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その日もまた、訓練前に書類仕事を手伝うことになり、私は騎士団長室で書類とにらめっこをしていた。そこへ見知った方が顔を出す。
「……アラン様。こちらへサインだけいただいてもよろしいでしょうか?」
烈火の騎士団の副団長、ターナーさんが結構厚みのある紙の束を出しながら、そう言う。
「かなりの枚数あるな……少し時間がかかりそうだ。その間、彼女を手伝ってくれるか?」
「分かりました。申し訳ないとは思うけど……君が団長を手伝ってくれて、みんな助かっているよ。みな書類仕事をするために騎士になるわけじゃないから、得意な人は少なくてね」
「私がお手伝いして上手く回るなら、それこそ騎士団に入った甲斐があります!」
「そう言ってもらえると、俺としても助かるよ。……まだ手を付けていないのは、これかい?」
ターナーさんは確認前の束から半分くらいを持っていく。
しばらく三人で黙々と作業していると、不意に師匠がため息をついた。師匠は一枚の書類を面倒くさそうに眺めている。彼がそんな表情をするのは珍しい。
「どうかしましたか? 何か面倒なことでも……?」
私は自然と声をかけていた。
「あ、いや……そうだな。……これを見てくれ」
ターナーさんと二人でその書類を眺める。書類には二週間後に行われる、王国第五王子の成人式について記されていた。烈火の騎士団主導で、その警備を行うらしい。とはいっても、それもほとんど形式的なもので、別に大したことなさそうだけど……師匠はこれが面倒くさいのかな?
「この件でしたら、まったく抜かりなく対応を進めているかと思いますが……まだ何か不足がある、と団長は感じておられるのですか?」
「そうじゃない。その点はお前の言うとおり、私もまったく問題ないと思っている。……その書類の備考欄を見てくれ」
言われた箇所を見てみると、
「……ああ。当日はダンスパーティーも行われるんですね。むしろこういった趣の式なら、やらないほうが違和感があります」
私も貴族の令嬢として、こういった立て付けの式やパーティーには何度も参加した経験がある。
「団長はこのことを懸念されていると……? パーティー中に警備が緩むようなことはなかったかと思いますが」
「……違うんだ。君たち二人だから言うんだが……私はそういったパーティーやダンスの経験が、実のところほとんどない。おそらく当日その場にいる私にも、参加している人から声がかかるだろう。今からそれが憂鬱でね……」
それを聞いて、私もターナーさんも微笑んでしまう。そんなことかとは思うけど、師匠の言うとおり経験が浅いなら、不安になるのも頷ける。……そうだ!
「そういうことなら、私が一肌脱ぎましょう! 普段のお礼も兼ねて、私が師匠にそういった際の対応を、手ほどきをさせていただきます……!」
その日は私の訓練を早めに切り上げて、残りの時間で私が提案したとおり、師匠の訓練をすることになった。私は師匠と騎士団長室のクローゼットを眺めながら、話を進める。
「まずは服装ですけど……これはおそらく、騎士団長としての正装で臨めば問題ない、ですよね?」
「ああ、衣装に関してはそのとおりのはずだ」
「そういった会での作法については、最低限気にしなければならないポイントさえ押さえてしまえば、もし何か間違いがあっても、失礼ということにはならないと思います。成人式という場で、参列者の細かな点まで気にする人もいないでしょうし」
「なるほど……君が言うなら、間違いないだろう」
「ありがとうございます。となると……残るはやはり、ダンスですね」
「ダンス……」
珍しく影のある表情をする師匠を見て、私は俄然やる気が出てくる。
「大丈夫です、私に任せてください! 王族の方々の前で踊っても恥ずかしくないくらいには、指導させていただきますから」
「お、お手柔らかに頼む……」
「では、まず……もう少し広い場所へ移動しましょうか!」
私と師匠は屋内の訓練場を借りて、ダンスの訓練をすることになった。練習風景を見られるのも気が散るだろうと思って、私が適当な理由をでっち上げてそこは借りた。他に訓練したい人がいるかもしれないけど、今は騎士団長の一大事なので我慢してほしい。
私と師匠は普段の訓練くらい動きやすい服装になって、向かい合う。
「では、まず基本のステップから。師匠、私の右手を取ってください。基本はどなたも、右手で大丈夫です。どうしても左が良いということになったら、そうしてあげてください」
