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「カット!!」
黄色い大きなメガホンを持った映画監督が力強く叫んだ
その声と同時に電線の上から大きなホースを持って雨を降らせている、スタッフが水道の蛇口を捻って雨を降らすのを止めた
そのホースの下にはずぶ濡れになった拓哉、そして地面に這いつくばっている「ノエミ・クリスタル」がいた、彼女も同じくずぶ濡れだった
何人ものスタッフに毛布を嫌というほどかけられて、メイクスタック達に素早く、やや乱暴、、頭を拭かれながら拓哉はノエミに手を差し出した
「良い演技だったよ、ノエミ」
彼女は拓哉の手を取って立ち上がり、にっこり微笑んだ、彼女もスタッフに毛布を山積みにかけられている
「いくらシリアスなシーンを撮りたいからって雨を降らし過ぎよ」
フンッとノエミは鼻をならした、ついさっきまで号泣していた彼女はどこへ行ったのやら、毎度の事ながら女優の変化自在は感心する
二人の横で休憩を知らせながら、しきりに叫んでいるスタッフ陣が忙しく右往左往していた
「休憩がてら、そこのレストランで昼食だそうだ」
拓哉は鯉のいる大きな池のほとりのレストランのテラスで、目の前にいる「ノエミ・クリスタル」をしかめ面で見つめていた
「ねぇ~?拓ちゃん?いくらやらせだからと言っても、もう少し楽しそうにしてくれたらどうなの? 」
長身で真っ黒な腰まである黒髪を揺らし、ノエミは拓哉を見つめた、緑色のカラーコンタクトをはめ、前髪をオンザ眉の位置で定規のように綺麗に切りそろえている
外国人ハーフタレントで、海外移住経験もあると帰国子女のイメージで売り出しているが、実際彼女の顔はハーフ顔の整形に数千万かけた、ハーフどころか日本人で埼玉出身の田舎娘だった
そして最近また胸を整形して、ダウンタイム中なので、彼女は胸が痛いとしきりに嘆いていた
法廷映画の共演で親しくなった彼女のあけすけで友、達のように何でもしゃべる性格は、拓哉は気に入っていたが
いくら映画の宣伝で注目を浴びさせるとはいえ、彼女との恋の噂を流されるのはあまり気分の良いものではなかった
「君と二人でハリーウィンストンでデートしたらいいと、幸次は言うんだ 」
拓哉はぐるりと目を回して言った
「市内で一番大きいハリーウィンストンの本店は、先日歌舞伎役者が婚約指輪を買ったとニュースになっていたわよ、私たちが現れたら、それだけで話題になるわね 」
ノエミは長くて細いメンソールのタバコをふかした
「5週間もたてば、君が妊娠したと報道されるだろうね」
ノエミがケタケタ笑った
「2か月もすれば私はセレブの妊婦になるでしょうね!マネージャーの早苗が喜ぶわ」
そこへ拓哉が身を乗り出してノエミに言った
「君の・・・マネージャーは怒ってないのかい?その・・・ 」
フフフとノエミは笑った、そして左手中指のダブルリングを拓哉に見せた、そのリングはLGBTQ(同性愛者)レズビアンの意味を示していた
「あら!私たちが(これ)だって知ってるのは、この業界でも数少ないのに、拓ちゃんにはバレバレね 」
ノエミは自分の女性マネージャーとデキていた、そしてそのマネージャーは結婚していて子供もいる、まったくこの業界はめちゃくちゃだ
ノエミが、ネイルしたての艶々な自分の爪を眺めながら言った
「それは大丈夫よ、彼女も私も有名になって役がもらえるならなんでもするわ、「ニュータクヤガール」が私らしいと言うだけで私の動画サイトのフォロワーが今までの5倍になったの、この調子で映画の話題まで引っ張るつもり、こんどのananのインタビューではベッドの中でのあなたは最高と言っておくわ、きっとあなたのヘアヌード写真を撮りたがるわよ」
拓哉は大きくため息をついて言った
「ああ・・・そして映画が終わると、僕はまた新しい脚本に出会うみたいに違う女性に乗り換えるんだな・・・・ 」
「女性は一本の脚本のようなもの・・・名言ね」
フフフとノエミは微笑みながらテーブルにあるマスカットを一つちぎり官能的に食べて見せた、遠くの方で報道陣のフラッシュがいくつもたかれている
池の向こうにはいつものごとく、マスコミがスクープの種を探して、拓哉達を見張っている
「君との事もそうだけど、本人の意向とちがうイメージを植え付けられると、とても辛い時があるよ・・・・ 」
「あら!珍しくナーバスね、拓ちゃん、この嘘っぱちだらけの世界に何が真実だと言うの?整形でハーフ顔にしてバイリンガルのイメージの私は、元埼玉のコギャルで、現代の光源氏だといわれてるあなたは、実は女性と話をするのも苦手なシャイボーイで、それを隠すのにいつも威張ってるフリをしてるのに」
ノエミがいかにも楽しくてしょうがないという風に手を叩いて笑った、彼女は休憩中も演技を続けている
そしてコンパクトを取って、フェイスパウダーを自分の顔に、親の仇のように叩き込みだした
「すぐテカるのよ!テカりを治す整形をしようかしら」
「・・・・なんだか最近はプレイボーイを演じるのが嫌になってきたんだよ・・・・最近は・・・・どれが本当の僕かわかったもんじゃない」
「それを解決する方法が一つあるわよ 」
いかにも愛しそうにノエミが拓哉の髪を直すしぐさをする、その数メートル先にはパパラッチが茂みで隠れている、今は静かにパシャパシャとシャッター音が切れる音がしている
「それはなんだい? 」
二人は見つめあった、カメラのシャッター音が一層激しくあたりに鳴り響く
「あなたが誰かと結婚することよダーリン♪」
拓哉は大きくあえいで空を見た
「それはあり得ないな」
:*..:。:
その日は朝から弘美は左手ににiPad右手に法律書とおびただしい書類を抱え、ザワザワした法廷に新人アソシエイト件速記係の桧山と並んで足を踏み入れた
この一週間で必要不可欠な証人尋問を終えられる様、万全の準備をしてきた、原告側が誰を証人として呼ぶかはわからない、そういう情報は相手の弁護団と共有しなくても良いとなされているからだ
被告に不利な証拠の詳細や、宣誓証言の写しを原告側の弁護士が、弘美達に提供する必要もない
目下の所、真偽を確かめる最善の方法は「その場で自由に弁明を行う」ことだ
遥か昔からそういう概念が主流なのが裁判だ、故に、訴えられた側により大きな権利が得られる、その権利を最大限に使って弘美は論を張るつもりだった
準備は万端!
