村一番の剣士。
ラースウェイトは、そう呼ばれていた。
それに驕ることなく鍛錬を続け、近くの森から時折現れる魔獣の討伐も、彼がほとんど一人で行っていた。
野犬のような習性を持ち、その大きさは優に人間を超える魔獣。
それは、普通ならば一人では狩れない。しかしその特性をよく理解し、動きを読み慣れさえすれば、達人の域に居る者ならば不可能ではない。
つまり、ラースウェイトはまさしく、腕の立つ男だった。
そんな彼は、ある日少し欲を出して森の奥に入った。
珍しい薬草を求めて。
村の子が数人、ひどい熱病にうなされていると聞いて、彼は居ても立っても居られなくなったのだった。
しかしそこで、薬草ではなく野盗を見つけてしまった。
まだ、野盗どもには気付かれていない。引き返すなら今しかないと息をひそめ、落ちている枝を踏まぬように身を屈め、来たままの進路を慎重に戻ろうとした時だった。
「もう、殺してよ! お前らのおもちゃにさえ、もうならないでしょ!」
――若い女の声。
いや、もっと幼い、少女の声だ。
ラースウェイトはすでに、助けなければと瞬間的に頭が切り替わってしまった。
少女の悲痛な叫びは、死を覚悟した上でなお、酷い目に遭わされることを知っている声だったからだ。
「その子に何をしている! 離れろ!」
プランも何もなく、剣を抜き放ちながら飛び出した。
それは、本当の対人戦を知らぬゆえか、もしくは、達人であることに今ここで胡坐をかいてしまったのか。
無策で人質の居る場に出たことを、彼は後悔することになる。
「なんだぁ? おにーちゃんカッコイイじゃねぇの。この辺のシケた村のもんかぁ?」
「たった一人でのこのこと。せめて金目のもんは持ってんだろうなぁ?」
野盗は一人ではない。
その確認すらせずに、ラースウェイトは飛び出したのだ。
深い森ゆえに木々が多く、視界が悪い。
少女の叫びに、反射的に動いたせいで、その彼女がどこにいるのかさえ、目視していない。
それは、致命的なミスをいくつも重ねているのだと野盗たちは理解していて、ニヤニヤと汚い笑みを浮かべている。
「にげて! おにいさん逃げて! わたしはいいからにげて!」
「駄目だ! 放ってはおけない!」
ようやく、その少女を視界に入れることが出来た彼は、その時になって己のミスを理解した。
少し大きな木を背に座り込み、身動きの取れない少女。
その子の前に立ち塞がり、血で錆びた剣を向ける図体の大きい男。
ラースウェイトが飛び出た眼前の木を挟んで、姿を現したひょろ長い男。
その二人の距離は、五メートルほど。
しかしその間にも、木々が邪魔をしていて直線で進むことが出来ない。
その上さらに、その中ほどの木から頭を覗かせた男が、煽りを入れた。
「おーおー。しびれるぅぅぅ。くぁあっっこいいぃねぇぇ!」
気持ちの悪いイントネーションで、絶妙に腹の立つ言い回しをする。
「今すぐ離れろと言っている!」
ラースウェイトはもはや、一歩でも少女に近づくことしか頭になかった。
木が邪魔でならない。
野盗どもが邪魔でならない。
そして、自分は大きな失敗をして、死地に立っている。
ならばと、彼は一人でも多く斬るつもりで歩を進めるのだった。
「あのさぁ、にいちゃんよ。こいつはもうすでに、俺らに何十回とやられちゃってんのよ。ボロ雑巾の、もうひとしぼりいっとうこうか? って感じなのよ。もぉぉぉお、おせぇのよ!」
「はやくにげて! ほんとにもういいの! だからにげて!」
「けなげだねぇぇぇぇlおめぇもよぉ。いいこと思い付いたぜ。最後にすがらせてやろうぜぇ。かんどーーの演劇といこーーじゃねぇぇか」
「あぁぁ? てめぇも物好きだな。好きにしろ」
野盗どもは、よほど趣味が悪い言葉を交わす。
そして、それが余計に、ラースウェイトの冷静さを失わせた。
「ほぉぉぉれ、にいちゃんよ。助けに来いよ。そのぶっそうなモンはそこに置いてな。そしたらぁぁぁぁ、助けさせてやるぅぅぜ?」
そんなはずはない。
そんな人の好いことを、この野盗どもがするはずもないというのに。
しかし、少女の前に立つ男が、錆びた剣先を首に当てているのが見えてしまった。
一人でも野盗を斬れば、少女は殺されてしまう。
ならば、ここに居る野盗を全て斬り伏せたとしても、何の意味があるだろうか。
「ちっ……。わかった。じゃあその子からさっさと離れろよ」
剣を地に突き刺し、また一歩を進める。
「おおぉぉぉこえぇこぇぇ。ヒャッハハハハハ」
また、別の場所から大笑いする野太い声がした。
一体、何人いるというのか。
つまるところここは、野盗どもの隠れ家の近くなのだろう。
まさか、野獣の棲み処である森の奥深くに、根城を持つ悪党がいるとは考えもしなかった。
その思慮の浅さが、今の結果を招いている。
