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保谷東
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スケ
盗みを失敗した上に、カミが捕まっちまった。
あんなヒョロ長い優男に。
見た目で敵を侮っていた。カミなら三つ数える間に地面に転がすと思っていた。そもそも俺の企んだ盗みが……。いや、目を逸らしちゃダメだ。問題はそこじゃない。それも問題だけど、もっと大きな問題が俺を見下す。
怯んで、逃げてしまった。
「クソッ!」
鴨川にかかる唐橋を渡ったところ。人目に付かない原っぱで子分どもと落ち合い、俺はそこにあった岩を思い切り打っ叩いた。
骨に鈍い痛覚が響いたが、もっと激しい痛みを俺は望んだ。明日から一緒に暮らそうと思っていた大事な友達を、俺は……。
「ま、捕まっちまったもんはしょうがねえ」
ヒゲ面の子分が、地べたに胡坐をかいて言った。
見るとどこでかっぱらってきたのか、のんきに干し飯なんか頬張りニヤついていた。カミの犠牲の上で逃げおおせた安心感からだろう。こいつら……。
「あの鬼女はカミの器じゃなかったってこった。機転は効かねえしなあ。最後に吾らを逃がしてくれたのはお手柄だけどよ」
なあ? と呼びかけると、子分どもはドッと笑った。
しょせんは鬼女だ。祭り上げるトカゲの尻尾は誰でもいい。子分どもの態度は言葉よりも雄弁にそう語っていた。こいつらの腹の底なんか分かっている。こちらも利用していたフシがないとは言えない。が、いまは虫の居所が最悪だ。
「クソどもが汚ねえツラで話しかけんな!」
俺はツノに意志を込めた。十人ほどの子分が固まるその場所を泥に変え、足場を悪くしたところを殴っていくつもりだった。いつもなら、そうなっていた。
だけど、野は野のまま。いつまで経っても泥には変わりはしなかった。
歩けと命じなくても足が勝手に歩を進めるように、土を泥に帰る感覚は生まれて以来、体に染みついている。なのに……。
力が使えない? どうしていきなり?
俺は子分どもと決別し、夜盗を解散させた。
そしてカミを探すために都に潜るが、その消息は杳としてしれない。
徒党を組まなくても市の蔵から飯をかっぱらい、自分の食う分くらいは困らなかった。力は戻らなかったが、身軽な体はあるし生きるには事足りた。
ただ泥が使えない不便はどうにも心許ない。なんとかならないかと試してみるが、そのたびに心に住むカミのあの笑った顔が苦痛に歪む。
どうしちまったんだろうな。
俺は苛立ちと共に過ごし、あのときの検非違使について調べを進めていった。しかし得られた情報は妙なもの……。いや、得られなかった情報という方が正確か。
いくら探りを入れても、あの日、検非違使に捕らえられた罪人が浮かび上がってこなかった。検非違使の放免どもを一人一人殴って聞き出したが、口は異なれど出てくる言葉は同じ。まったく手がかりが掴めない。
どうしてここまで、カミの居所は掴めない?
