テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#❤️💙
みら

19,807
207
15
バーからの帰り道。
阿部と目黒は、いつものように並んで歩いていた。
夜風は少し冷たくて、酒の入っていない阿部の頭は今日はずっと冴えている。
「今日はちゃんとノンアルだったね」
目黒が笑う。
「ふっかのせいで学んだから」
「もう強いの飲まされないようにしないとね」
「ほんとに」
そんな話をしながら、アパートへ向かう。
少し前まで、この道を一人で歩くことも多かった。
今は、目黒と一緒に帰ることの方が自然になっていた。
アパートが見えてきたところで。
目黒が急に言った。
「あべちゃん」
「何?」
「これ」
目黒がポケットから何かを取り出す。
小さな鍵。
阿部は首を傾げた。
「鍵?」
「うちの」
「……え?」
目黒は阿部の手を取って、その手のひらに鍵を置いた。
「合鍵」
阿部は鍵を見る。
「なんで?」
「だって」
目黒は、何でもないことのように言う。
「合鍵ぐらい必要でしょ」
その瞬間。
胸の奥が、ざわっとした。
「……」
阿部は目黒を見る。
今の言葉。
知っている。
そんな気がした。
誰かに。
同じようなことを言われたことがある。
あるいは。
自分が誰かに言ったのかもしれない。
手のひらに置かれた鍵。
少し照れたような笑顔。
『合鍵くらい必要でしょ』
頭の奥に。
何かが浮かびそうになる。
「……あべちゃん?」
目黒の声で、意識が戻る。
阿部は鍵を握る。
「ごめん」
「どうした?」
「今の言葉」
「うん」
「なんか……知ってる気がした」
目黒の表情が、一瞬だけ止まった。
「前にも聞いたことあるような」
「……」
「でも」
阿部は眉を寄せる。
「やっぱり思い出せない」
何かある。
確かに。
でも、掴もうとすると消えてしまう。
目黒はしばらく阿部を見ていたが、やがて小さく笑った。
「無理しなくていいよ」
「うん」
また。
それだった。
思い出さなくてもいい。
目黒はいつもそう言う。
阿部は手の中の鍵を見る。
「……これ、ほんとにもらっていいの?」
「もちろん」
「俺、勝手に入るかもしれないよ」
「いいよ」
「ほんとに?」
「むしろ入って」
「それはちょっと怖い」
目黒が笑う。
阿部もつられて笑った。
それでも。
鍵は大切に鞄へしまった。
部屋に着くと、今日はそのまま目黒の部屋へ入った。
もう何度も来ている場所。
最初の頃は少し緊張していたのに、今は自分の部屋と同じくらい落ち着く。
阿部がソファに座る。
目黒は冷蔵庫から水を出し、二人分グラスへ注いだ。
「はい」
「ありがとう」
受け取って、一口飲む。
目黒も向かいに座った。
少しだけ静かになる。
阿部は何となく目黒を見る。
「めめ」
「ん?」
「今日、仕事どうだった?」
何気なく聞いただけだった。
でも。
目黒は少し間を置いた。
「ああ」
「何?」
「仕事」
グラスをテーブルへ置く。
「辞めた」
「……え?」
阿部は目を丸くする。
「辞めたの?」
「うん」
「いつ?」
「今日」
「今日!?」
思わず声が大きくなる。
「急じゃない?」
「そう?」
「そうでしょ」
阿部は目黒を見る。
「この前まで普通に仕事行ってたじゃん」
「まあね」
「何かあったの?」
「別に」
目黒はあっさりしている。
あまりにも。
「じゃあなんで?」
聞くと。
目黒は少し考えてから言った。
「せっかくだから」
「うん」
「一般人みたいな生活、してみたかったんだよね」
阿部が止まる。
「……一般人みたいな?」
「うん」
目黒は笑う。
「普通に働いて、帰って、ご飯食べて。休みの日に出かけて」
阿部は少しだけ首を傾げる。
今まで。
目黒は会社員だと言っていた。
普通の会社員。
そう聞いていた。
なのに。
今の言い方。
まるで。
本当は一般人ではないみたいだった。
「めめって」
そこまで言って。
止めた。
何者なの?
