〈ストーリー〉
――あれは遠い日の蜃気楼のような記憶。
人気のない静かな砂浜を、二人きりで歩いていた。
砂を踏みしめる音とさざ波だけが聞こえる空間に、大好きな彼女の声が飛び込んでくる。
「綺麗だね」
「うん」
君のほうが綺麗だよ、って言ってみてもよかったのかもしれないけど、僕はそんなキザじゃない。
デートはいつもどちらかの家だったり近所のカフェだったりした。今日、正直外出は嫌いな僕を連れ出した理由は、夏イコール海だから、と言った。
彼女曰く、「夏は海にあなたと行きたかった」のだそう。あなたと行きたいなんて言われれば、断る理由などなかった。でもここも近場だ。
と、
「あっ、可愛い貝殻」
彼女が声を上げてしゃがむ。拾って手のひらに載せたものは、小さくてピンク色の二枚貝、その片割れだ。
「あげる」
僕に差し出した。
「いいの?」
うん、とうなずく。ありがとうと言ってそっとポケットにしまった。
「ねえ、ちょっと海に入ろうよ」
濡れちゃうよ、と言いかけたときにはもうサンダルを脱いでいる。
「ほら」と手招きをした。
まあいいか、とスニーカーを砂の上に置き、冷たい水に足を入れる。ひんやりとして心地よかった。
波が来て、彼女のロングスカートの裾を濡らす。
太陽が海面に反射してキラリと光る。
彼女がいたずらっぽく笑いながら水を掛けてくる。
かけ返すと、ちゃぷちゃぷと雫の音がする。
「あー、びちゃびちゃ」
「だから言っただろ、濡れるって」
苦笑しながらタオルで拭く。暑さはすっかり吹き飛んだ。
こんな訳の分からないことをずっと二人でやっていたかった。
ただ彼女という存在がいれば、他には何もいらない。確かにそう思っていた筈だった。
すやすやと眠る彼女の頬に、さっと口づけをする。まるで挨拶のように。
そこに感情はない。ほとんど無意識のようだった。
さっき家に帰ってきた彼女とすれ違うように、僕は家を出る。
今思えば、あの二人はすでに恋人じゃなくなっていたのだろう。
いつか言われるだろうと思っていた言葉を彼女が口にしたのは、朝日の綺麗なときだった。
「私、もう終わりにしたい。ここ出るから」
そういえば最近、彼女の持ち物が片付いてきているなと感じていた。
どこに行くの、と訊こうとしたが声が出ない。静かにうなずいた。
とっくの昔にこの恋は終わっていたはずなのに、目に見える終わりが来ると怖くなった。
情けない、と思いながらも涙を零す。見せたくないとうつむいて。
数日後、彼女は「もう行くね」と言った。何故かバッグ一つだった。でもこんなところで心配しても意味がないだろう。
今までありがとう――そうやってかっこよく別れるつもりだったのに、言葉が喉に突っかかっている。
結局お互い無言のまま、離れてしまった。
続く
コメント
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曲好きすぎるけど、物語なったらもっと大好きになった!!!