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少し店の中を探すと、さっきの子はすぐに見つかった。
店の隅の二人掛けの席で、一人でグラスを持つその姿は、とても綺麗だった。
「一人で来てると思うか?」
弘樹もすぐに見つけたようで、俺に尋ねる。
「いや、そんな感じには見えなかったけど」
「だよな」
そう言いながらも、弘樹は珍しく自らさっきの子の方へと向かって歩き出した。
視線に気づいたのか、さっきの子がゆっくりと俺たちの方を見た。
「一人?」
初めて聞く人からすれば、声を掛けるテンションには見えないだろうが、少し楽しげに聞こえた弘樹の声に、俺は本当に驚いていた。
「友達と」
少し警戒したような声音でそれだけを言うと、その子は視線をグラスに向けた。
「香織?」
その時、不意に聞こえた声に俺たちは振り返った。
そこには、声を掛けていた子とはタイプが違うが、遠目から見てもとても綺麗な子がいた。
スタイルも良く、歩くたびにふわりと背中でダークブラウンの長い髪が揺れる。
その仕草にはどこか洗練された落ち着きがあり、場の空気を変えるような存在感があった。
「友達、ってわけじゃないよね?」
そう言いながら、その子が俺たちの方へ警戒するように歩いてくる。
声のトーンは低めで、言葉は柔らかいはずなのに、どこか鋭さを感じさせた。
「違う。莉乃。おかえり」
香織と呼ばれたその子は、少し苦笑しつつ答える。
だが、その視線はどこか申し訳なさそうに見えた。
莉乃と呼ばれた子は、その場に立ち止まり、香織を一瞥する。
その仕草には、わずかな不信感がはっきりと感じ取れた。
弘樹のためにも、なんとか一緒に飲む口実を作りたい――そんな思いから、今度は俺がにこやかに笑いかけた。
その瞬間、莉乃と呼ばれたその子は目を見開いた。
ダークブラウンの吸い込まれそうな瞳と視線が交わり、俺も訳の分からないまま、その瞳から目が離せずにいた。
「副社長……」
呟かれるように零れ落ちたその言葉と同時に、彼女はくるりと踵を返すと走り出した。
「莉乃!」
驚いたように叫んだのは、初めに話していた香織だった。
俺は訳の分からないままその状況を見ていたが、不意に呼ばれた名前にハッとする。
「彼女、水川莉乃?」
俺の問いに、香織は驚いたように躊躇しつつ、小さく頷いた。
それを見て、俺は迷わず走り出した。
目立つ彼女は、店内が混みあっていたこともあり、すぐに追いついた。
「待て」
どうして追いかけたのかもわからなかったが、俺はなぜか彼女をトイレに向かう通路へと連れて行き、じっと彼女を見た。
「水川莉乃?」
俺から視線を外し、気まずそうにする彼女に、俺は確信した。
「へえ、意外。本当は遊んでましたとか、そういう感じ?」
俺のその言葉に、いつもの彼女からは想像できない表情で言葉が返ってきた。
「そんなこと関係ありませんよね? 今はプライベートですし」
キッと睨みつけられて、俺もなぜか少し楽しくなった。
「ふーん。こっちが本当のお前か」
にやりと笑った俺に、水川さんは驚いたような表情を浮かべた。
「副社長こそ別人ですね。やっぱりあの会社での嘘くさい笑顔は作り物だったんですね」
最後は呟くように言ったその言葉に、いつもの会社での演技が見破られていたことに驚いた。
「だったら何? お互いの本性バレたな」
そう言うと、俺は水川さんを壁へと囲い込むように立ち、上から見下ろした。
いつもと違い、下ろされた髪から少しだけ見える首筋、ゆったりとしているが女性らしい黒の長めのニットに、細身のパンツ。
いつもより高いヒールなのだろう。目線は少し高いが、それでもすっぽりと俺の中に納まる彼女は、やっぱり別人のようだった。
「いい加減にして! 私をあなたの遊んでいるような女と一緒にしないで!」
その意外な言葉と、はっきりと拒絶されたことに俺は驚いた。
俺の周りには、副社長だと知ると態度を変えるような女ばかりだったからだ。
今日の会社でのこと、そして今の彼女。
俺が興味を持つには、十分すぎる理由だった。
「別にそんなつもりはない」
興味を持った様子は見せずに、俺はそう言うと、「私は帰ります」と言って俺の手から抜け出そうとした。
「行かせない」
そう言って手を掴んだとき、彼女がなぜかかなり怯えたように手を引っ込めた。
その仕草に、俺はハッとして動きを止めた。
「どうして?」
キュッと自分の腕を握りしめた彼女に、俺は言葉を探した。
「俺の友達が、一緒にいた子に興味を持ったんだ。俺が言うのもなんだけど、弘樹はいい男だよ。チャンスをあげてほしい」
「そんなこと言われても、私には関係ないですし……」
少し悩むような表情を見せた水川さんに、俺は最後のとどめを刺すように言った。
「莉乃。上司命令」
その言葉に、水川さんが完全にイラッとしたのがわかった。
「わかりました、副社長」
かなり苛立った様子を見せていたが、俺も親友のために引くわけにはいかない。
水川さんが帰ると言えば、一緒に来ていた彼女も帰ってしまうだろう。
「それもなし。誠って呼べよ。敬語もなし」
「そんなの無理です!」
その言葉を封じ込めるように、俺はキスしそうなぐらい彼女との距離を縮めた。
「命令を聞かなければどうなるかわかる?」
これ以上ないぐらい低い声で言いながら顔を近づけると、莉乃は観念したように声を上げた。
「わかった。わかったから!」
すり抜けるように俺の横を通り過ぎると、柔らかな甘い香りが俺の鼻孔をくすぐった。
「誠。行こう」
俺は莉乃のその言葉に、小さく頷くと、彼女の後を追った。
今、目の前にいるのは誰だ?――そう思わずにはいられなかった。