テラーノベル
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リリアンナは半地下の自室へ戻るとチェストの中から着替えを取り出した。洗い替えはこれしかないので髪の毛から滴るインクで汚れないよう注意を払いながら、タオル代わりの布切れで包むと足早に屋敷の外へ急ぐ。 首都エスパハレは街の数か所に洗濯物を洗うための洗い場が用意されているのだが、今回リリアンナが向かったのはそこではなかった。
リリアンナは屋敷からさして離れていない場所をゆるゆると流れる小川へ向かうと、手にしてきた服を少し離れたところへ置いて、川の水に髪の毛を浸した。
途端リリアンナから薄墨色がじわりと広がって、水流に沿って拡散されていく。
そろそろ夏に差し掛かる頃というのは不幸中の幸いだったかもしれない。真冬にこんなことをしたら凍えてしまっていたはずだ。
リリアンナは丁寧に髪からインクを洗い流すと、滴る水滴をギュッと手指で絞り落とした。
リリアンナの緩いウェーブが掛かった髪の毛は柔らかな猫毛で、濡れると束の間ストレートになる。
リリアンナは粗方水気がなくなったところで、服を包んできた布切れを髪へ宛てがってポンポンと叩くようにして水分を布へと移していった。
さして吸水力の高くない布なので、そうしたところで劇的に水気が切れるわけではないのだけれど、それでもそうしておかないとせっかく持ってきた着替えがびしょ濡れになってしまう。
水滴が落ちない程度に水気をなくせば、本来のウェーブを取り戻し始めた髪の毛が首筋をふわふわとくすぐった。
リリアンナはキョロキョロと辺りを見回して、川べりの木陰へ入ると、人気がないことを確認してなるべく肌が露出しないよう気を付けながら素早く汚れた服から新しい服へと着替えた。
着替え終わってやっとほぅっと吐息を落としたリリアンナは、まだ乾き切らない髪の毛から服に水が沁み込まないよう布切れを肩に掛けて、いそいそと歩き出す。
一刻も早く屋敷へ戻らねば、どんな酷い目に遭わされるか分かったものではない。
***
細心の注意を払っていたつもりだったのに、恐れていたことが起こった――。
髪を洗って帰ってきたリリアンナは、エダに仕事をサボっていたと見咎められ、罰としてその日の晩と翌朝の食事を抜きにされてしまった。
食べたところで味は分からないリリアンナだったけれど、食べ物の摂取は身体を動かすためには必要不可欠。二食抜かれた状態で、調理場付近の床の拭き掃除をしていたら、日頃の栄養失調も祟ったのだろう。ふぅっと目の前が真っ暗になって、意識を失ってしまった。
その現場にたまたま居合わせたシェフが、かつての雇い主の遺児であるリリアンナを不憫に思い、ヤギの乳でパン粥を作って食べさせてくれたのだが、折悪しくそこを義妹のダフネに見られたのだ。
ダフネの言いつけで飛んできたエダは、リリアンナへの見せしめでもあったのだろう。
その場でシェフを解雇してしまった。
「たかだが十二歳足らずの小娘が恐ろしいこと。アンタがシェフに色目を使ってたぶらかすからこんなことになったんだよ! これからは掃除、洗濯に加えて三度の食事の支度もお前にやってもらうからそのつもりでいるんだね!」
冷酷に告げられた言葉に、リリアンナは青褪めた。
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