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涙がにじむ。
もちろん、悔しい気持ちはある。
やっと、いろんなことに慣れてきたところだった。
エクササイズも薬膳の食事も。
毎日鏡を見るのが楽しみになるなんて、少し前までは思ってもみなかったことだった。
でも仕方がないことだ。
自分ではどうすることもできない。
着替えを終えて店に降りていくと、おばあちゃんがすまなそうな顔でわたしを見た。
「さっきはごめんよ。つい、カッとして、言わなくてもいいことを言っちまって」
わたしは微笑んで首を横に振った。
「ううん、わたしのためを思って言ってくれたんじゃない。悪いことなんてない。ねえ、おばあちゃん、奥で休んでて。玲伊さんのところに通い始めてから、ずっと負担かけてたし。今日はもうゆっくりして」
祖母はまだ何か言いたそうに口を開きかけたけれど、そのまま奥に入っていった。
ふーっと大きなため息をひとつついて、わたしはレジ前の椅子に腰をかけ、伝票の整理をはじめた。
***
その日の午後9時過ぎ、わたしは玲伊さんの待つカフェに出向いた。
ガラスの向こうに彼の姿を認め、わたしはドアを開けて、その席に向かった。
そして、観葉植物で隠れて見えなかった、もうひとりの存在に気づいた。
「優ちゃん」
玲伊さんと一緒に、笹岡さんが立ち上がった。
「加藤さん、今朝はどうも」
「こんばんは」
とっさに笑顔を作ろうとしたけれど、できなかった。
玲伊さんに促され、わたしはふたりの向かいに座った。
彼は店員さんに手で合図した。
「何がいい?」
「あ、じゃあアイスティーで」
なかば上の空で、わたしはそう答えた。
そのとき、頭のなかでは、これから玲伊さんに言われるであろうセリフが駆け巡っていた。
『昨日ははずみであんなことをしてすまなかった。優ちゃんが言っていたとおり、俺たちは付き合っているんだ』と。
覚悟して待っていると、予想と反して、玲伊さんではなく、笹岡さんが話しはじめた。
「オーナーから加藤さんがわたしたちのことを誤解していると聞いて、わたしが直接お話ししたほうがいいと思って」
グラスの水を一口飲んでから、彼女が語りだした話は、まったく思いもよらないものだった。
「あなたがわたしたちを見かけた日はね。亡くなったわたしの婚約者の命日で墓参りに行ったのよ。オーナーも彼の友人だったから」
「えっ?」
彼女は静かな表情のまま、話を続けた。
大学を卒業した笹岡さんはニューヨークの日系企業に就職した。
同じころ、玲伊さんもニューヨークの美容院に勤めていて、笹岡さんがお客さんになったのがきっかけで知り合ったそうだ。
当時、互いに付き合っている人がいて、たまに4人で飲みにいくような間柄だったと彼女は言った。
「わたしの彼は日本人で、同じ企業に勤めていたの。その次の年、日本に帰って結婚することも決まっていて」
でも、幸せなふたりに悲劇が襲った。
週末、たまたま訪れた郊外のショッピングセンターで、銃の乱射事件に巻き込まれてしまったのだ。
しかも、笹岡さんの婚約者が彼女をかばって犠牲となってしまった。
婚約者を目の前で失った事実は計り知れないほど大きなもので、立ち直れないほどのショックを彼女に与えた。
「わたしはそれからすぐ、日本に帰って、仕事もせずに実家に引きこもっていたわ。その間もオーナーは何かと気にかけてくれていた。3年後〈リインカネーション〉の立ち上げメンバーに誘ってもらって、ようやく仕事を始めることができたの。思い出したのよね。彼、わたしが仕事をしているところが好きだと言ってくれたこと。きっと、家に引きこもっているわたしを見たら、がっかりするだろうと」
あまりにも衝撃的な事実に、わたしはどういう表情をすればいいのかわからず、下を向いてただ「そんな……」と一言呟いた。
目に涙がにじんできた。
わたしは慌てて、ハンカチを出して目に当てた。
そんなわたしを優しい眼差しで見つめながら、彼女は続けた。
「オーナーに大変な恩義を感じていることは確かだけど、恋愛感情を抱いたことは一度もないのよ。わたしは亡くなった彼しか愛せないから。話はこれで全部。後は信じていただくしかないのだけれど」
彼女は口元にかすかに笑みを浮かべた。