その後一週間、雨宮霊能事務所は休業することとなった。
雨霧による負荷も大きかったが、浸はそれ以上に肉体的なダメージが酷く、とてもじゃないが除霊など出来る状態ではなかった。和葉からすれば一週間でも短いくらいだったが、浸はとりあえず入院する一週間だけで良いと言って聞かなかった。
***
「……いやその……毎日のように来なくても大丈夫なのですが……」
ベッドから身体を起こし、困ったように笑う浸だったが、和葉は首を左右に振る。
「浸さん、放っておくと無理して除霊とかしそうなので定期的にチェックに来ますからね!」
「しませんよ。ふふふ……ここでは看護師さんや医者の先生に見張られてますから――――」
言いかけた浸の口に、丁寧に切られたりんごが突っ込まれる。浸はそれをそのまま口で受け取り、目を丸くしたまま咀嚼する。
「何言ってんのよ。アンタの無茶苦茶っぷりはこないだ再確認させてもらったから、警戒を強めさせてもらうわよ」
そう言って呆れ気味に嘆息しているのは露子だ。浸のお見舞いは大抵、和葉だけではなく露子も一緒についてきていた。
「……流石朝宮露子ですね。あなたの切ったりんごはおいしい」
「味変わんないでしょ。感謝するなら商店街の八百屋にしなさいよね」
「あ、私ももらっていいですか?」
「はいはい」
遠慮なくりんごを要求する和葉の口にもりんごを突っ込み、露子は小さく息をつく。和葉も浸も、マイペース過ぎて露子はついていくのが大変なのだ。
しかしそんな時間も、決して悪いものではないと露子は思い始めている。元々浸のペースに合わせるのは嫌いじゃなかったし、和葉のことも前回の一件で見直している。
最初こそどこぞのお嬢様でも紛れ込んできたんじゃないかと思っていたし、異様に高い霊力にはむしろ腹が立つくらいだったのだが……。おとぼけに見える和葉も、それなりに強い覚悟を持って浸の助手をやっているんだと露子にもしっかりと理解出来た。
それに、やたらと善良で若干とぼけたこの二人を放っておくのはなんだか危ないような気もしている。なるべくサポートしてやらないといけない、という使命感すら覚え始める露子であった。
「ま、この調子だと復帰も早そうね」
おいしそうにりんごを食べる浸を見て、露子は小さく息をつきながら微笑む。
「ええ、なんなら今日から復帰することも出来ますよ」
油断するとすぐこれである。
「……医者の許可が出るまでは入院してなさいよ」
「怪我の方は大したことないのですが……」
ピシャリと言い放つ露子に、少しだけ不満そうに浸がぼやいた。
「そっちよりも、雨霧の方が問題なのよ。しっかり回復するまでは大人しくしてなさいよね」
怪我の方も決して軽いわけではないのだが、入院する原因となったのは極度の疲労だ。怪我をした状態で強引に雨霧を使用し、雨霧の影響に耐え続けた浸の体力と精神力は凄まじいものだが、当然無理をしたツケは回ってくる。
(……それに、霊魂の方にもどれだけ悪影響が出るのかわかんないし……)
現状、浸の霊魂に何か影響が出ている様子はない。しかし、浸は恐らくこれからも雨霧を使うだろう。般若さんのような強力な霊が現れる度に。そうすることによって浸がどうなるのか、露子にも予想がつかない。ひとまず、雨霧は勿論除霊には関わらせたくなかった。
「とにかく、安静にしておいてくださいね! 事務所のことは私と露ちゃんに任せてください!」
雨宮霊能事務所は、定期的に和葉が整理することになっている。休業中にはなっているが、電話対応のために和葉が毎日通う予定だ。
「……そうですね。そうしましょうか……よろしくお願いします」
「はい!」
浸の言葉に、元気よく答える和葉を見つつ、露子はわずかに笑みをこぼす。
そもそも任すも何も事務所は休業中だとか、勝手に巻き込むな、だとか言いたいことはなくもなかったが、とりあえず流してしまうことにした。露子自身、とにかく浸が安静にしていてくれるなら、細かいことはどうでも良かった。
***
「……それにしても、あれで入院が一週間ってどんな身体よ」