俺らの罪を考えると杖罪で済むとは思えない。かと言って看督長辺りを裏から当たってみても、獄なんかで拷問されている風でもないようだ。あの日からカミの居所が煙のように散ってしまい掴めない。
「――面白くねえ」
居所さえ分かれば、たとえ死んでも助けに行くつもりだった。そうすることであのとき、カミを見捨てた自分を救える気がしたからだ。
俺は手がかりを求め、その夜も根城にしている糞小路をウロついていた。ならず者の中には事情通もいる。聞き出してやろうと思っていたが……。
ふと騒ぎが聞こえた。
目を向けると、ここから一町もいかない辻で人だかりがある。ケンカなら面白そうだと思った俺はたたたと走り、ぴょんと跳んで人垣の中を覗いた。
だけど一瞬見えたそこで行われていたのは愉快なケンカではなく、大男が女童を甚振り追い詰めている場面だ。
「おい、ありゃなんだ」
俺は中を見る野次馬の背中をつついた。
「あーん。よく知らねえけど、大きいのは人商人の下人だってよ。あのちっこいの捕まえて売るんだとさ」
「あ?」
ひどい話があるもんだ。俺は高背を活かし、つま先立ちで中を覗く。
女童は表情を崩し泣いて男から逃げ、人垣の輪の中を行ったり来たり。可哀そうにと思い眺めていると、ちらりと見える女童の額のツノ。
――ああ、鬼女か……。
なんとなく、風の沙汰でそういう話は耳にしていた。少し前に鬼女を商う人商人が殺されたと聞き、ざまあみろと笑っていたのだが……。
胸糞が悪い。が、この人だかりじゃ助けようもない。
もう立ち去ろうと、俺は人垣に背を向けた。そのとき、にわかにうしろがどよめき、女童の悲鳴が糞小路に響き渡った。
捕まったのか。
そりゃそうだろうな。いくら鬼女でも童。男と体格差があり過ぎる。
だけど……。
うしろ髪を引かれるこの感じ。
かつて助けられなかった友を思い出す。
「おい」
気が付くと俺は戸を引くように野次馬を腕でどかし、中央の大男に威嚇する声を投げていた。
ほとんど無意識の行動だった。不利な中で見ず知らずの人間に手を貸すような、そんな殊勝な女ではないのに。もう、吐いたツバは呑み込めない。
「クソの人商人がよ、面倒くせえマネさせやがって」
「ああ? なんだてめえ」
「その汚え手を放せ。子は俺がもらう」
「なんだ、同業かよ。だけどちょっと遅かったな」
大男は鬼女の首根っこを乱暴にひっ掴んでいた。そのまま持ち上げ、見せびらかすようにこちらに向ける。
女童はもう諦めたのか、虚ろな目で俺を見つめていた。
犬っころみたいな目。控え目な一本ヅノ。そっくりだ。――クソ!
「てめえみてえな腐れ外道と一緒にすんな。人に手ぇかけねえのが俺らの信条よ」
「で、そのご立派なお方がなんの用だ? ……って、ん?」
大男は俺を凝視して、にたりとくちびるを歪めた。
「なんだよ、お前も鬼女かよ! こいつは運がいい!」
「あ?」
「おい、お前ら! 見物してる場合じゃねえよ!」
大男は人垣をぐるりと見回した。
「こいつ生け捕りにしろよ! 生け捕りだ! 上手いこと捕まえたら、俺の主人からたんまり褒美が出るぜ! たらふく飯を食える! 約束する!」
場が大男の言葉でどよめく。それは最初こそ不信と期待が拮抗する喧騒だったが、次第に盛り上がりを帯びて熱を持った。目の前にエサを垂らされたときのこいつらの反応をちゃんと知ってやがる。
――厄介だ。
俺は舌を鳴らし、左右を確かめる。
野次馬どもは三十人くらいか。エサに釣られてまだ増えるだろう。いくら鬼女でも泥の力を使えないいま、この人数に殴り合いで勝つのは難しい。女童をかばってだとなおさらだ。
ただ逃げるくらいはできるだろう。そこの家に飛び乗り屋根を伝えばいい。そうすべきだ。見ず知らずの鬼女のために、俺が命をかけてやる道理もない。
ないのだが……。
ふと見ると女童は心細そうな瞳で、俺を見ていた。目が合うと微かにくちびるを動かし、こちらになにか伝えてくる。俺は動きを見つめた。
に・げ・て。
女童は確かにそうくちびるを動かしていた。出会った頃のカミそっくりの、犬っころみたいなその眼差しで。あのときにそっくりの、この場面で。
