結葉の反応を見て、想がくるりと後ろを振り返って。
開いたばかりのエレベーターを降りて歩き始めた偉央に、「御庄さん?」とつぶやいた。
偉央は片手に小さな箱を抱えて、腕にビニール袋をぶら下げていた。
どうやら彼は、それらを家へ置きにきたらしい。
別に悪いことをしていたわけではない。
想は偉央に、奥さんである結葉と玄関前にいるところを見られても何らやましいことはなかったから、こちらへ向けて歩み寄ってくる偉央を見つめてごくごく普通に「おはようございます」と会釈した。
だけど結葉の方は、穏やかな笑みを浮かべて「おはようございます、山波さん」と返す偉央を見て、ソワソワと落ち着かない。
今は想が目の前にいてくれるからどうこうされることはないと思うけれど、きっとふたりきりになったらあれこれ問い詰められる。
そう思うと、胃がキューッと締め付けられるように痛んだ。
「今日はどうなさったんですか?」
チラリと扉の内側で顔面蒼白になって立ち尽くす結葉に視線を投げかけると、偉央が想に疑問をぶつける。
結葉は、ほんの一瞬夫から向けられたその視線だけで、偉央に物凄く責められているような気になった。
そんな結葉に背中を向けている想は、自分の背後で幼馴染みが鎮痛な面持ちをしているなんて思いもよらなかった。
「さっき結……、奥さんにもお話させて頂いたんですが、彼女のご実家の水道管がこの寒さで破裂したみたいで」
想が偉央に実家の状況について、結葉にしたように説明をして。
「状況説明がてら、工事の許可などを頂きに来たんです。――ですがその途中で奥さんが……」
言って、背後の結葉を振り返ると、想は瞳を見開いた。
「おい! 大丈夫かっ? お前、さっきより顔色悪くなってんじゃねぇかっ!」
想が慌てて今にも倒れてしまいそうな結葉へ手を伸ばそうとしたのを、偉央がごくごく自然に割り込んで制すると、結葉の腰を抱くようにして支える。
そうして想をひたと見据えた。
「――失敬。どうやらうちの妻が途中で体調を崩してしまったようですね?」
声こそ穏やかだけれど、偉央からはこれ以上結葉に近付くなというオーラが出ていて。
想は思わず後ずさる。
(そりゃそうか。目の前で自分の女、他の男に触られそうになったら腹立つよな)
実際想は今、すぐ目の前で自分に近い存在だと思っている結葉を偉央に掻っ攫われていい気がしなかった。
それに、もっと言えば過去にも同じように偉央のことを憎々しく思ったことがあるのを、鮮明に覚えている。
それでも、自分の気持ちはさておき結葉さえ幸せならばそれでいいとも思ってきた。
だが、幸せになったと信じていたはずの結葉と久々に再会してみれば、何かが噛み合わないような違和感を覚えるのは気のせいだろうか。
「俺、部外者なんでよくは分かんねえけど……御庄さんの奥さんは俺にとってもすげぇ大事な奴なんで……その、余計なお世話だとは思いますが――宜しく頼んます」
心の中で「頼むからアンタに嫁がせて良かったと思えるくらい大事にしてやってくれ」と付け加えた想だ。
偉央と結葉を見ていると、お互いに想い合っているようには見えるけれど、何故か結葉に陰が多すぎるように感じられて仕方がない。
(俺の知ってる結葉は……確かにおっとりはしてっけど、もっとフワッとした明るい笑顔を見せてくれる奴なんだよ)
断じて、今みたいにどこか泣きそうな暗い笑顔を見せる女じゃなかった。
始終オドオドと何かに怯えているように思えるのは、自分の考えすぎだろうか?
「言われなくてもそのつもりですよ」
言葉こそ丁寧だったけれど偉央のまとう空気がピリッと張り詰めたのを感じた想だ。
「その言葉がもし偽りだったら……。俺、そん時は容赦しませんから」
言って、偉央が何か言い返してくる前に、想は結葉に声を掛ける。
「結葉。くれぐれも無理だけはすんな。お前、昔っからひとりで何でも抱え込みすぎるトコがあっから俺、すげぇ心配なんだよ。何かあったら絶対誰かに相談しろ。んでもって遠慮なくそいつに頼りまくれ。――いいな?」
旦那の目の前だろうが、何だろうか知るか!と思ってしまった想だ。
何となく、いまのまま結葉を放置しておいたらいけない気がして。
想は、偉央の神経を逆撫でするであろうことは重々承知の上で、「旦那に相談しろ」とは敢えて言わなかった。
旦那が来ただけであんなに一気に縮こまってしまった結葉を見て、そう声を掛けるのは何かが違うと直感的に思ってしまったのだ。
想の懸念が杞憂ならば、結葉は「想ちゃん、心配し過ぎだよ」とヘラリと笑いながら返してくれるはずだ。
だが想の期待に反して、結葉はオロオロしたように自分と偉央を見比べて。
小さく「……ありがとう」と返しただけだったから。
想は胸のざわつきが気のせいではないと確信してしまった。
「結葉」
もう一度結葉に声を掛けようとした想を、今度こそ遮るようにして偉央が「山波さん、実家の修理の件、宜しくお願いします。では我々はこれで――」と告げて玄関奥に結葉を押しやると、扉をバタンと閉ざしてしまった。
(シャットアウトかよ、くそっ!)
思ったけれど、結葉が直接想に助けを求めてきたわけではない今――。
これ以上ことを荒立てるのは得策ではないだろう。
閉ざされたドアを見つめながら、想は苦々しい気持ちで小さく吐息を落とした。
***
偉央は結葉のために動物病院から持ち帰った小箱やビニール袋を玄関先に置くと、怯えた顔で自分を見上げる結葉をじっと見下ろした。
そんな二人の横、箱の中からカサカサと微かな音が聞こえている。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!