天気も良い!
体調は上々!
さぁ!かかってきなさい!
「原告側が来ましたよ」
耳元の桧山の声に傍聴席に目を向けた
数々のセクシャルハラスメント訴訟でも、そのかかわりを持つ雇用機会均等委員会→以下(EEOC)の面々は上品な身なりの女性三人で意気揚々と前列3人分の席を陣取った
そしてそれを引き連れるかの様に、原告側の杉山孝道弁護士も法廷に入ってきた。この裁判が始まる前に弘美に和解の電話をしてきた相手だ
彼は50歳前後の中肉中背で、メタルフォームの四角い眼鏡をかけている、そしてこめかみには白髪が見え隠れし、いかにもな隙のない紺のスーツ姿だ
彼は朝、廊下ですれ違った時でも今からでも遅くはないから和解での解決をあきらめずに持ち込んできた、和解に持ち込めば弘美達が公開の法廷に立つ必要はなくなる、せっかく今までかけて準備してきた者もすべておじゃんだ
弘美は天変地異が来ても、同意することは決してないということも分かっていた
その弘美の言葉を聞いて杉山弁護士が鼻で笑った
「では そのように 」
弘美もゆっくり頭を下げた
「幸運を祈りましょう、正しき者が最後には必ず勝つように」
あるいは――強い女が必ず勝つように
弘美は得意げに心の中でつぶやいた、今朝は別れた廷史が開廷を告げた法廷内のざわめきがピタリとやみ、人々の衣擦れの音や落ち着きのない咳払いだけになった
そして裁判がはじまった
・:.。.・:.。.
「やりましたね!素晴らしかったですよ!赤坂弁護士!こうなることはわかっていましたけど」
新人アソシエイトの桧山が小声で言って、ポンッと弘美の肩を叩いた
「ありがとう」
弘美は満面の笑顔で答えた
「裁判所の事務員が僕に用事があるそうだから行ってきます、とにかくおめでとうございます 」
「出だしはまずまずの出来ね、でもまだ裁判は終わってないわ 」
「今夜は何か予定があるんですか?赤坂弁護士!当ててみましょうか?今夜は「ブラッド・ピット」とお祝いするんでしょ」
桧山がからかって弘美に言った、今や弘美のオフィスには拓哉や亮の他、次はどの有名人が尋ねて来るか、事務所中が注目していた
美香はノエミ・クリスタルが来た場合に備えて、秘書軍団でなにやらシュミレーションをしていた、たとえば、とんでもなく熱いお茶を出すとか、彼女が入りそうなトイレのウォシュレットをお湯ではなく水にするとか、その話を聞いて弘美は笑いながら、たとえどのような客が尋ねて来ても、プロらしく私情を挟むような行動をしない様に、秘書軍団を厳しく諫めた
「惜しいわねジョニー・デップよ 」
弘美がウィンクして冗談を言った、桧山は高笑いをして出て行った
裁判が終わり、一度事務所に帰り、雑用を終わらせて今日の夕食の材料を買いにスーパーの食品売り場をウロウロしながら、ここでの裁判が全て終わると、弘美は奈々の待つ本来のシンクレア法律事務所に帰ることを考えていた
奈々の法律事務所に戻れば、昔の親しい仲間とまた穏やかに仕事ができる
今は秘書軍団達のゴシップ騒動に毎日騒がれ、パパラッチに追われ、拓哉や亮のおかげですっかり自分は事務所では有名人になってしまった、でもこんなに騒がしい毎日とは、もうすぐおさらばになるだろう
奈々の事務所に戻ればやりかけたヨガ教室の予約も取らないといけないし、習いかけていた講座も再申し込みしないといけない・・・
そう・・・もうすぐこんな騒がしい毎日はおわるのだ
安堵すればこそ、少し物寂しい気持ちにさせられるのは、きっと拓哉に振り回されているせいだろう
スーパーの買い物袋をぶらさげ、弘美がマンションの私道に足を踏み入れた時
見慣れた黒のランボルギーニがマンションの前に止まっていた
・・・本当にアポなしなんだから
なんとなくおかしくなって笑ってしまったのは、拓哉がこちらへ向かって歩いてきたのを見たからだった
彼はジーンズを履き、軽そうな紺のVネックのニットを着ていた、いつになく髪はセットしていないのか、くしゃくしゃだが2メートル離れた所からでも美しい顔立ちが際立つ
思わずため息が出る、にくたらしいが、本当にどうしてこんなにいつでも素敵なんだろう
「赤坂弁護士・・・おなかはすいてるかな? 」
弘美はあの夜以来、久しぶりに拓哉の姿を見た途端、なんとも言い難い気持ちに襲われた、にっこり笑ってこう言った
「ペコペコよ 」
・:.。.・:.。.
