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翌朝。カーテンの隙間から差し込む陽光が、ガッチマンの重い瞼を叩いた。ひどい二日酔い――というほどではないが、頭の芯がぼんやりと熱い。ガッチマンは、昨夜の記憶をパズルのピースを埋めるように手繰り寄せた。
居酒屋。若手の猛攻。牛沢の不機嫌そうな顔。 そこまではいい。問題は、自宅の玄関でのことだ。
「……う……わぁ…」
思い出した瞬間、ガッチマンはベッドから跳ね起き、顔を両手で覆った。
薄暗い玄関。
壁に押し付けられた背中の感触。
そして、鼻先が触れそうな距離で自分を見つめていた、牛沢のあの鋭く、それでいて悲しげな瞳。
『友達になら、こんなこともできるのか。……ガッチさんは』
あの時、牛沢は何を期待していた?
自分はなぜ、拒むことすらせず、あんなに心臓が痛いくらいに跳ねた?
「……友達。……うっしーは友達だよ?…うん、当たり前じゃん」
自分に言い聞かせるように呟いてみる。 けれど、昨夜の出来事がフラッシュバックした。
若手に迫られた時は、生理的な拒絶反応が真っ先に働いた。なのに、牛沢にああまで詰め寄られた時、自分は拒むどころか、吸い寄せられるようにその瞳を追いかけてしまった。
(もし、あのまま……うっしーが、キスしてたら……)
その先を想像した瞬間、ガッチマンは洗面所へ向かい蛇口を最大にして、冷たい水を顔に叩きつけた。 心臓の音がうるさい。これは二日酔いのせいじゃない。
昨日まで「俺なんかのこと、誰も好きにならない」と笑っていた自分が、今は牛沢という一人の男の気配に、何故かこれほどまでに動揺している。
友達という、ボーダーラインに初めて目に見えるほどの亀裂が入った音がした。
数時間後、スタジオにて
「……あ。…おはよう、うっしー」
スタジオに入ってきた牛沢の姿を見つけた瞬間、ガッチマンの声は妙に上擦った。牛沢はいつも通り、不機嫌そうな、だけどどこか疲れたような顔で「…おぅ」と短く返す。
「あ、のさ。昨日……最後まで送ってくれて、ありがとね。……迷惑、かけたかなって」
「…別に。いつものことだろ」
牛沢はマイクを弄りながら、一度もガッチマンと目を合わせない。その拒絶のような態度が、今のガッチマンにはひどく胸を締め付けた。
でも、なぜ怒っているのか、昨夜はどうしてあんなことをしたのか、知りたくてたまらない。
「うっしー、今日さ……収録終わったら、また、飯行かない? 二人で」
「…………」
牛沢の手が止まる。ゆっくりと顔を上げた牛沢の瞳に、ガッチマンは一瞬だけ、期待と恐怖が混じったような色を見た。
「……若手は、誘わないの?」
「誘わないよ。……うっしーと、二人がいいから」
無意識に口から出た言葉。 牛沢は少しだけ目を見開いた後、ふんと鼻を鳴らして顔を背けた。
「…そ。俺、結構あの人苦手みたいだから…ガッチさんと二人なら行くわ」
「うん、今日は二人で行こう」
少しだけ、2人の距離が戻る。
ガッチマンはふにゃりと笑い、いつものように牛沢の隣に座った。
収録終わりに来た居酒屋の個室。昨日と同じような喧騒の中にいるはずなのに、二人の間には、独特な沈黙が流れていた。
ビールジョッキの結露がテーブルに小さな輪を作っていく。 牛沢は、昨日の今日で誘ってきたガッチマンの真意が読めず、内心では冷や汗をかくほどの緊張感を抱えていた。
(……昨日のこと、怒ってんのかな、それとも、気持ち悪がられたか……?)
