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そう思った時、風が桜の花びらをさらって行く。
遠ざかるピンクを見ていると、廊下の先に人がいる事に気付いた。
けれどそれは、死体のように見えた。
恐る恐る近付いてみる。
一歩。また一歩と、刺激を与えないように静かに歩く。
輪郭がはっきりと縁取られ、車椅子に座っている人だと分かった。
「あ、あの…」
声をかけても反応がない。
だらんと垂れた両腕は本物の屍みたいだ。
転校生との約束をすっぽかした挙句、一限目終了時までの暇つぶしをした罰なのだろうか。
先生が仕掛けたからくり人形だったら、叩きのめしてやる。
顔がはっきり見えてくる頃まで近付くと、それは死体でも人形でもなかった。
「やっぱ人ですよね…?」
端正な顔立ちにエメラルドの瞳をした男性だ。
私と同い年くらいといったところだろう。
「あの?貴方も暇つぶしですか…?」
瞬きもせず、こちらを見つめる瞳は光がなかった。光と言うよりももっと、生き生きとした輝きがない。でも、確かに生きている人だ。
私は思い切って、廊下に上がる。
彼の肩に触れそうな距離で、隣に立ってみる。
「ここ、綺麗な場所ですよね」
彼からは返事がない。
私が移動していることにすら気付いていないのかもしれない。
彼はずっと、一点を見つめているようだった。
「あの、本当に大丈夫ですか?返事くらいしてくださいよ」
彼の横顔を見つめる。無でしかなかった。
魂の抜けたような男性の首の後ろ。
車椅子を押すためのハンドルが見える。
「誰かに、連れてこられたんですか…?」
返事は初めからない。
私は迷いなく、空いているハンドルを持って、図書室へ向かった。私には拉致にならない考えが浮かんでいたから。
道中、彼に学校のことを説明していた。
この学校には、持病を抱えた生徒しかいないこと。今は授業時間であること。私は転校生を待っていたが、会えなかったこと。そういう私も、転校生だということ。彼に出会う前に仕入れた情報を、なんとなく一人で呟いていた。
彼はずっと無反応のままだったから。
説明と言っても、彼が私の話を聞いてくれていたらなと思う程度だった。
図書室へたどり着く頃、残り授業時間は15分しかなかった。
「さ。ここが図書室だよ。多分、貴方が噂の転校生だと思うんだよね」
勝手気ままに連れては来たけど、彼はきっと私が探していた転校生だ。
その転校生は重い持病を抱えていて、身体に障害があると聞いていた。聞いた限りだと、彼しかいないと思う。
「今の時間にほっつき歩けたのは、二人だけだろうしね」
彼の顔を見る。
話しかけられている事にも気付いていないのか、ずっと無表情のままだった。
私は重いため息を彼に浴びせてやった。
そして、気の向くまま本を物色する。
何も言わない彼は、私のミリーと同じだった。
「うわぁ見て、この本。表紙めっちゃ綺麗」
白い砂浜と淡い海。
その世界一面をラメのような光の欠片が漂っている。
その本を彼の目の前にかざす。
「ほら、綺麗。貴方のエメラルドの瞳も同じくらい綺麗だよ」
本を表裏にひっくり返す。
蝶の舞のように動かしては、本棚に戻す。
見た目が好みなだけで、読む気にはならない。
人間と同じだよね。
私は、急な冷静さを取り戻して心の中で呟く。
私はずっと言葉を発しない彼を気にしなかった。
変な人だとも、素敵な人だとも。
話そうと思えば話してくれる気がしていたから。
鐘がなるまでに、図書室を一周した。
本を眺めるよりも、歩く時間の方が長かったように思う。
入口に戻ってくる頃、一限目終了の鐘がなった。
「次は、座学だ…。多分、ペア学習あると思うよ」
私は彼を教室へ連れていく。
途中、授業を受けていた他の生徒とすれ違う。下の階から上がってくる生徒は、彼に目を奪われていた。
その視線が軽蔑のような気がして、私は足を止めることなく進んだ。
他の生徒が見えなくなって私は聞いた。
「ねえ、何も思わないの?さっきの視線とか」
彼は俯いていた。
私が車椅子を勢い余って引けば多分、同じくらいになる。
それくらい首が折れているようだった。
でもそれで、何を言いたいのか。
何がしたいのか。何一つ伝わってこなかった。
だから私はお構い無しに、教室へ連れ込んだ。
幸い、この座学を受ける生徒は二、三人程度のようす。
教室はがらんと空いていた。
適当な位置に席を取ると、彼が座れないことに気付く。
「そっか、車椅子のままだとダメだよね…」
先に席に着いたものの、二席ほど後ろに置いたままの車椅子に気付く。
未だ項垂れているような彼を、椅子に座らせようと立ち上がった時。
「キィ…」
どこかが軋むような音。
それと同時に、彼が自らに前進してきた。
「えっ…隣でいいの?」
私の席の横。車椅子ごと、鎮座する彼。
「なんだ、動けるんじゃん」
けれど、彼は驚いたままの私を一度も眼中に入れることはなかった。
そのままロボットのように動かなくなった彼。
表情も何一つ動かない。
彼を凝視していると、扉が閉まる音が聞こえる。
先生が入ってきたのだ。
私はすぐさま席について、彼と一緒に授業を受ける。
授業中、先生が文字を書くため、背を向ける。
一向に動作がない彼の様子を覗くと、彼は涙を流していた。
「えっ…どうして泣いてるの…」
小声で尋ねても反応があるわけもない。
エメラルドが溶けだすような潤んだ瞳。
でも、表情はない。
ただ静かに頬に涙がつたうだけ。