浸のいない雨宮霊能事務所で、紅茶を飲みつつ露子はそんなことをぼやく。時刻は大体昼の12時を過ぎた頃合いだ。お見舞いの後、流れで和葉と共に事務所を訪れ、浸の日課だった掃除を二人ですませたところである。
もっとも、普段から浸が清潔にしているせいであまり掃除する場所はなかったのだが。
「……私、一週間じゃ動けるようにならないと思うんですけど」
「でも医者が一応診たのよ?」
「……そうでしたね……」
露子と向き合うようにして座り、和葉も紅茶を飲む。事件の後はバタバタしており、一日目のお見舞いも露子に予定があったせいでこうして落ち着いて話す機会はなかったため、ようやく落ち着いて話が出来る状態になって二人共安堵していた。
「……そういえば……半霊ってなんなんですか?」
ふと思い出して和葉が問うと、露子は静かに話し始める。
「その名の通り、半分人間で半分霊とかいう、特殊な状態にある霊魂のことよ」
「半分って……」
霊魂が霊化するのは基本的に死後の話だ。その道理が捻じ曲がっている半霊という存在は、霊に慣れていれば慣れている程異質なものだ。
「肉体は生きたまま、霊魂だけが淀んで悪霊化してるらしいわよ。十年くらい前に一度前例があるらしいけど、後は古い文献でしか聞かないわね」
「その十年前の半霊って、どんな半霊だったんですか?」
「あたしも詳しくは覚えてないわ。ただ、生きたまま悪霊化して、ほとんど怨霊みたいなものだったみたい。町一つ分巻き込んでデカい事件になったって聞いてるわ」
「……怨霊……」
怨霊、と聞いて和葉は思わず般若さんを思い出してしまう。完全に淀みきった霊魂からは、和葉の霊感応を持ってしても明確な共感反応は得られなかった。ただただ負の感情だけが流れ込んできて、恐ろしかったことだけを覚えている。
「まあ、あの赤マントがどのくらいの半霊なのかはわかんないけどね。アンタも、半霊が相手だとよくわからなかったんだっけ?」
「……はい。人間なのか霊なのか、それさえわからなかったんです」
「言っとくけどそれ、上出来だからね。人間でも霊でもないことがわかってるんだから、大したものよ。あたしだって、浸から聞いてなきゃ人間と間違えてたわよ」
半霊は霊魂こそ悪霊化しているものの、肉体は生きた人間のものだ。ソレを一目で半霊だと見抜くには、霊魂の状態を本質的に見抜く必要がある。
やはり和葉の霊能力は類稀なるものだ。そう感じて露子は溜め息をつく。圧倒的な才能というものは、どうしても世界のどこかに生まれ出てしまうものだ。努力では到達出来ない才覚は、確かに存在する。
「つゆちゃん……?」
「なんでもない。とにかく、現状あいつについてはまだ何もわからないわね」
結局、赤マントの目的はわからずじまいだ。正体もよくわからないまま、今回も取り逃す形になってしまっている。
「……私、あの人悪い人じゃないと思います」
「あの状況であたしに襲いかかってきたのに?」
顔をしかめる露子だったが、和葉は引かない。
「でも、健介くんを見たらやめたじゃないですか!」
「二対一で分が悪いと思ったんでしょ」
「それは……そうかも知れないですけど……」
意地を張ってこう言っているものの、露子にも赤マントが完全に敵だとは思えなかった。一時的とは言え、協力し合った仲だ。味方でもいけ好かないことに変わりはないが、完全に敵視するのはもう難しい。
「あの人、極力ゴーストハンター以外は巻き込まないようにしてましたよね」
「なんか個人的な恨みでもあんのかしら」
「……恨みは……なんだか違う気がしました」
赤マントの敵意は、もっと淡々としたものだった。
相手がゴーストハンターである、だから潰す。どこか機械的な判断基準で攻撃していたように、和葉は思う。
そしてそれは、直接相対して露子も同じように感じていた。
「……あーもーわけわかんない!」
赤マントのことを思い出してイラついたのか、露子がカップを乱暴に置きながら声を荒げる。
「もう良いわ! そういうのは今度考えることにして、なんか食べに行かない?」
「あ、良いですね! どこに行きますか!?」