自分がしでかしたキス手前という暴挙。あそこで一歩引かれた瞬間に、すべてが終わったと思った。そもそもそんなことをするようなやつは友達とは言えない。ここでどれだけ叱咤されてもおかしくない。
そんな牛沢の思考を遮るように、ガッチマンが少し赤くなった顔を上げ、真剣な、どこか照れくさそうな瞳で口を開いた。
「……あのさ、うっしー。昨日のことなんだけど」
その瞬間、牛沢の背筋に電流のような緊張が走った。
「昨日のことは忘れてくれ」という拒絶か、それとも「もうあんなことはしないでくれ」という拒絶か。どちらにしても拒絶だな、と最悪の想定をしながら、牛沢はジョッキを握りしめる。
「昨日さ、俺、あの後ずっと考えてたんだよね。……後輩にキスされそうになった時、俺、体が勝手に動いて拒否したじゃん。あれ、なんか『大人として』っていうか、多分、自分があの子としたいと思わなかったから、ちゃんと拒否できたんだと思うんだよ」
ガッチマンは、手元の箸置きをいじりながら、ぽつりぽつりと独白を続ける。
「でもさ……うっしーに昨日の距離まで来られた時、俺、全然嫌じゃなかったんだよ。友達だから誰にでもそうかって言うと、多分、違う。…うっしーだから、『あ、キスしてもいいな』って、無意識に思ったのかなって。友達なのにさ……変だよね。おかしいよね、俺」
(……………..ん?…何言ってんのこの人)
牛沢は絶句した。あまりにも予想外の、そしてあまりにも破壊力のある告白に近い自己分析。
唖然として固まる牛沢をよそに、ガッチマンは止まらなくなった自分の思考を吐き出すように続ける。
「昨日、うっしー、ちょっと怒ってたでしょ? なんでだろうって、俺が何か悪いことしたかな、どうにかしなきゃって、今日ずっとそればっかり考えてさ。……正直、うっしーが怒ってた正確な理由は、まだよく分かってないんだけど」
ガッチマンは眉を下げて、困ったように笑う。
「うーん、うまく説明できないんだけどさ! 友達なら誰でもできるって訳じゃなくて….。とにかく、うっしーが俺にとって特別だから……うっしーにだけは、キス、できるのかもって。……それだけは、分かったっていうか………….」
言い切ったガッチマンが、返事がないことを不安に思って顔を上げると、牛沢が両手で顔を完全に覆い隠し、彫像のように固まっていた。
「……えっ、うっしー!? 大丈夫!? 酔いすぎた!?」
ガッチマンは椅子から身を乗り出し、焦ったように声を上げる。
「それとも俺、的外れなこと言ってもっと怒らせちゃった!? ごめん、変なこと言ったよね! 忘れていいから! うっしー、生きてる!?」
必死に覗き込もうとするガッチマン。
しかし、牛沢は指の隙間から、真っ赤になった顔を覗かせ、震える声で呻いた。
「………………ガッチさん、………それ…本気で言ってんの…?」
「え、あ、うん。……嘘じゃないよ。俺、嘘つけないし」
「………………あーーーーー……もう!!」
牛沢は、顔を覆ったままテーブルに突っ伏した。
自分を友達という名の箱に閉じ込めていた男が、まさか自らその箱をぶち破り、あまつさえ「キスできる」という爆弾を投下してくるとは。
怒っている理由が分からないと言いながら、その実、最も求めていた答えを無自覚に差し出してきたこの男。
(……勝ち目ねぇよ。……なんなんだよ、この人……!)
牛沢は、自分の心拍数が異常な速さで脈打つのを感じながら、指の隙間からガッチマンの心配そうな顔を盗み見た。
「特別」だと言われ、自分にだけその「鉄壁」が揺らいだことを告げられた。それがあまりにも巨大すぎて、今はまともに顔を上げることができない。
「うっしー?顔、赤いよ?救急車呼ぶ?」
「……ちょっと、……黙ってて。今、心臓が耐えきれないから……」
「えっ、心臓!?大丈夫!?」
「…だいじょばない」
しばらく考え込んでいた牛沢は、顔を覆った手の隙間から、消え入りそうな、確かな熱を孕んだ声で踏み込んでいく。
「……てか、何。……それ、どういう意味で言ってんの。……ガッチさんは、キスできるくらい、俺のこと好きなの……?」
その問いは、牛沢にとって命懸けの確認だ。
ガッチマンは一瞬呆気に取られた後、「え、ええ?」と顔を真っ赤にして、照れ隠しのように喉を鳴らして笑う。
「いや…うっしーのことはもちろん好きだけど!そんな、……なんて言うか、本当にキスするとか、好きとか、そういうのは考えたことなかったなぁ。ははは!」
ガッチマンは、その場の空気を軽くしようとするかのように、ジョッキに残った酒を煽った。
「……だろうね。知ってるよ」
彼には惑わされ慣れてしまっている。
牛沢は、低く、どこか諦めの混じった声で呟き、ようやく顔を覆っていた手を退けた。
その瞳は、酒に酔っているのか、それとも目の前の男に酔っているのか、濡れたような光を帯びて赤く染まった頬と相まって、酷く色っぽく見えた。
ガッチマンが「どうしたの?」と声をかけようとした、その時。
「……じゃあ、キス。してよ」
牛沢は、静かな個室の中ではっきりと言い放った。
そして、ガッチマンの反応を待つこともなく、そのまま平然とした顔で自分の酒を一口飲み込む。
「…………えっ?」
ガッチマンは、持っていた箸を落としそうになりながら固まった。
今、何て言った?