弘美は拓哉のランボルギーニの助手席に乗って運転する拓哉の横顔をさりげなく見つめた、車を運転する拓哉は映画のスクリーンから抜け出てきたようだ
まるで自分が映画の世界に紛れ込んだような錯覚さえおこす
拓哉は北へ車を走らせ高速道を神戸で降りた、芦屋の街を見下ろす丘の頂きに達した時、黄昏時の須磨の青い海が眼下に広がり遠い水平線まで一望できた
暮れなずむ空を背景に、椰子や松にはクリスマスのイルミネーションがキラキラしていた
芦屋の街は一軒一軒が凝ったクリスマスイルミネーションを各々の家に競うように飾っていて、一種の観光スポットになっていた
この街は粋でおしゃれだ、仕事の顧客やよその土地からきたお客さんをここへ連れてきて楽しませるのは格好の場所だった、レストランは洗練されホテルは高級だが雰囲気はあくまでも気取りがない
弘美はずっと来たいと思っていた街に来れて感動した、ここに住めるのは腐るほどお金のある連中だけで、弘美達庶民は他の土地からやって来て車を駐め、せいぜい通りをうろつくぐらいだ
山道を周回する道路側から初めて見た時には、この洋館はさほど大きいとは思わなかった、しかし美しい洋風の建物は中へ入ると印象は変わった
裏手の山間に沿って間口が広くとられたすばらしい豪邸だった、テラスからは須磨の海が一望できる、エントランスを入るとそこは二階部分で廊下を進むと、両側にベッドルームが一部屋ずつあった
玄関ホールから天窓の下の大階段を数段降りると、広々とした多目的スペースがあり、そこにダイニング、リビング、キッチンがあったそしてどの部屋も海の側は全面ガラス張りだった
「・・・素晴らしいわ・・・ここって・・・ 」
弘美は感慨の一言を漏らした
「買ったのは僕だが、知り合いの建築家に(海の見える家に住みたい)と言ったらリクエストに応えてくれてこうなったんだ」
「じゃあ・・ここはあなたの家なのね」
拓哉は弘美のコートをさりげなく肩からはがし、真鍮のポールハンガーにコートをかけて言った
白を基調とクリーム色、アンティーク家具の濃い色の木材が目に付くテーブル・・・・そこに差し色として野生の草のような鮮やかな緑の観葉植物が上品に並べられている
「普段は撮影所に近いマンションで寝泊まりしてるが、まとまった休日がある時は、なるべくここに住んでる」
弘美は彼の気遣いと趣味に感動した、そしてもしかしたら普段傲慢な態度をとっているのは何か理由があって本当の彼はこんなに気遣いのできる優しい人なのかもしれないとさえ思った
「イタリアンのデリバリーを頼んでおいた、一緒に食べないかい?ここの店はかなりうまい 」
換気のために少しだけ空いている窓から風に運ばれて須磨の海の匂いがした、なんて素敵な所だろう、こんなおだやかな所で暮らせたら本当に素敵だろうなと弘美は思った
テーブルにはスペースいっぱいのイタリアン料理が用意されていた、どれもおいしそうだ
拓哉はテーブルの椅子を引いて、じっと弘美を見てそこに立っている
あ・・・座れってことね
弘美が拓哉の引いた椅子に座ると、腰を下ろす瞬間と同時に拓哉が優しく椅子を押した
彼の意外な昔ながらの礼儀正しさに弘美は胸が熱くなった
それから二人は拓哉の用意した料理をテーブルいっぱいに広げ、拓哉はどこからかキャンドルと燭台を持ち出して火をつけた
弘美はロマンチックな光に包まれながら、晩餐を大いに楽しんだ
夢を見ているのかもしれないと弘美は思ったけれど、夢にしてはリアルだった
二人の間の甘やかな予感に胸を高鳴らせている空気があるし、どちらも先日のキスの事を思い出していた
拓哉がこのディナーを弘美に用意してくれたのは、あきらかに先日の失態を申し訳なく思っているという誠実さが伝わってきていた
拓哉は弘美を熱く見つめるのをやめることができなかった
なぜなら今の弘美は最強の赤坂弁護士の鎧を脱ぎ捨てて、ただ美味しい食べ物を食べて幸せそうにしている少女のように微笑んでいる女性だ
「そんなにそのロブスターは美味いかい?」
拓哉は微笑んで言った、こんなにリラックスして満ち足りた彼女を見るのは初めてだった
「今の私を見たら家族がどう思うか、ちょっと考えていたの・・・ 」
拓哉は彼女をじっとみつめて考えていた、拓哉が今まで食事を共にする人間はいつも自分自身の事をアピールしてくる輩ばかりで、特に女性は自分の家族や友達やら誰と繋がっているとか、誰と友達とかひっきりなしに話すのが主流だ
そしていつも拓哉はただ相槌を打っているだけで「楽しかった」と女達は満足する、当の拓哉にはひとつも楽しい事がないのをまったく気にしないで、でもそれが女性という生き物だと解釈していた
だから拓哉が弘美を気に入っているのもここだ、彼女は弁護士という職業柄か、はたまた自分の性格なのか、もっぱら会話は聞き役で、自分の事はめったに話さない
