でも、少年はそこで言葉を止めた。
何かがおかしい。
事故が起きたから戻れなかった。
それなら、どうしてその後も誰かが待っていたのか。
どうして写真が残されていたのか。
どうして病院に「本人には、まだ伝えない」と
記録されていたのか。
そして何より――
どうして自分は、
事故の後にその人のことを完全に忘れていたのか。
「……事故だけじゃない」
少年が呟いた。
彼女も頷いた。
「前にも、そう言われたね」
「うん」
二人は駅のベンチに戻った。
少年はチャームを机の上に置く。
裏側の文字をもう一度確認する。
『戻る場所』
その下に、ほとんど消えかけた小さな記号があった。
丸のような形。
これまで何度も見てきた印。
封筒にも、古い看板にも、金属板にもあったもの。
「この印……」
「全部、同じだね」
少年は考え込んだ。
今まで、この印は
二人を過去へ導くためのものだと思っていた。
けれど、違うのかもしれない。
この印は――
「場所じゃなくて、人を示してるのかも」
「人?」
「俺たちが探してる誰か」
彼女はチャームを見つめた。
「じゃあ、この印の意味が分かれば……」
「その人が分かる」
そのとき。
少年のスマートフォンが震えた。
知らない番号。
画面には短いメッセージだけが表示されていた。
『チャームの裏を見たね』
二人は顔を見合わせる。
続けて、もう一通。
『次は、事故の日に君が戻ろうとした場所へ』
そして最後に。
『そこには、君が忘れた人が残したものがある』
少年は画面を見つめた。
今までとは違う。
今回は、ただの「次の場所」ではない。
事故の日の、自分自身の行動に直接つながっている。
「……行こう」
彼女が頷く。
「うん」
少年はチャームを握った。
その裏側に刻まれた言葉。
『戻る場所』
それが、今度こそ事故の日の記憶を
開く鍵になる気がした。
コメント
1件
読了しました。チャームの裏側に刻まれた「戻る場所」という言葉がとても重く響きました。とくに、事故の直前まで誰かを守ろうとしていて、その人の元へ「戻ろうとしていた」という少年の告白が胸に刺さります。怖くて思い出せなかったと言いながらも、今度こそ向き合おうとする強い気持ちが伝わってきました。差出人不明のメッセージと「忘れた人の残したもの」という一文で続きが気になりすぎます。更新、楽しみにお待ちしていますね🌷