「……上等だよ」
俺は首を鳴らして、構えを取った。
恐怖がなかったとは言わない。不合理な行動をする自分に疑問もあった。色んな感情が胸に渦巻いていたが、この子を助けることが自分への贖罪になる気もしていた。
「かかってこいよ、恥も知らねえクソども!」
叫ぶと、人垣が崩れならず者どもが腕を振り上げて向かって来る。
死も有り得る。だがもう逃げない。あのときの自分と決別する。
痛みを覚悟し、俺は体に力を込めた。
――すると突然だった。
ふっと目覚めたように、不意にツノが疼く。
あのときに置いてきたなにかが、しばらくぶりに戻ってきたこの感じ。力が目的を果たしたがっている。
なんとなく、俺は実感として分かった。これはあのときの続きだと。
四方から迫るならず者を睨み付けると、俺は久しぶりのそれを、思い切り地面の中に叩き付けた。
※
「で、戻った力は強くてな。前よりだいぶ深く泥を作れるようになった」
スケはならず者をみんな泥に沈め、鬼女の童を救い出した。
ただ彼らが首だけ出して埋まっていた件は怪異として検非違使の知るところとなり、力の内容を知られていたスケは都で警戒されているらしい。しばらく都に隠れていたけど手が回ってきて、だから身を潜めるためにいまはここにいる。
もしかすると保憲さまは、検非違使と通じてスケの動向を把握していたのかもしれない。
「――あの童は家を放り出されたとこだったんだと。だからちょっと足伸ばして、西の悲田院に預けた。評判の良い坊主がいるらしくてな」
「その子……、たぶん知ってる。確かにいたよ。お坊さんにしがみついてた」
「似た者同士、どっかで縁があったんだな」
驚きを示すと、スケはくしゃっと破顔する。そして組んだ手で後頭部を支え、じっと天井を見つめた。
「だから、カミよぉ。力……、お前らは呪って呼んでんだよな。そいつはきっかけがあれば戻るんだよ。ものの覚えで言やあ、自分の中で止まってるだけだ」
「どうやったら、戻るの?」
わたしは膝を立てた足を抱きながら、窺うようにスケを覗き込んだ。
「分かんね」
「頼りないなあ」
「でもな」
スケはわたしに目を移した。
「さっきも言ったけど、止まっているんだ。体に眠ってるっていうか、そんな感じで。だから失ったわけじゃねえ。呪はまだカミの中にいる。これは絶対だ。だからよ」
「なに?」
「やっぱりお前は帰りな。その坤鬼舎に」
真っすぐにわたしを見て、スケは言った。心の奥深くまで見透かされているような、透徹した眼差しだった。
「……無理だよ。呪が使えるならともかく、ないから追い出されたのに……」
「なくはない。カミん中に眠ってるんだからよ。理屈としちゃあ坤鬼舎にいてもいいはずだ。そうだろ?」
「でも」
返答に窮して俯く。坤鬼舎に住まう鬼女たちの関係性を説明したかったけど、わたしの言葉で正確に伝える自信がなかった。ただ、
「わたしが、坤鬼舎の仲を乱してたみたいだから」
苦笑いをつくって、そう伝えた。
スケは太い息を吐くと、少し眉をしかめた。
※
その日はスケと魚を捕り、水を汲み、語らって床についた。
岩窟に枝を敷き詰め、上に葉をかぶせてざっとこしらえた寝床。だけど久しぶりに彼女と寝られると思うと心が躍った。わたしはスケの隣で、体を押し付けるように横になった。
岩窟の夜は、少しうるさい。空気の通りがずっと風音を作るから。不快ではないけど、比較して坤鬼舎の夜はなかなか『あはれ』だったなと思った。
坤鬼舎の庭、もっと綺麗にしておけばよかったな。
少し、後悔が頭をもたげた。スケの手を探し、きゅっと握る。
「眠れねぇのか」
スケがこちらを向いた。
「ちょっと。寝床に慣れてないだけ」
「じゃあよ、眠れねえついでに、ちょっといいか。朝からずっと考えてたんだけど」
「なに?」
わたしは期待して顔を上げた。また彼女と話ができると思った。ああ、スケはなにを語ってくれるだろう。わたしはなにを語ろうか。二人の空白をどう埋めよう。
「お前は」
「ん」
「やっぱり坤鬼舎に戻れよ」