聞き間違いか。それとも、彼が冗談を言っているのか。
いや、今の牛沢の目は、冗談を言っている時のそれじゃない。
「え、う、うっしー!? な、何言っ……えっ、ええ!?」
ガッチマンは一気に顔を耳まで赤くし、ワタワタと両手を宙に泳がせる。
さっきまで「考えたこともなかった」なんて笑っていた余裕はどこへやら、自分から蒔いた種が、牛沢の一言によってとんでもない毒花を咲かせたことに、ようやく気づく。
「ちょ、どうしたのうっしー! 酔いすぎだって! さっきのは俺の例え話っていうか、その、信頼の証的な……!」
「……俺は本気だけど」
「――ッ!!」
牛沢はグラスを置き、じっとガッチマンを見つめる。
「してよ」と言った張本人が一番落ち着いているように見えるその状況が、ガッチマンの情緒をさらにかき乱す。
「な、……そんな、急に言われても……。だってここ、居酒屋だし、友達だし……」
「居酒屋じゃなかったらできんの?…ていうか『うっしーならできる』って言ったのは、ガッチさん、あんただろ」
逃げ道を塞ぐような、牛沢の静かな追及。
「……う、うっしー…………。……本気?」
「本気。」
牛沢の真剣な目を見て、ワタワタと動いていたガッチマンの手がゆっくりと止まり、テーブルの下に落ちる。
ガッチマンの瞳が、何か言いたげで、躊躇うように震えていた。
個室の空気は、もはや酒の匂いすら感じられないほどに張り詰めている。
「してよ」という一言。それがガッチマンの頭の中で、警報のように鳴り響いていた。
(……待って、待て待て。俺、何て言ったっけ? 『うっしーならできる』?
それを今、本当にやるの? ここで? うっしー相手に……?)
ガッチマンの脳内では、未だかつてない規模の会議が開催されていた。
十年以上の月日を積み重ねてきた親友という肩書き。お互いの私生活も、弱点も、情けない姿も知り尽くした関係。そこに「唇を重ねる」という、性愛的で決定的な一線を引くことが、どれほど恐ろしいことか。
目の前の牛沢は、逃げることも茶化すこともせず、ただ静かに自分を待っている。その真っ直ぐな瞳に、ガッチマンは自分が蒔いた種の重さを悟った。
(…ああ、もう…!……どうにでもなれ…!)
ガッチマンは、震える手でテーブルの縁をぎゅっと握りしめた。
喉を鳴らし、ごくりと唾を飲み込む。 心臓の音が耳元で爆発しそうにうるさい。
ガッチマンは、身を乗り出しゆっくりと、本当にゆっくりと、机越しに牛沢の方へ顔を近づけていく。
(うっしー……、本当に、するぞ。……いいんだな。俺、知らないからな……)
途中で止めてくれるのを待つかのようにゆっくりと顔を近づける。
鼻先が触れそうな距離までくると、 ガッチマンはそれ以上牛沢の顔を見ていられなくなり、ぎゅっと、目を閉じた。
暗闇の中で、自分の吐息が相手に届いているのを感じる。
いつ触れてもおかしくない。唇に、柔らかい何かが触れるのを、祈るような、覚悟を決めたような心持ちで、向こうから触れられるのをガッチマンは固まって待っていた。
……数秒。
……十秒。
いつまで経っても、唇への接触はやってこない。
代わりに聞こえてきたのは、微かな衣擦れの音と、そして――。
『カシャリ』
乾いたカメラのシャッター音が、静かな個室に響いた。
「…………え?」
恐る恐る目を開けると、そこに、唇を近づけているはずの牛沢の姿はなかった。
代わりに、スマホを構え、画面越しにニマニマと性格の悪そうな――いや、最高に無邪気な笑みを浮かべた牛沢が、こちらを覗き込んでいた。
「……あはは!めちゃくちゃ可愛いガッチさん撮れた。目ぇ瞑って待ってんの。ほら見て」
画面には、顔を真っ赤にして、必死に目を瞑り唇を突き出しているガッチマンの、情けないほどマジな顔が収められていた。
「あーーーーー!!!! やったな、うっしー!!」
一瞬の空白の後、ガッチマンは自分が盛大に釣られたことに気づき、噴き出すように叫んだ。
「これのためかよ!!何がキスしてよだよ! うっしー騙したな!わ、やられたー!俺の覚悟を返せよ!」
ガッチマンは顔を真っ赤にしたまま、半分怒り、半分はあまりの気恥ずかしさにのたうち回りながら、楽しそうに笑い声を上げた。