「・・・君のご家族は僕の事どう思うだろうな・・・ 」
拓哉はもっと弘美の事を知りたかった、弘美は小さく笑った
「きっと聡子や真由美と同じね、驚いて歓迎するでしょう、だってあなたはあの櫻崎拓哉なんですもの」
「君に言われると嫌味に聞こえるな」
弘美は首を横に振った
「本当にそう思っているのよ、嫌味なんかじゃないわ・・・先日のローリングストーンで思い知らされたわ・・・誰もがあなたと親しくなりたがっているわ、それに・・・ 」
拓哉の瞳が怪しく光った
「それに?」
「あなたはとても自分のファンを大切にしているわ、私ならいくらファンでもあんな扱いをされたら腹が立ってしまうもの 」
拓哉がナイフとフォークを置いて弘美をじっと見た
「・・・実は・・・・今日君を呼んだのはそのことを言いたかったんだ・・・あの時は僕のファンがすまなかった、本当に申し訳ないと思っている・・・ケガはなかったかい?」
拓哉はまるで自分のファンの事を恋人か身内のような言い方をすると弘美は思った、思わず微笑んでしまう
「私は大丈夫・・・あなたこそ・・・・・一歩間違えれば大けがをしている所よ 」
「僕は大丈夫だったよ・・・・でも・・彼女達は悪気があって、ああなるわけじゃないんだ、基本的に僕のファンは僕の話をよく聞いてくれる良い子ばかりなんだよ・・・まぁ少し例外はいるかもしれないけどね」
弘美は微笑ましくなった
「あなた・・・本当に自分のファンを大切に思っているのね」
「僕みたいな商売は、ファンがいなければ死んだも同然だからね、ファンを大切にしない芸能人がこの世界で生きていけるわけがない」
その言葉に昔自分も彼のファンだった事を思い出した、あの頃この言葉を聞いたらきっと泣いて喜ぶだろう
「そんなことを言ってると、そのうちファンに殺されるかもしれないわよ 」
弘美は少し拓哉の方に顔を寄せて眉をしかめて言った
「別にいいよ殺したければ殺せばいい 」
「本当に?」
「ああ・・・そうしたらこんな茶番もすぐ終わる・・・」
「茶番?」
「たとえば・・・・・みんな僕を見つけると僕の名前を叫ぶだろ?でも僕はそのみんなの所にいけないんだ、ファンと僕の間にはガードマンがいて、僕がファンに近づけば怪我人が出る・・・・結局・・・・僕は何もしてやれない、彼女達が望む偽物の僕の姿で生きるしかないんだ」
「偽物?」
「世間の人はスター櫻崎拓哉の事は、十分知ってると思っている、いろんな雑誌やニュースで語られた僕についての話や、映画で演じた役柄に性格も照らし合わせて見る。僕の身近にいる人でもそうさ、スターはただの商品なんだよ・・・そいつが何を思ってどう考えているかなんて、誰も気にはしないよ・・・」
拓哉は考え込むようにグラスに入った水を見つめてくるくる回した、彼は弘美を送っていくためにお酒を控えていた
「それはどうかしら・・・」
弘美はいつもより穏やかな口調で言った
拓哉はグラスを持ったまま考えこむように弘美を見た、長い指をクリスタルの杯に添えている、その指は爪は奇麗に切り揃えられていて、優雅で美しく、関節の硬さと力強さが魅力的で繊細なグラスを優しく支える、その指から弘美は目をそらす事が出来なくなった
そして一瞬だけあの無骨だけど繊細な指が自分の大切な所に触れる所を想像してしまい、驚くと共に途端に、はしたなくも高ぶってしまった
慌てて弘美は危険な想像から無理やり現実に引き戻し、会話に集中しようとした
「あなたのことを本当に愛しているファンは、たとえあなたがどのような姿になっても、きっと応援してくれると思うわ・・・そりゃ・・・あなたから離れていくファンもいるとは思うけど、いつでもあなたがそうやってファンを大切に思って・・・誠実に愛していれば、きっと答えてくれるものだと思うわ」
拓哉は最初、意外な言葉を聞いたようにぽかんとしてじっと考えていたが、やがてニヤリとして弘美の方に身を乗り出した
「まるで誰かの熱狂的なファンをしていたような口ぶりじゃないか 」
弘美は鼻で笑った
「私が?そんなミーハーなことはありません、真由美ならともかく 」
「教えてくださいよ、赤坂弁護士、君が中学や高校の時に夢に出てきたりブロマイドやポスターにキスしていた芸能人って誰なんだい?」
あなたよ、と危うく言いかけたが、弘美はギロリと拓哉を睨んだ
「この話の着地点はちゃんとあるの?」
「ないけど、僕が知ったら弱みを握ったようで楽しいじゃないか 」
「まぁ 意地悪ね、では本当のあなたはどんな人なのか、深堀り調査しましょうか? 」
弘美は笑いながら二人を包む空気がいつの間にか親しいものに変わっているのを感じた、拓哉に惹かれているせいだ
異性の魅力を感じ取って、受けとめる能力はとうになくしてしまったと思っていただけに、不思議な気がする
「あなたの今後の予定は?」
「週末は映画のプロモーションだな、ヒロイン役と一緒に 」