そう聞こうと思った。
でも。
なぜか。
聞かない方がいい気がした。
今。
無理に知らなくてもいい。
目黒が自分にそう言ったように。
阿部も。
今はそれでいいと思った。
「そっか」
それだけ答える。
目黒が少し驚いたように見る。
「聞かないの?」
「何を?」
「なんで一般人みたいって言ったのか」
「ちょっと気になるけど」
阿部はグラスを見る。
「めめが話したくなったら聞く」
目黒は。
しばらく何も言わなかった。
それから。
少し嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「でも」
「うん?」
「仕事辞めて大丈夫なの?」
「大丈夫」
即答。
「お金とか」
「困らない」
「……俺と似てるね」
阿部が笑う。
一生暮らせそうなほどのお金が入った通帳。
理由の分からない自分。
そして。
仕事を辞めても困らない目黒。
少し。
似ている。
でも。
今は。
それ以上考えなかった。
「じゃあこれから何するの?」
阿部が聞く。
目黒は。
少しだけ距離を詰めた。
「あべちゃん」
「何?」
目黒が阿部の手を取る。
「これから」
指を絡める。
「ずっと一緒にいようね」
阿部は。
一瞬、何も言えなかった。
言葉自体は。
嬉しい。
好きな人に言われて。
嬉しくないわけがない。
でも。
胸の奥に。
また。
小さな違和感。
『ずっと一緒にいようね』
その言葉も。
どこかで。
聞いたことがあるような。
知っているような。
「……」
阿部は目黒を見る。
目黒は。
優しく笑っている。
でも。
その笑顔の奥に。
何かがあるような気がした。
「めめ」
「ん?」
「ずっとって」
「うん」
目黒は。
迷わず言う。
「ずっと」
握られた手に。
少しだけ力が入る。
阿部は。
その手を握り返した。
過去は。
まだ何も思い出せない。
目黒が本当は何者なのかも。
分からない。
それでも。
今。
この人と一緒にいたいと思う気持ちは。
本物だった。
「……うん」
阿部は小さく笑う。
「一緒にいよう」
目黒も笑った。
その顔を見て。
阿部は安心した。
だから。
気づかなかった。
目黒が。
どこかほっとしたように。
ほんの少しだけ。
目を伏せたことに。
次の日。
阿部が家を出ると、目黒も当然のようについてきた。
「……めめ」
「何?」
「どこ行くの?」
「カフェ」
「俺、仕事なんだけど」
「知ってる」
「めめ仕事辞めたんでしょ?」
「うん」
「だからってついてくるの?」
「暇だし」
あまりにも普通に答えられて、阿部は少し呆れる。
「毎日来る気?」
「だめ?」
「だめじゃないけど」
むしろ、来てくれるのは嬉しい。
そう思ってしまう自分がいるから、強く断る理由もなかった。
「仕事の邪魔しないでね」
「しないよ」
「ほんとに?」
「多分」
「そこは言い切ってよ」
二人でそんな話をしながら、いつもの道を歩く。
少し前までは、一人で向かっていたカフェ。
今は隣に目黒がいる。
それだけで、朝から少し気分がよかった。
店に着く。
まだ開店前。
阿部が店に入ると、すでに厨房から物音が聞こえていた。
宮舘が仕込みを始めているらしい。
「おはようございます」
「おはよう」
奥から宮舘の声が返ってくる。
阿部がエプロンを取りに行こうとして、止まった。
「……え?」
客席に誰かいる。
一人。
二人。
見慣れた顔。
「おはよー!」
佐久間が元気よく手を振る。
その隣には、ラウール。
「おはよう、あべちゃん」
阿部はしばらく二人を見る。
「……なんでいるの?」
開店前。
しかも、二人とも客として来た雰囲気ではない。
「何してるの?」
「待ってた!」
「何を?」