牛沢はスマホを大事そうに懐にしまい、満足げにビールを1口飲む。
「ガッチさんができるなんて言うから、どこまで本気か試しただけ。……いやぁ、いい顔してたわ。これ、一生の宝物にすんね」
「やめてよ! 消して! 今すぐ消して!」
ワタワタと手を伸ばすガッチマンと、それをひらりとかわす牛沢。
そこには、先ほどまでの湿っぽい空気は微塵も残っていない。
牛沢はスマホを握る手の中で、自分にしか分からないほどの微かな震えを隠していた。
(……あんな顔されたら、……本当にしちゃうだろ、危ねー……)
悪戯で上書きしなければ、自分の理性が先に死んでいた。
それを隠したまま、牛沢は笑い続けるガッチマンの前で、最高に幸福な敗北感を噛み締めていた。
一線を越える手前で踏みとどまった二人の夜は、こうして、いつもの騒がしい友情の形を取り戻して幕を閉じたのだった。
あの日、居酒屋での一件以来、牛沢の中にある何かが決定的に変わった。
相変わらず、ガッチマンの周りには例の若手実況者がうろついている。
収録の合間を見つけては「ガッチマンさん、これ新作の差し入れです!」「今度こそ二人で飲み直しましょうよ」と、見ていて吐き気がするほどのアプローチを繰り返している。
以前の牛沢なら、その光景を見るたびに胃の奥が焼けるような独占欲に苛まれていただろう。だが、今の牛沢は違う。若手の猛攻を鼻で笑い飛ばすだけの余裕が生まれていた。
「おーい、見てレトさん。今日のうっしー、妙に落ち着いてね?」
「ほんとだねぇ。いつもならあの後輩がガッチさんに触れた瞬間に、目が般若みたいになってるのに」
スタジオの隅でキヨとレトルトがヒソヒソと楽しそうに話している。
「これ、絶対なんかあったろ。ガッチさんとうっしー絶っっ対なんかあったろ!」
「絶対あったね。あんなに余裕の笑み浮かべちゃって。
……ねぇ、うっしー。なんか良いことでもあった?」
レトルトが牛沢に近づき、ニヤニヤしながら探りを入れてくるが、牛沢は「別に。」と、素っ気なく返す。だが、その口角がわずかに上がっているのを、鋭い二人が見逃すはずもなかった。
もちろん、全くイライラしないわけではない。
若手が顔を近づけ、ガッチマンの耳元で何か囁くのを見れば、反射的に「あいつ、マジで一回消してやろうか」というどす黒い感情が胸をかすめる。
(……けど、まぁ。いいよ。いくらアピールしたところで、ガッチさんはちゃんと他人とは一線は越えないように拒否するんだって分かったし)
牛沢は、あの夜のガッチマンの顔を思い出していた。
自分の前で、必死に目を瞑り、顔を真っ赤にして、震えながら自分と一線を越える覚悟を決めた、あの無防備な姿。若手には絶対に見せない、自分だけに許された、あの「特別」な時間。
そう思うと、どんなに過度な接近をされても、「お疲れ様、無理なこと頑張っちゃって」と、冷ややかな、絶対的な優越感を持って見守ることができるのだ。
不意に、ガッチマンが若手の攻勢をすり抜け、ふらりと牛沢の方へ歩いてきた。
「うっしー。こっちのマイクのチェック、もう終わった?」
「あぁ。あとはガッチさんとこのチェック待ち」
牛沢が顔を上げると、ガッチマンと視線がぶつかった。
その瞬間、ガッチマンは、若手に見せていた営業用の先輩スマイルではなく、心の底から安心しきったような笑顔で、ニコッと笑いかけた。
「……そっか。ふー…やっぱりうっしーの隣が一番落ち着くな」
その一言。そして、自分にだけ向けられるその表情。
牛沢は表情筋を必死に抑え込み、無愛想を装ってモニターに視線を移す。だが、その内心は、春の陽だまりのような安らぎと、爆発しそうな幸福感で満たされていた。
(……あーーー、もう。……ほんと、タチわりぃよ、この人)
「うわ、今の見た!? うっしー、あからさまに顔緩んでんじゃん!」
「幸せそうだねぇ。イライラしたり、ニヤニヤしたり。忙しいね、うっしーは」
背後で騒ぐ外野の声など、今の牛沢には届かない。
若手の空回りを見守りながら、ガッチマンがくれる特別を独占する。
牛沢は、満たされた心で、今日もまたガッチマンの隣という特等席に居座り続けるのだった。