「雑誌で一緒に写っていた人?」
拓哉の表情に警戒の色が浮かんだ
「そうだ・・・最近人気のノエミ・クリスタルだよ」
「素敵な人ね」
「ああ 」
ここでやめておくべきだと弘美は思っていた、でも拓哉に対する好奇心はすでに一般的な感心の域を超えてしまっている、あの落ち着いた感じの真っ黒のストレートヘアの魅力的な女性――
拓哉とノエミはそのまま宝石のコマーシャルにでも出られそうな申し分のない恋人同士だった
「あなたとノエミは喧嘩とかしないの?」
拓哉が意外な事を聞かれたとでも言いたそうに、弘美を見た
「ノエミと?僕たちは喧嘩はしない」
「口論しないの?一度も?」
「悪いみたいな言い方だね」
「いいえ全然悪くないわ、意外だっただけ、まぁ・・・なんについても意見が一致するから一緒にいても喧嘩にならないわけよね?それともそれほどお付き合いを重く見ていないのかも」
ふむ・・・と拓哉は少し考えた後で答えた
「明日撮影所に行ったら、いきなりノエミに喧嘩をふっかけてみるよ、それでハッキリするかもしれない」
「あら それは駄目よ」
あれこれ話すうちに二人の話題は長年の友達同士が交わすような、たわいのない話しやすいものになっていった
二人はそのまま自然の流れに任せて、気どらない会話を楽しんだ
拓哉は目の前の彼女に惹かれている自分を否定するのは無理だとハッキリ悟った
今まで様々な拓哉に言い寄る女性に感じてきた魅力や自覚のないうちに惹かれていた点を、全部ひとつにまとめて完璧な花束にしたのが弘美だ
改めて自覚したら目の前の凛とした、賢くて百合の花の様な女性を熱く見つめずにはいられなかった
「セクハラ裁判の進行具合はどうだい?」
拓哉は見つめる理由が欲しくて彼女に話させることにした
「なかなか難しいわ、少しでも気を抜くと向こうの思うつぼにはまりそうで、でも必ず私達は勝てると信じようと前向きに考えているのよ、常に前向きになれるように 」
「前向きか・・・君らしいな・・・実は僕は後ろ向きの性格なんだ」
拓哉が言った
「たまにうっかり前向きになるけどね」
弘美が笑みを大きくした
「意外と思うだろうけど、後ろ向きな人は好きよ、だってクルージングなどで救命胴衣を私の分まで後ろから持ってきてくれる人はそういう人だもの」
ハハハハと拓哉は大声で笑った
「常に救命胴衣を君の分も用意しておくよ」
その笑い声に弘美の心は弾んだ、この人はいたずらっ子だ、男性のそういう性質を魅力的だと感じたのはこれが初めてだった
目が合うとそれだけで拓哉は女性を妊娠させられそうなほどの魅力的な微笑みを浮かべていた
この人は魔法のDNAを持っているわ・・・お父様もこんなにハンサムなんだろうか・・・・
たくましい男性を目の前にして、弘美は何百年という進化の過程に思いを馳せずにはいられなかった
「弘美・・・君は頭がいいな」
拓哉は弘美から視線を外さずに行った
「語彙の多い女は苦手かしら?」
「どちらかといえばそうかな?この業界ではIQが100を超える女とはそうお目にかかれない」
「私が馬鹿なフリをすれ、毎回こんな豪華なディナーをおごってくるわけ?」
「もう遅い、君がそんな小賢しい事をするわけない、それなら自分で稼いでこれより豪華な飯を食うって言うだろうな」
「あら!私は倹約家だから人におごってもらうのは大歓迎よ、自分の稼いだお金は老後に取っておくの、真由美が言うにはこのまま私はオールドミスの気難しい、家の前で騒ぐ子供たちに窓を開けてうるさいと怒鳴る老婆になるんですって」
「孤独な弘美ばあさんと言った所か」
「ええ・・・そして一日5回、植木に水をやって、ダブルベッドで一人で寝て、猫を10匹飼って、隣人の噂話が大好きになるでしょうって・・・」
「なんだそれ!すでにボケかけてるじゃないか、真由美ちゃんの想像力の豊かさには脱帽ものだな、君たちが長年友達なのもうなずけるよ 」
自分の話をこんなに楽しそうに聞いてくれる男性に今まで出会ったことはないだろうと弘美は思った
この人とこのままいたら自分の胸は切なさで張り裂けてしまうかもしれないと、本気で思い出した、気を紛らわせるために一口ワインを飲んだ
その味はとても甘酸っぱい味がした
ブラックのランボルギーニが弘美のマンションにたどり着く頃には、拓哉の目にこれほど弘美が美しく見えたことはないと思っていた、なぜなら弘美は終始優しく微笑んでいたからだ
弘美のマンションについた時には拓哉はこの二人の関係をどうにか進展させたい気持ちでいっぱいだった、今までの女性のように軽い体だけの関係ではなく・・・なんていうか・・・・拓哉の初めて感じるお互いを大切に思うような付き合いだ
なんてことだ、今までそんな真剣な付き合いをしたことがない、拓哉はいったい弘美に何を言えばいいのかわからないまま二人は、ただ黙ってスポーツカーに座っていた
