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明け方、俺が散歩に出かけようとすると、いつのまに背後から顔を覗かせたみどりが一緒に行きたいと言い出した。
たまには2人でなんてことのない雑談をしながら、オレンジの果実のようなスッとした光に染まり始める街をぶらぶらと彷徨い歩くのだって悪くないと思って、俺たちは2人で館を出ることにした。
「…朝のにおいがする」
「朝のにおい?」
館を出て少し歩いたところで深呼吸をしてからそう呟いたみどりに、どういうことだろうと聞き返すと、目を閉じたみどりがポソポソと小さな声で呟いた。
「昨日の夜降ってた雨の、少し湿ったにおいと、明け方にあるすっきりしたにおい」
「におい…?それ嗅覚って言うより触覚とかその辺じゃない?肌で感じた事っていうか…」
疑問をそのまま口にすると、ジットリとして俺を非難するような瞳が俺を見ていた。
「まったく…ラダオクンはコレだから…」
「なーにぃ〜?」
「ヤッチマッタナァ?」
「ちーがーう!」
パッと目が合って、手のひらをくすぐられたような、軽いくすぐったさに揃ってクスクスと小さく笑い合う。
「ねぇ、らだおくん」
ふと改まった態度で俺の方を向いたみどり。
「なに?」
俺もそれに倣ってみどりの方を向き直すと、ミシミシとどこからか嫌な音が鳴った。
辺りを見回しても、おかしな様子はない。
「?…ねぇ、みどり…なんか変な音が_」
「_んで」
「え?」
小さな声が聞こえてみどりを見ると、みどりの目からつぅー、と赤い液体が溢れていた。
右肩から心臓のあたりまで抉れたような傷があって、そこからも真っ赤な色で溢れている。
「ナんデ タスケて クれナかッタ ノ ?」
突然あたりの景色がドロリと溶け出して、足元に渦が巻き始めた。
「うわっ!?…何コレ、みどり_ワッ!?」
底なしの泥沼に沈むように、渦を巻いた赤い地面が俺の体をどんどん飲み込んでいく。
膝まで沈んだあたりで一度止まったかと思ったら、瞬間、ガクンと腰まで沈んだ。
「や、やだ…みどり!助けて、みどり!」
慌てて様子がおかしかったみどりが立っているはずの方向に手を伸ばすものの、そこにみどりなんていなくて。
「ラダオクン…ナンデ…ラダオクン…」
沼のように深い色の血溜まりの水面をブクブクと湧き上がったあぶくが揺らし、その揺れる音がみどりの声で俺への恨み言を呟いているだけだった。
「ぁ、ぁぁあ…」
トプン、小さな音が聞こえたのを最後に、俺の目の前は真っ暗になった。
・ ・ ・
_くん!
_ら…お、くん!
「ぅゔん…」
「らだおくん、朝だってばー」
ハッとして体を起こすと、部屋の入り口でみどりが口をへの字に曲げて不機嫌そうに俺の方を見ていた。
さっき俺が見たあのおかしな光景は、ただの悪夢だったのかもしれない。
時計を見ると、時刻はまだ午前5時を過ぎたばかりだった。
「先に行ってるからネ」
「…こんな早くから、どこに……?」
「?……らだおくんが“早朝の散歩に付き合ってくれ”って言ってきたんでしょ?」
きょとんとした顔で俺を見つめるみどりの目に偽りは無い。冗談じゃあないらしい。
じっとりと湿った背中が気持ち悪いし、一度お風呂にでも入ってさっぱりしたい気分。
それでなくとも酷い夢を見たのだから、今日はみどりと外へ行く、なんて気持ちはとっくに失せてしまっている。
「ごめん、やっぱまた今度にしよ?」
「エェ!せっかく早起きしたのに?」
「お願いみどり、また明日にしよう」
繰り返し懇願すると、みどりはせっかく早起きしたのにドタキャンされた苛立ちよりも、俺の様子がおかしいことへの心配の方が勝ったらしい。
部屋にテクテクと入ってきて、俺の額に手を当てると熱の有無を確認したあと心配そうに俺の顔を覗き込んだ。
「熱はないケド…らだおくん、調子悪い?」
「少し嫌な夢見ただけ…ごめんね、せっかく準備してくれたのに散歩行けんくなって」
「ンーン、気にしないで」
身体はだるいし頭もぼんやりしてたけど、もう一度寝る気にはなれなくて、みどりと一緒に部屋でだらだら過ごす。
途中でレウさんが向いてくれたであろう果物を食べながら、みどりの話に耳を傾けているといつの間にか1時間が経過していた。
「みっどぉ〜、いるぅー?」
「ァ…ちょっと行ってくる」
「待っ_!」
「スグ戻ルカラ!」
一階からコンちゃんに呼ばれたみどりはパッと顔を上げると静止する間もなく階段を下って行ってしまった。
あんな悪夢が正夢なはずはないけど、あまりにリアルな夢だったから怖くてみどりから目を離したくなかったのに…!