「……どうして? わたしが邪魔?」
「違う」
「ちゃんと働くよ。魚も捕るし、山菜も鳥も捕る。水だって汲んで来るよ。だから、一人にしないでよ。お願い」
「そういうこっちゃねえ」
寝藁の上で、スケは体を起こした。
「カミは、その坤鬼舎って場所を自分の居所所だと思ったんだろ? 話してるときのお前のツラで分かるよ。俺らとつるんでたときとは違う、あったかい表情だった」
「でも……」
「戻れない? 違うだろ。お前は戻るのが怖いのさ。戻って他の鬼女たちから厄介者扱いされるのが。鬼女たちの心の中からも居場所を失うのが。その男の邪魔者を見る目がよ」
「晴明さまは……、そんな目でわたしを見ない」
「なら、遠慮はいらねえ」
スケは葉っぱの下で、わたしの手を握り返してきた。
「なぁ。俺らはよ、こんなクソみてえなツノのせいでやいのやいの世間で言われて、お天道様にだいぶ貸しがあるはずだ。ちょっとくらい図太くなったって、バチは当たんねえや」
「そうかな」
「そうさ」
スケはニカッと白い歯を見せた。わたしが何度も救われた、幼い頃からいつも側にあった笑顔だった。
「さ、もう寝よう。ずいぶん疲れてるだろ、カミ」
「ちょっとだけ。昨日から、あんまり寝てなかったから」
言うと、スケはわたしを抱き寄せて目を閉じた。わたしも倣って目を閉じると、冷たい季節に手を当てる焚火のように、冷えた心が温まった。
坤鬼舎のみんなも、もう寝たかな。
眠りに落ちる前に、そう思った。
その夜はあの頃の夢を見た。
※
起きるとスケはいなかった。
わたし一人が寝藁の上で眠っていた。
昼まで待ったけれど、あいつは帰って来なかった。
もうここには来ないな。長い付き合いが、そう分からせた。
そしてそれはスケなりの優しさなのだと思った。あいつがわたしを嫌うはずがないから。それだけはこの世の絶対だから。だから涙は流れなかった。頬を滑り落ちるのは、たぶん別のなにかだ。
きっとまた会える。だってあいつはわたしの行く場所を知っているんだから。これはきっとそういう意味。
「よし!」
と、気合を入れたはいいものの、やはり涙の決別のあとに、ひょっこり戻ってしまうのはなんというか、ちょっと気まずい。
わたしは坤鬼舎に続く小路の前、モリの小屋の陰から体半分だけ見せ、奥の方へじっと視線を送っていた。
分かっている。見ているだけでは始まらない。そろそろ日も暮れてしまうけど、だけどいったいどのツラ下げて帰ればいいのだろう。これまで色んな恥をかいてきたけど、やはりこれは極めつけだ。そもそもスケはああ言ったけど、受け入れられるとも思えないし……。
いやあ、帰ってきちゃいました。って笑って登場する?
どうしてもここに置いて欲しくて……。って神妙な態度を示してみる?
いや、どれも難しいだろうな。
こういうときこそ晴明さまがいて、
「やっと帰ってきたな」
そうそう。そんな具合に迎えてくれたら他の姉さまたちも……。
わたしは首を傾げ、うしろを見る。そこには蒼々とした目が険しくこちらを見つめていた。
「せ、せせせせ晴明さま!」
大慌てで土煙を立てて後退り、地面に三つ指をついた。そして穴を開けるほど勢いを付け、額のツノを土にこすりつける。
ああ、この人、きっとわたしに気付いて、気配を断ってそっとこっちに来ていたんだ。人が悪すぎる……!
「久しいな、夜火」
「あの、……どうか、お許しください。別れの顔をお見せしたくなく……」
「全くだよ。一昨日に会いに来てみれば、もう夜火がいないと言うんだからね。焦ったけど、帰ってきてくれると思ってた。あんまり心配をさせるな」
「ううう……」
こんなときにこの言葉。わたしが泣くのを分かっていて、本当に人が悪い……。
「あの、わたし……」
「分かってるよ」
晴明さまはわたしの前に立つと、ツノをつまんで顔を引き上げた。
「ま、顔を上げなさい。ここでお前を待っていた。せっかく戻っても、いまの坤鬼舎はちょっとよろしくないもんでね」
「いまの?」
「戻る時宜に非ずということだ。私がいても、あまりよくない。おいおい話そう。付いてこい」