拓哉は心の中にわだかまる感情をひとつひとつほどいてみた、弘美を求める気持ちが一番大きいのは間違いない
そして一抹の不安もある気がする、不安と絡まりあって定かではなかったが、最悪なのは胸に突き刺さる優しさだった、この業界で生きてきて誰かに対してこんな気持ちになったのは初めてだった
彼女とのことを今までの様にお互いの欲望を満たすだけの荒々しい関係にするわけにはいかない、彼女はもっと穏やかで・・・・紳士的な振る舞いを望んでいるのだろう
拓哉はどうすればそう見せかけられるのか見当もつかなかった
一方弘美の方も拓哉に強く惹かれている自分を感じていた
拓哉はあきらかに今まで知り合ってきた男性とは違う、初対面でこそ傲慢で鼻持ちならないと感じていたが拓哉はまるでパーティーで風船を割るように次々と楽しい事を持ち出してくる男性だ、弘美にはとてもマネできない芸当だ
自分に持っていないものに強く惹かれるのも人間の性だ、健樹にフラれてからというものの、尼女のような規則正しい生活をしてきた弘美にとって、拓哉の存在はもうただのクライアント以上のものを感じていた
ランボルギーニのサイドブレーキを引いて拓哉が何か話そうとした、弘美の心臓は柄にもなくドキドキしだした
その時弘美のスマートフォンが騒々しく振動した、ちらりと見るとその番号はなんと下沢亮の番号だった
拓哉は紳士的に「どうぞ電話に出てくれ」とばかりに手振りで示した弘美は申し訳ない気持ちで車から降りて亮からの着信をとった
「やぁ!僕の素敵なひーちゃん」
「あら!亮ちゃん?」
亮はすぐに熱をこめた言い方で弘美を呼んだ、そして拓哉と一緒にいる時に亮の存在をすっかり忘れていた自分を思い出した
「全然連絡くれないから、僕しびれきらしちゃったよ、とっても寂しかった~」
鋭い口調から亮が自分に会えないことを残念がっていると言うよりかは、自分をないがしろにされた、わがままな子供が訴えてきているような雰囲気を感じた、思わず可愛くて微笑ましくなった
「ごめんね・・・ずっと裁判や色々で連絡できなくて・・・」
どうして自分は亮に謝っているのだろう?彼とは何も約束をしているわけでも、ましてやお付き合いをしているわけでもないのに、なぜかこの子と話していると、どんなに忙しくてもこの子にかまってやらないといけないような気にさせられてしまう
「あのね!あのね!この事は会って話そうと思ってたんだけど、どうやら無理みたいだから・・・」
亮は不機嫌そうに少し黙ってからまた続けた
「今度のパリスチャン・ガオールのクリスマス・パーティーに招待されたんだけど、条件が女性同伴なんだ・・
でも僕には女友達はひーちゃんしかいないんだよ、一緒に行かない? 」
弘美は彼の誘いに最初は戸惑い断ったが、以外にも亮はここぞという時の押しは強かった、なんてったって亮にはローリング・ストーンでの借りがあり、今度も彼がその話を持ち出し
亮がいかに偶然あの場に居合わせて弘美を送らなければ、彼女は大変なトラブルに巻き込まれていたことを誇張した
そのことを持ち出されては弘美もパーティーへの出席を承諾しないわけにはいかなかったし、亮は弘美の弁護士としての立場も十分考慮してマスコミへの露出も極力控えると約束してくれたのだ
そういうわけで弘美は亮のパーティーへの誘いをOKした
そしてなぜかこの事を拓哉に話すと、彼は途端に不機嫌になり、怒ったように顎をひきしめそのまま帰ってしまった
しかし弘美は走り去るランボルギーニを見ていてなぜかホッとしていた
自分と拓哉の間に起きていることにきちんと向き合う準備ができていなかった、彼と出会って数週間あまりにもたくさんの出来事があって考えをまとめる時間が必要だった
きっと拓哉の自分への関心は一時的なきまぐれでしかないと思っていた、甘やかされた映画スターがめずらしく自分みたいな女につれなくされたから狩猟本能みたいなもので、自分にちょっかいを出してきているだけだと思い込もうとした
しかし今夜のディナーでの拓哉の顔に浮かんでいたのは、嘘偽りなく素直に自分に好意を寄せてくれている男性の表情だった
俳優櫻崎拓哉のウィットにに飛んだ洒落やいたずらっぽい微笑みには抵抗できた、映画の中でせよ面と向かってにせよ彼ほど完璧で魅了される男性と出会った事実を、クライアントと仕事と思えば無視することもできる
でも俳優櫻崎拓哉ではなく、ごく普通の男性の拓哉という男には素朴で惹かれるものが沢山あった、しかしそう思うことはとても危険だった
心の奥の見えないところではまだ癒えていない傷がある、一見塞がったと思ったカサブタはあるきっかけによって簡単に剥がれその下にはジュクジュクになった膿が溢れている・・・
弘美はかつて魅力的な男性を心から愛したそしてその結果は悲惨だった
弘美は改めて気を引き締めた、二度と同じ轍を踏むことはないと
・:.。.・:.。.