佐久間がにこっと笑う。
「涼太とあべちゃん」
「なんで?」
「お願いあるから」
嫌な予感がする。
阿部が眉を寄せたところで、後ろから目黒も店に入ってきた。
「おはよう」
「蓮も来た!」
佐久間がさらに嬉しそうになる。
「なんでそんな全員集合みたいになってんの」
阿部が呟く。
すると、佐久間が思い出したように言った。
「あ、そうだ」
「何?」
「俺、本屋さん辞めた」
「……は?」
阿部は固まった。
「辞めた?」
「うん!」
「なんでそんな明るいの?」
「辞めたから!」
「理由になってないよ」
阿部は佐久間の顔を見る。
「いつ?」
「昨日」
「昨日!?」
思わず声が大きくなる。
「急すぎない?」
「そう?」
「そうでしょ。佐久間、本屋好きだったじゃん」
本を勧めてもらった。
休日に一日過ごした。
好きなものを今から見つければいいと教えてくれた場所。
そんな店を、いきなり辞めた。
「何かあったの?」
「別に」
佐久間はあっさりしていた。
「ちょっと違うことしたくなっただけ」
「でも……」
心配になって、阿部が何か言おうとすると。
「俺も」
ラウールが口を開く。
阿部がそちらを見る。
「何?」
「大学辞めた」
「……え?」
今度こそ、言葉が出なかった。
「中退した」
「ちょっと待って」
阿部は二人を交互に見る。
「佐久間が仕事辞めて、ラウが大学辞めた?」
「うん」
「なんで同時に?」
「別に合わせたわけじゃないよ」
ラウールは落ち着いて答える。
「大学、もういいかなって」
阿部はますます心配になる。
「卒業まで行った方がよくない?」
「行きたくなったらまた行く」
「そんな簡単に」
「大丈夫だよ」
ラウールは笑う。
けれど、阿部は全然大丈夫だと思えなかった。
昨日。
目黒が仕事を辞めた。
そして今日。
佐久間が本屋を辞めて。
ラウールまで大学を中退した。
偶然にしては、少し重なりすぎている気がする。
「みんな急にどうしたの?」
思わず聞く。
三人とも。
目黒も。
佐久間も。
ラウールも。
一瞬だけ、阿部を見る。
でも、誰も困ったような顔はしなかった。
むしろ、普通だった。
「別に?」
佐久間が答える。
「俺たち元気だよ」
「そういう心配じゃなくて」
阿部は頭を抱えそうになる。
その時、厨房から宮舘が出てきた。
「朝から賑やかだね」
「涼太!」
佐久間が立ち上がる。
「お願い!」
「何?」
「俺ここで働きたい!」
「俺も」
ラウールも続く。
「……え」
今度は宮舘が少し驚いた。
「二人とも?」
「うん!」
「何でもする! 皿運ぶし、レジも覚えるし、ドリンクも!」
「佐久間、ドリンク作れるの?」
阿部が聞く。
「これから覚える!」
「自信だけはすごいね」
ラウールも続ける。
「俺も接客できるよ。料理は無理だけど」
「それ堂々と言うんだ」
「できないことはできないから」
宮舘は二人を見ながら、少し考えている。
阿部はまだ心配だった。
「館さん」
「ん?」
「ほんとに雇うの?」
「人手はあって困らないけどね」
「でも」
「二人が本当に働きたいなら」
宮舘は穏やかに答える。
それから、阿部を見る。
「阿部」
「何?」
「二人入ったら、阿部のシフト今より減るかもしれないけどいい?」
阿部が目を瞬く。
「俺の?」
「うん。今は結構入ってもらってるから」
その言葉を聞いた瞬間。
目黒の表情が、ほんの少しだけ明るくなった。
「……それなら、あべちゃんも少し休めるね」
「めめ?」
阿部が振り返る。
目黒はすぐにいつもの顔へ戻ったが、口元には隠しきれない笑みが浮かんでいる。
「いや、よかったなって」
「何が?」
「毎日働かなくてよくなるかもしれないし」
「俺が休むの、そんなに嬉しいの?」