「まって、待ってみどり…!」
慌ててベッドから降りて、階段を下りる。
足が震えて力も全然入らなかったけど、気合と根性で玄関扉を体当たりするようにして勢いよく開けた。
「…朝の匂いがする」
ザワリと、全身が粟立つような不快感。
夢とまったく同じ表情で、声音で呟くみどりが今ばかりは恐ろしく感じた。
怖い。全身に血が足らないみたいに身体は冷えていて、呼吸もままならない。
「みっ、みどり!!」
「らだおくん?調子悪いんじゃ_」
「帰ろ、部屋に戻ろう?」
フラフラ千鳥足でみどりの腕に縋りついて懇願すると、みどりは困った顔をした。
「でも、コンちゃんに“お味噌汁のお豆腐がないから買ってきて”って言われてるから…」
「俺が行く!だからみどりは部屋に戻って!」
「わ、わかった…」
赤い買い物袋を受け取って、困惑するみどりを館の中に押し込んだ。
要は、みどりを外に出さなきゃいいわけだ。
いつものお味噌汁に入っている豆腐を売ってる店は、館から歩いて15分もしない近距離にある。
「ハァッ、ハァッ…ハァッ……!」
息苦しい。足が震えて上手く歩けない。
いつもよりずっと時間をかけて、豆腐屋さんまであと少しという時。
「ラダオクン!」
声を聞いて振り返り、愕然とした。
そして、それと同時に怒りが湧いた。
「な、んで…!なんで来たんだよ!?」
「ェ…?」
「俺が行くから部屋戻ってろって…ハァッ…俺、言ったよなぁ?…ゲホッ…ねぇっ!?」
「デ、デモ!らだおくんにお金渡すの忘れてたから…らだおくんが困ると思って_」
ほら、コレ。差し出されたお金をみどりの手ごと腕を払って退かす。
バチン!と痛そうな音が辺りに響いた。
「今すぐ帰れ!!」
……返事がない。
そうして間を空けて、ようやく自分が随分酷いことをしたのだと気が付いた。
そう気が付いてから顔を上げると、目に涙を溜めたみどりが叩かれた手を握って口をへの字に曲げていた。
泣きたいけど、泣かないように堪える姿に俺は慌てた。
こんなことしたかったわけじゃない、ただ悪い夢が現実と重なって…俺はみどりを守りたかっただけなの…!
「…!…………?」
声が出ない。どうして?
まるでお前のターンは終わったんだと言われているような気がしてしまう。
もう、俺が自由に動いていい時間はとうになくなったのだと。
「ヒドイヨ…ラダオクン……」
辺りが薄暗くなって、赤い影に沈む。
そういえば、起きてからずっとみどり以外の人を見ていない気がする…
「どウシテ?」
あぁ、また悪夢だ。
「ナんデ タスケて クれナかッタ ノ ?」
渦に飲み込まれた俺は、あっさりと意識を手放した。
【続】