「分かった……こう、か?」
師匠は私の手を取り、肩より少し低い位置に掲げた。
「はい、大丈夫です。では次、左手で、相手の腰を支えます」
「……なるほど」
師匠はそう言うだけで、特に動こうとしない。部屋に差し込む光で少し見にくいけど、頬が赤くなっているように見える。ダンスでは、踊る前からこんな状態では、それこそ恥だ。私は師匠を助ける思いで、声を大きくする。
「師匠、弟子である私に照れなくても大丈夫です! さあ!! 遠慮なく腰をどうぞ!」
「承知した……こんな感じ、だろうか?」
ゆっくりと、そっと、腰を手で支えられた。
「はい、問題ないです! そうしたら、相手は肩に手を添えてきますが……今は緊張しないでくださいね? ここで緊張してたら、当日はもっと大変ですよ!」
「……分かっているとも」
私は言葉どおり、肩に手を回した。師匠は背が高いので、私は少し見上げる形になる。……これくらい背が高い人と踊るの、私初めてかも。
「基本はこの体勢で大丈夫です。そしたら、ステップの練習を始めましょう! 私が声でテンポを取りますので――」
そこからはじっくり一時間くらいかけて、ステップやその他の所作、気を付けるべきポイントについて、師匠に伝えていった。思ったとおり、師匠も貴族として昔ダンスの作法を習っていたようで、私の指導でその当時のことをどんどん思い出していったようだった。最初はかなり遠慮がちだった師匠を、私は「王子に恥を掻かせないためにも頑張って!」と鼓舞し、私の思う必要な作法を一つ一つ丁寧に伝授していった。
訓練を終えるころには照れもほとんどなくなり、師匠はダンスを楽しめるようになっていた……ように思う。
「……ありがとう、レティ。本当に助かった。当日は今日のことを思い出して、なんとか楽しめるようにやってみるよ」
そう言う師匠の表情が、とても印象的だった。これなら、当日は彼一人でも大丈夫だろう。
と、思ってたのに。数日後、師匠は先日よりも深刻そうな表情で、一通の手紙を私に見せてきた。それは成人式への正式な招待状だった。……まあ、それもそうか。騎士団長は国の要人だ。王族の成人式の正式な招待状が届いても、別に不思議じゃない。というか、私も実家に届いてそうね。
そんなふうに思いながら招待状に目を通していると、師匠が気にしているポイントに気が付いた。
「すみません、私もすっかり失念してました。こういった式なら、異性の同伴者は必須ですよね」
「そうなんだ……」
不安そうな師匠を見て、なんとかしてあげたいと思う。
「……身近にそういった女性は、いらっしゃいますか?」
「いや、いない……」
「そうですか……お母様はご健在でしたよね? あー、でもこういった式ですし、できれば身内以外がいいような……うーん、どうしよう」
「…………一つ提案があるんだが」
「なんでしょう?」
少し間が空く。なんとなく、師匠は口にするのをためらっているように見えた。
「嫌、でなければ……君が一緒に行ってくれないだろうか?」
「……えっ」
✕ ✕ ✕
成人式当日。
私はドレスを汚さないよう、寮から馬車で会場へ向かっていた。寮に馬車が来ることなんて普段はあり得ないので、他の騎士たちは何事かとざわついていた。一人でドレスを着るなんて久しぶりで、私も少し手間取ってしまった。でも本当に念には念を入れて、王都までドレスを持ってきておいて良かった。備えあればなんとやらね。
師匠は警備責任者としての仕事があり、先に会場入りしているはずだ。とはいっても私のエスコートをしてもらう必要はあるので、到着の目安時間は事前に伝えてある。そんなふうに窓の外を眺めていると、建物の前で待つ師匠の姿が見えた。
私が馬車を降りると、師匠はいつの間にかやってきた騎士たちにまた指示を出していた。別に焦る必要もないので、私は彼のエスコートを待つ。だけど、こちらへ向き直った師匠は私を見るなり、すぐに目を逸らしてしまう。
「えっと……私、何か変でしょうか? ドレス、一人で着るなんて久しぶりで……どこかおかしいところがあったなら、すみません」
「いや、そうじゃない……むしろその…………とても綺麗で、びっくりした」
「そう、ですか……? えへへ、ありがとうございます」
師匠の頬が少し赤かったのは、見間違いじゃないはずだ。私がこれまでいた貴族社会では、照れつつ素直に褒めてくれるなんてことはほとんどなかったので、純粋にとても嬉しい。特にハインリヒに、こんなにたくましい私にも照れてくれる男性がいるのよと自慢したくなった。