「お嬢ちゃん、もう大丈夫……じゃないか。でも、今からもう大丈夫だから。俺が連れ帰ってやるか――」
「だめぇぇ!」
その絶叫は、誰の動きも止めることは出来なかった。
数居る野盗の一人がラースウェイトの後ろから剣を突き刺し、刺された彼はその一歩を、また一歩を、膝を震わせながら進む。
「うっ! く、そ。こんな、ことだろうと……」
己のせいだ。
浅はかで無策で、無駄に終わる一歩を踏み出した己のせいだ。
その無念が、彼の頭の中を巡っていた。
だからせめて、逃げはしないと決めていた。
だから無様でも、一歩だけでも少女の元へと歩を進めた。
「なんでにげないの! なんでにげてくれなかったの! わたしなんか、もう汚れきってきたないのに! どうせこの後殺されるのに!」
「……き、君は……かわいい、よ。それに、もっと……美人さん、に、なる」
「なにいって……」
ラースウェイトの背中と腹からは、大量の血が流れ出ていた。
おそらくもう、幾ばくも無い命だろう。
「き、きれい……だ」
「……おにいさん……。ありがとう。おにいさんの名前……おしえて?」
「ら、らぁす」
「ラース……。ねぇ、もし生まれ変わったら、あなたのおよめさんにしてくれる?」
「あぁ……あぁ。俺、で、よけれ――ぐぁっ」
その最後の言葉を待たずに、少女の前に立っていた男が新たに彼を突き刺した。
そして振り返ると、少女の胸も貫いた。
「――うぅッ!」
わずかに、即死しないような場所を刺すのは、男の趣味だった。
「はいはいぃぃ。二人仲良く、死んどけってぇぇぇの。オレさまやぁぁぁぁさしぃぃぃぃ!」
「趣味わりぃぜてめぇはよ。しかも小娘まで殺してんじゃねぇよ。てっきり、こいつの目の前で犯してやるのかと思ってたのによぉ」
「んなの散々してきて、飽きちまったのよ。たまにはよ、いい事もしとかねぇと? ヒャハハハハハ」
「ぶはははは! わりぃやつだぜぇ!」
最後の悪趣味な会話は、ラースウェイトと少女には聞こえなかった。
息絶えてしまった後には、どんな醜悪なものも見えないし、聞こえない。
膝から崩れ落ちて途絶えた彼は……もう、ほんの一歩だったが、届かなかった。
しかし少女は、その一歩まで来てくれた彼を、見上げるように絶命した。
**
「さて、次はお前です。スティア」
「は、はい」
女神セラは、表情こそ移ろわないものの、可憐さと美しさをそなえた少女のような美神だった。
その女神を前に、不遇な死をとげた少女は緊張のままに、檀上を上目遣いに見ている。
「お前は……随分と酷い目に遭ってきたようですね。転生できますが、何か希望はありますか?」
女神のやわらかで優しい声に、その魅惑的な言葉に、少女は緊張を超えて期待が勝った。
「希望? きいてくれるのっ? ですかっ?」
「えぇ。ただ、あまり大きなことは、お前にはしてやれませんが」
少女の期待に、その願望の強さに、美神は制限があることを先に述べた。
「それならっ! ラース様の元に! ラース様のおよめさんになりたいです!」
「ラース? あぁ、間際に側に居た、あの人ですか。うぅん……」
「で、できないんですか?」
「……彼は今、神霊となって私の使命を果たすために、働いているのです。人に生まれ変わっていません」
「それならっ! それならわたしもラース様と一緒がいいです!」
その意味も何も分からぬまま、少女は同じようにしてくれと懇願する。
「お前がですか? うぅん……まぁ、良いでしょう。しかしお前は、酷い目には遭ってきましたが功績が無い。神霊ではなく、せいぜい聖霊程度にしかなれませんが」
「それでも一緒に居られるなら!」
「では……そうですね。彼の霊格が高過ぎるのも枷になっているでしょうし……。良いでしょう。お前が役に立つこともある。ラースの元に送ってあげましょう」
そう言った美神は、ここにきて初めて、少しだけ表情を変えた。
何か後ろめたさを隠しているような、小さな怒りのようなものを誤魔化しているような、微妙な歪みをくちびるの端に見せた。
しかし、少女は喜びで気付いてはいない。
そも、気付くような者などいないくらいに、ほんの一瞬のことであったから。
「やったああああ! ありがとう! ありがとうございます女神セラ様!」
「聖霊の力の扱い、少し修練してからになさい。彼の元に降りるのはその後です」
「はいっ! わかりました! ありがとうございますっ!」
少女は、美神に言われたままに、力の扱いを覚えるまで真面目に取り組んだ。
すべては、死の間際に救ってくれたラースウェイトのために。
そして、自らの想いを遂げるために。
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