「そうねぇ……今日はガッツリいきたい気分だし……」
しかし露子は知らなかった。早坂和葉が、浸がドン引きする程の大食らいだということを。
***
「……アンタ、胃袋おかしいんじゃないの……?」
和葉と露子が向かったのは回転寿司だ。露子が最初にしめ鯖を味わっている間に、和葉は唐揚げを注文しつつサーモン、いくら、まぐろ、玉子、鰤、イカ、タコとどんどん取っていき、それらをスムーズに口に運んでいく。
「こういう変わり種も良いですよね~~」
そんなことをのたまいながら、今度は焼き肉やハンバーグの乗った寿司を取り始める。和葉の見た目からは想像もできない大食いっぷりに、露子はついつい箸を止めてしまっていた。
「そういえば露ちゃんって意外と渋いチョイスしますね!」
「どーゆー意味よそれ……」
「しめ鯖とか、穴子とか……」
「アンタが子供っぽいのよ! あたしはそんな肉とかハンバーグみたいな邪道は興味ないんだから」
言いつつも、露子の視線は心なしかハンバーグの方へ向いている。それに気づいた和葉は、露子の顔を覗き込みながらいたずらっぽく笑って見せる。
「そうですか~?」
「な、なによ……」
「まあそう言わず、一つ食べて見ませんか? ほら」
和葉に皿を差し出され、露子は押し黙る。しばらく恥ずかしそうに和葉から顔をそむけていたが、やがて諦めたように箸をつける。
「どうですか!?」
「…………おいしいわよ」
「ほら~~~~~~~」
「あーもううっさいうっさい!」
実際のところ、朝宮露子はハンバーグが大好きである。
ただそれは彼女にとっては子供っぽいことなので、そう見られないために隠しているのだが、こうして差し出されると弱い。しめ鯖や穴子も勿論好きだが、ほんとは和葉のように躊躇なくハンバーグを食べたいのである。
あと、ケーキとかも。
「そういえばずっと気になってたんですけど聞いても良いですか?」
「何よ」
流れてきたハンバーグ寿司をしれっと取りつつ、露子が答える。
「露ちゃんの服って、いつもどこで買ってるんです?」
「ああ、これ?」
今日はかなり控えめな方だが、露子の服装は大抵ゴスロリ風のものだ。実は前から和葉は彼女の衣装に興味津々で、機会があれば聞いてみようとタイミングを伺っていた。
「行きつけの店があるのよ。行ってみる?」
「良いんですか!?」
「まあ今日は予定もないし……案内してあげるわ」
「ありがとうございます!」
嬉しそうにはしゃぐ和葉に、露子はどこか照れくさそうに顔をそむけてしまう。和葉のこの純粋な感謝を、露子は正面から受け取るのを気恥ずかしく感じてしまう。
「こういうのを着こなした上で大人として振る舞えるのが真の大人よ。アンタにそれが出来るかしらね!」
「がんばります!」
当然露子の論は建前で、本当は単純に趣味なのだが。
***
食事の後、和葉が露子に連れて行かれたのは「ドリィ」という名の小さな店だった。院須磨町内だが、和葉の来たことのない場所で、店にも景色にも見覚えがない。
「つゆちゃんはいつもここで?」
「まあね。個人経営の小さな店だし、あたしが来ないと潰れちゃうわ」
小さく鼻を鳴らしながら、露子はそんなことをのたまいながらドアノブに手をかける。
「ほら、入るわよ」
「あ、はーい」
露子に続いて店に入ろうとした瞬間、和葉は店のそばで蹲っている小さな影を見つける。
不思議に思って近寄ると、ソレが霊だとすぐに気がついた。
「あの、どうかしましたか?」
見たところ、悪霊化はしていない。声をかけると、顔を上げたのは和葉と同じくらいの年齢の少女だった。
「あの……お願いがあるんです……」
泣き腫らした顔でそう言った少女の言葉に、和葉は迷わず耳を傾けた。
***
ドリィの店内は、パステルカラーの壁やファンシーな小物で溢れかえっていた。他にはレジが一つとフィッティングルームが一つ。後は大量のワンピースやドレスばかりの店だ。アクセサリー等も販売されているが、レジ前に少し並べられているだけである。
「おっ」
露子が中に入ってレジまで進むと、ハスキーな声が上がる。