師匠は事前に追加レクチャーしたとおり、私を丁寧な所作でエスコートしてくれた。他の騎士たちが働く中、こんな待遇を受けていて、少しだけ申し訳なくなる。でもしょうがない部分もある。私は本当に下っ端で、こんな場所の警備なんて、まだ全然任せてもらうことなんて不可能なのだ。一応騎士職にはなったので、今日も腰から剣を下げているけど、これだって本当に形式的なものだし。
私はそうして会場まで送っていただくと、一度師匠と別れた。師匠には今日、私のエスコート以上に大事な仕事があるのだ。仕事に向かう頼れる背中を、私は嬉しく思いながら見送った。
アルザリオン騎士王国の第五王子、 ディートリヒ・ルカ・アルザリオン殿下の成人式は、その後つつがなく終了した。式が終わったのに、式の間よりも明らかに緊張した様子の師匠を励ましながら、私はエスコートをしてもらう。これじゃあどっちがエスコートしてるのか分からないなぁなんて思いながら、私は師匠と一緒にパーティー会場へ移動した。
とはいえ、今日の主役はディートリヒ殿下とそれをお祝いする王族の方々だ。私と師匠は目立たないよう端のほうで慎ましくしていたけれど、私は参列していた貴族の方にダンスを申し込まれてしまう。
「お一人で大丈夫ですか……?」
「……問題ない。君も断わるのは失礼になってしまうだろう。行ってくるといい」
「では……お言葉に甘えて。師匠もそのときが来ましたら、何卒ご武運を!」
なんてそんな場違いな言葉を贈って、私は師匠の側を離れた。
✕ ✕ ✕
一人残されたアランフェルトはダンスを申し込まれないよう、そのまま会場の端でじっと身を潜めていた。レティシアとの練習の甲斐もあって、作法には不安を感じなくなっていたが、可能であれば避けたい……と普段の彼とはうってかわって、弱気な思考を見せていた。
彼は仕事中であることを思い出し、警備の状況を目で追って確認してみるものの、まったく問題なさそうだと感じる。そんな彼の元へ、一人歩み寄ってくる存在がいた。彼の旧友である王国第三王子、ラインハルト・レイル・アルザリオンは首の裏で縛った長く美しい金の髪をゆったりとたなびかせながら、静かにアランフェルトの隣までやってくる。
「ふふっ……その顔。もう少し楽しそうにしてくれ。仮にもここは俺の弟を祝うための、パーティー会場なんだからな」
「分かってはいるが、どうしてもな……」
相手は王族であったが、アランフェルトにとってはそれ以前に、騎士として一緒に競い合った仲だった。側にひとけがないのをいいことに、アランフェルトは軽い口調でラインハルトに接する。
「……それで? 噂の弟子はどれだ」
アランフェルトはげっという表情を作らないよう、必死に顔を取り繕う。どこからそんな情報を……と考えたが、正直どこからでも彼には伝わっていそうだった。楽しそうに自分を見る王子を恨めしく思いながら、アランフェルトは優雅に踊るレティシアへ目を向けた。
「……あそこで踊っている、剣を下げた女性だ」
「ああ、あれか。……美人だな」
「まあ……そうだ」
「しかも円卓の思惑は外れて、実のところ、かなり素質があるようじゃないか。ちゃんとした騎士になるのも、そう遠い話じゃないと聞く……どうだ? 彼女など、君の妻に」
「なっ! 何を言うかと思えば……はぁ。そんな単純な話にはならないよ……」
「そうか? 俺はそうは思わないが。……うん。お前と彼女、実にたくましく、お似合いのカップルじゃないか」
くくくと、ラインハルトは意地悪く笑う。
「……妻にとまでは言わないが、せめて彼女で女性に慣れる努力をお前はしたほうがいい。そんなんでは、いつまで経っても独り身だぞ」
「忠告、感謝する。今絶賛、そうしているところだ。……結果的には、全てが良い流れになっているよ。今のところは」
「それを聞いて安心した」
しばらくはこのことでからかわれるに違いないと、アランフェルトはラインハルトへの警戒を強める。そんなとき――
すっと会場の空気が、冷たくなった。次の瞬間には蝋燭の明かりが全て消え失せ、会場は一瞬にして闇に覆われる。パーティーのパフォーマンスではない、何かが起こっているとアランフェルトは瞬時に理解し、腰の愛剣に手をかけた。
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