拓哉は今夜は最悪の気分だった、法廷ミステリー映画の役者仲間とビリヤードを3回立て続けに負けたせいもあるし、ウィスキーのロックを4杯も飲んでいるのに、全然酔いが回らないせいもある
しかし、先週弘美があの忌々しい下沢亮とパリスチャン・ガオールのクリスマスパーティに出席すると聞いた時から、ずっと胃の下の所に思い錘みたいなものに支配されているせいで、いつもの軽いナンパな調子を取り戻せなくなっていた
そして今は俳優仲間の笹川流星達が進める2次会のこのダーツバーで、盛り上がっている仲間をシラけた目で遠くから見ながらいつ帰ろうかと考えていた
今夜はなぜかみんなと騒ぐ気になれない
弘美が他の男とパーティーに出席する・・・・
それがこともあろうに下沢亮なんて・・・
そしてあの二人は拓哉が連れて行った先日のローリングストーンで知り合ったという、拓哉が狂ったファン相手に死闘を繰り返している時にちゃっかりあの二人はよろしくやっていたなんて、自分が想像もしていなかったほどの最悪の事態にすっかり意気消沈してしまっていた
拓哉はその晩は5杯目にあるウィスキーのストレートをぐいっと飲み干した
その時冷たいものは控えるようにと言った弘美の顔が浮かんだ、こんな時にも彼女を思い出すなんて自分はきっと重症だ
彼女が誰とよろしくやろうと自分の知った事ではない、そう考えられない自分に腹が立ってしかたがない
「あら 、お強いのね、もう一杯お代わりを注文しましょうか?」
拓哉の隣から女性の声がした
声の主は彼の隣に魅力的な長い脚を組んで、つけまつげをパチパチさせていた、そして上まぶたに長めに引かれたアイラインは目尻でチェックマークの「レ点」の形に跳ね上がっている
このアリアナグランデが流行らした子猫のような目になるアイメイクは、誰かれ似合う訳ではない、この女性も勘違いしているたぐいだ
そしてこの女性も御多分に洩れず、ヒアルロン酸で膨らませた唇をグロスでギラギラにさせていた
シャネルのリップだろうか・・・拓哉は考えていた、あれは香水の匂いがきつくてキスするのをためらわれる
「ねぇ・・・・あなたって櫻崎拓哉さんでしょ?私・・・ずっとあなたのファンなの」
そりゃそうだろう―――なんたって僕は櫻崎拓哉なのだから・・でも自分のネームバリューも弘美相手には皆無だ
拓哉はブースに頭をもたせかけて目を閉じた、飲み過ぎたのか頭痛がしだしている
女が拓哉の耳元でささやく
「ねぇ・・・ここから二人で抜け出さない?いいことしましょうよ? 」
女は拓哉の肩に手をつき、しなだれかかってきた、彼の見た所、脚はすばらしいが他はそそられる所はない
「いいことって?」
拓哉は焦点の合わない目で彼女を見つめた
クスクス「え~・・・ここでは言えない~」
弘美なら絶対言わないセリフだなと拓哉は彼女を見つめながら考えた、弘美は多くを語らなくてもあの大きなイキイキとした目がいつも色々拓哉に語りかけてくる
この女の提案にいくらかでも興味を持とうとしたが、いくら努力しても弘美が頭から離れなかった
「すまない―――もう帰るところなんだ 」
その時背後から声が聞こえた
「おやおや 、これはこれは・・・・誰かと思えば 」
拓哉は目を丸くした、そしてこんなろくでもないクラブに来るんじゃなかったと思った。ここはセレブにとって一種の社交の場だった
芸能人であれば誰でも一度は来るもので、今まで鉢合わせしなかったのが不思議なぐらいだと拓哉は考えた
拓哉の目の前に下沢亮が立っていた
取り澄ました様子で拓哉と彼にしなだれかかっている脚の長い女を交互に見てニヤついている、拓哉は亮の取り巻きをざっと眺めた、亮の後ろに数人の男達が整列する、決してガラが良い連中とは見れなかった
拓哉は無視することに決めた、漠然と見覚えのあるものは、今度亮が主演のバスケットだかなんだかのくだらない青春映画に出演するメンバーらしい、自分には関係ない連中だ
拓哉が無視しているにもかかわらず、亮が無邪気に笑顔で拓哉によってきた
「やぁ!櫻崎さん!先週はひーちゃんと一緒にいる時に電話でおじゃまして、すいませんでした」
ひーちゃん?
