テラーノベル
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足元から湧き上がった泥のようなインクは、一瞬にして屋上のコンクリートを、そして眼下に広がっていた札幌の街並みを呑み込んでいった。
視界を埋め尽くしたのは、漆黒の原稿用紙で組み上げられたような、底知れぬ空間。
耳元で、無数の「声」が渦を巻く。
『なんで私を置いていったの』
『あの時、本当のことを言っていれば』
『消したい、こんな過去なんて全部――』
それは、装丁家がこの本に閉じ込めてきた、この街の人々のドロドロとした後悔と未練の残骸だった。
冷たい泥のような悪意が足元から這い上がり、僕の膝を、胸を、喉元を締め上げていく。
恐怖で呼吸が浅くなり、自分の名前すら脳裏から削り落とされそうになる。
(これが……黄泉國さんが毎日のように耐えていたノイズの正体か)
あまりの重圧に意識が遠のきかけたその時、ポケットの中のルービックキューブがカチリと力強く音を立てた。
その音は、まるで静寂の暗闇に響く鋭い光のようだった。
ハッと目を開ける。
いや実際手の中のキューブから、一筋の温かい光が放たれていた。
揃っていた黄色と青の面が弾け、不揃いだった面が目まぐるしく回転し始める。
『助手くん。そんな暗い顔をしてちゃ、せっかくのオチが台無しですよ』
脳裏に、あの呆れるほど呑気な声が蘇る。
そうだ。あの人はいつだって、どんなに重苦しい怪異や悲劇を前にしても、くだらないボケを一つかまして、その場の空気を脱力させていたのだ。
「笑わせるなよ」
僕は喉の奥から声を絞り出し、足元にまとわりつく黒いインクを力任せに蹴り飛ばした。
「重たい過去だか未練だか知らないが……そんなもの、あの人の背負ってきた苦悩に比べたら、全然大したことないんだよ!」
その瞬間、手の中のルービックキューブが激しい光を放ち、黒い泥の奔流を真っ二つに切り裂いた。
闇の空間に亀裂が走り、バリバリと原稿用紙が破れるような音と共に、世界が破片となって崩れ落ちていく。
――ハッと息を吐いて目を開けると、そこは再び、冷たい朝日が差し込む観覧車の屋上だった。
足元のインクは綺麗に消え去り、僕の目の前には、分厚い革の本を抱えた装丁家が立っていた。彼女の開いた本からは、一筋の黒い煙が立ち上り、そのまま朝空へと消えていく。
装丁家は驚いたように目を見開いた後、ふっと憑き物が落ちたような、清々しい笑みを浮かべた。
「、、、見事ね。尊のノイズに耐えるどころか、それを自分の言葉で払いのけるなんて」
彼女は抱えていた本から一枚の古い紙片を抜き取り、僕へと差し出した。
それは、黄泉國さんの筆跡で赤字(校正)が入った、古い地図の断片だった。
「それが、私が保管していた尊の『初稿』の一部。次の頁へ進みなさい、執筆者くん」
僕は荒い息を整えながら、しっかりと探偵の助手として、その紙片を受け取った。
久しぶりー8月からって決めてたんだけど書いちゃった⭐️
久しぶりの誤字は報告!
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