「うん」
あまりにも素直に答えられて、阿部は目を丸くする。
目黒は少し照れたように視線を逸らした。
「……その分、一緒にいられる時間増えるから」
「仕事中も十分一緒にいるでしょ」
「仕事中じゃなくて」
目黒は阿部を見る。
「ちゃんと二人でいられる時間」
その言葉に、阿部の胸が少しだけ温かくなった。
確かに、最近はカフェで会っていても、阿部は働いていることが多い。
目黒が来てくれても、ゆっくり話せる時間は限られていた。
シフトが減れば。
その分、目黒と過ごせる時間が増える。
そう考えると、阿部も少し嬉しくなった。
「……いいよ」
答える。
「ほんと?」
佐久間がすぐ反応する。
「うん」
阿部は少し笑った。
「俺、働かなくても生活はできるし」
「じゃあ決まり!」
佐久間が喜ぶ。
目黒も、今度は隠さずに嬉しそうな顔をした。
「よかった」
「めめ、そんなに嬉しい?」
「嬉しいよ」
「俺が暇になるから?」
「俺といられるから」
即答だった。
阿部の顔が熱くなる。
「……仕事中にそういうこと言わないで」
「なんで?」
「恥ずかしいから」
「でも本当のことだし」
佐久間が二人を見て、にやにやする。
「蓮、あべちゃんのこと好きすぎじゃない?」
「今さら?」
目黒が答える。
「今さらだね!」
佐久間が楽しそうに笑った。
「まだ俺決めてないけど」
宮舘が笑う。
「涼太お願い!」
「俺も」
二人に迫られて、宮舘は少し困ったように笑った。
「じゃあ、とりあえず試しにやってみる?」
「やったー!」
佐久間が両手を上げる。
ラウールも嬉しそうに笑った。
「よろしくお願いします」
「まず仕事覚えてね」
「はい!」
「俺はあべちゃんに教えてもらう」
「なんで俺?」
「説明上手いから」
「数学と接客は違うでしょ」
「大丈夫大丈夫!」
佐久間まで乗ってくる。
阿部は呆れながら笑った。
少し前まで、宮舘が一人で回していた店。
そこへ翔太が気まぐれに来て。
自分が働き始めて。
今度は、佐久間とラウールまで。
どんどん人が増えていく。
そして。
自分のシフトは減って。
その分、目黒と過ごす時間が増える。
阿部が目黒を見ると、目黒は少し嬉しそうに笑っていた。
「めめ」
「ん?」
「そんなに嬉しいんだ」
「うん」
「……そっか」
阿部もつられて笑う。
目黒は少し離れたところから、その様子を静かに見ていた。
阿部が目を向ける。
「めめ」
「ん?」
「なんか、みんな集まってくるね」
目黒は少しだけ笑った。
「いいじゃん」
「そうだけど」
昨日から感じている、小さな違和感。
仕事を辞めた目黒。
本屋を辞めた佐久間。
大学を辞めたラウール。
まるで、みんなが今までいた場所を離れて、ここへ集まってきているみたいだった。
でも、目黒は何でもない顔で言う。
「みんな一緒の方が楽しいでしょ」
その言葉を聞いて、阿部は少しだけ考える。
確かに。
それはそうだった。
そして、それ以上はまだ深く考えなかった。
コメント
3件

お疲れ様です。 一気に読みました。 カップル成立 良かったね。 でも やっぱり何かが引っかかる💚 時々見せる表情🖤 何かがきっかけで全てが解るのかな… 続き待ってます♪
うおおお第15話読み終わったよ〜!!😭💕 合鍵もらうシーン、ドキドキが止まらなかった…「ずっと一緒にいようね」って目黒が言うところ、優しすぎて胸がきゅんきゅんしたよ!!でも阿部ちゃんがちょっと違和感感じてるのも気になる…前にもこんなことあったのかな?? そしてみんなが一気に仕事や大学辞めてカフェに集まってくる展開、なんか不自然な感じがするけどそれが逆にミステリアスで面白い!次回めっちゃ気になる〜!!✨