「露公(つゆこう)久しぶり。また破いたのかい?」
レジにいたのは長い前髪を真ん中で分けた、黒のストレートボブカットの女だった。女は切れ長の瞳で露子を見ると、茶化すように微笑する。
「違うわよ。……何咥えてんの?」
「飴。いる?」
「今日はいらない。ま、タバコよりは良いわ」
「言えてるね」
この女こそ、この店の店主である浅海結衣(あさみゆい)である。露子とは旧知の中で、露子が小学校低学年の時からの付き合いだ。
「もう吸ってないでしょうね」
「吸ってるよ。店の外でだけね」
「そもそも吸うなっつってんでしょ!」
「そら吸うよ。元ヤンだもん」
「経歴を言い訳にするな!」
あっけらかんと応える結衣に、露子は思わず声を荒げる。
露子が始めてこの店で結衣と出会った時、彼女はバイトとして仕事していたにも関わらず、店のレジで平然とタバコを吸っていたのだ。
こんなファンシーの店のレジで、ガラの悪い女がだるそうにタバコを吸いながらレジに立っていたら誰だって少しは驚くだろう。
「心配しなくても、商品には絶対に臭いがつかないように気を遣ってるよ。今はもう、ここはあたしの大事な店だからね」
「当然でしょーが」
腕を組んでそう答える露子に、結衣は穏やかな笑みをこぼす。
「ふふっ……いらっしゃい。いつものやり取りが出来てうれしーよ」
「……まあね。っても、今日は連れがいるんだけど……まだ入ってこないわね」
入り口に向かいながら露子がため息をつくと、まるでタイミングを合わせたかのように和葉がドアを開いて入ってきた。
***
「……綺麗な服が……着たい?」
少女の言葉を和葉が繰り返すと、少女はコクコクと頷く。
時間は遡ること数分前。ミカと名乗ったその霊の願いは、単純なものだった。生前着る機会のなかった、この店に置いてあるような服が一度で良いから着てみたいという、それだけの願いだった。
「私……生きてる間は全然そんな機会がなくて……っていうか、私が着るなんておこがましいというか……」
言いつつ、ミカは途中からブツブツと小声で呟きながらうつむいてしまう。
「おこがましいなんて……そんなことないと思うけど……」
「……ほんとにそう思う?」
そう言いながら、ミカは顔を上げる。
「よく見てよこのニキビ面、不細工でしょ」
「うーん、そんなことないと思うけどなぁ」
和葉には、ミカの顔立ちがそれ程不細工には見えなかった。確かにニキビが目立つものの、手入れでどうにかなる範疇だ。髪も癖が強いが、それよりも傷んでいることの方が気にかかる。あまり手入れせず、染髪を繰り返したのかも知れない。
「……自分が綺麗だからそんなこと言えるんだ……」
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
こういう態度に出られると、和葉はうまく会話が出来ない。何を言っても悲観的に取られ、卑下されてしまうとかける言葉が見つからない。なるべく傷つけないよう会話をしたいと思うからこそ、和葉は言葉が出にくくなる。これが浸ならうまく受け流しながら相手を肯定出来ただろうが。
「……まあいいや、それは……。そんなことより、成仏する前に私も、綺麗な顔で綺麗な服が着てみたいの。お願い」
そう言って、ミカは和葉にすがりつく。悪霊化はしていないようだし、もしこれが彼女にとっての未練なら、悪霊化前に成仏させられるチャンスかも知れない。
「うん、わかった。私に出来ることなら協力するよ。でも具体的にはどうすれば良いの?」
和葉が頷くと、ミカは暗かった表情を一気に明るくさせる。
「ほんとに!? ほんとに良いの!?」
「うん、出来る範囲で。こう見えても私、霊能事務所の人間なんだよ」
少し得意げに微笑む和葉の手を取り、ミカは僅かに涙をこぼす。
「身体を……少しだけ貸してください……」
「うん、勿論! …………うん?」
自分が何を承諾したのか理解した時には既に、ミカは和葉の中に入り込んでいた。
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