一瞬拓哉はこのかわいい面をしたクソッタレ小僧が、誰の事を言っているのかわからなかった
しかし瞬時で先週の二人の別れ際の電話を思い出し、まさに今調子が悪くなっている元凶が目の前に現れている事に腹正しく思っていた、しかしそれをコイツに悟られるのは面白くない
なので拓哉は氷さながらに冷たいまま言った
「うちの弁護士を陰でコソコソ追いまわしているのは、どうやら君らしいな」
亮のとりまきが信じられないとばかりに後ろでコソコソ話している。亮の女心をそそるその可愛らしい顔が曇った、拓哉は少し良い気分になった、しかしすぐに亮は持ちなおした
「いやだなぁ~、僕は追いまわしてなんかいませんよ、それに陰でコソコソなんかもしていないし」
なぁ?とばかりに亮は後ろの自分の取り巻きに問いかけるように両手を広げた、取り巻きはこれから起こる出来事にわくわくしているようで、ニヤついてこちらを見ている
「それに明日はひーちゃんの方から仕事が終わったら、連絡くれるようになってるんです。今度のパーティーのドレスコードがわからないから僕にアドバイスしてほしいんですって!そーゆーのは僕の方が場慣れしてるんで」
カッと拓哉の全身に怒りが舞い上がった、ドレスコードなんて弘美は自分に聞けば済む話だ、今すぐ一式そろえて彼女の自宅に送り付けてやりたかった
拓哉は亮をにらみつけた
「いいですよね?パーティーにひーちゃんをお借りしても、だって彼女が言ってたけど、あなたとひーちゃんって単なる仕事仲間なんですもんね?ひーちゃんが誰とSEXしようと、あなたには関係ありませんもんね」
ガタンッ椅子をならして拓哉が立ちあがった、キャッと拓哉にしなだれかかっていた女も立ち上がった
おっと・・と亮も拓哉の前に立ちふさがった
「・・・ここで会ったことひーちゃんに言っときますよ、きっと聞きたがると思いますし」
「その必要はない、僕から彼女に話す、明日彼女と会うことになってるんだ、その話は聞かなかったかい? 」
拓哉が亮の胸ぐらをつかんだ
「・・・なんだよっ・・・」
少し亮が焦り気味に言った
「さっきからひーちゃん、ひーちゃんって、うぜぇんだよお前! 」
「オッケー!拓哉さんもういいでしょう、あっちに行きましょう」
ただならぬ雰囲気をつかんだのか拓哉の「法廷ミステリー」の俳優仲間の笹川流星が、二人の間に焦って割って入った、拓哉が流星に肩を抱かれてその場を去ろうとする
すると亮の取り巻きもこれみよがしに後ろで囃し立てる
「人気があるからって調子に乗ってんじゃねーよ」
「そうさ!亮の方が今や旬だぜ」
「おじさんは黙って引退しな~」
帰ろうとしていた拓哉がくるりと振り返って冷たい視線を走らせた、遅かれ早かれこうなる事は予想されていた、ならば運命に従うまでだ
「うるせーっ!このクソガキどもがっ!」
「拓哉さんっっ!」
亮のとりまき達は拓哉のあまりの迫力に息を飲んだ
「落ち着いて!拓哉さん!」
流星が怒鳴ったのと同時に拓哉が亮の頬を一発殴った、怒り心頭の亮も怒鳴りながら拓哉に襲い掛かってきた
それからは大乱闘が始まった
・:.。.・:.。.
「その唇の怪我を隠すのに1時間はかかるわよ!拓ちゃん!いったいどういう事?その美しい顔に傷を作るなんて犯罪よ!犯罪だわ!これはっ!」
撮影所のメイクルームで拓哉の唇にできた殴られた後を見て、ゲイのメイク担当はヒステリーをおこして叫んだ
「興奮すると血圧があがるよピーター・・・」
拓哉はいかにもウザそうに言った、その彼の仕草を見た日本人なのにピーターと名乗っている日焼けした肌に口紅をこってり塗ったゲイのメイク担当は、唇をキッと結んだ、それがまるで乾いた細いリボンのようになった
あきらかに自分の仕事を増やされ気を悪くしているが、大事な俳優の機嫌をそこねる方が、彼にとってマイナス要因となるであろうことを瞬時に彼は悟った
拓哉はカウンターのプラスチックのカップホルダーの安い豆のコーヒーを一口飲み、コーヒーが唇にしみたのに不快感を覚えた
「ダーツバーで下沢亮達と喧嘩になったんだって?それは下沢亮に殴られたのか?」
拓哉は機嫌を取ることにしたゲイのメイク担当に渡された氷嚢を唇に当てて、ギロリと自分の前で腕を組んでいる幸次を睨んだ
「知ってるなら聞くなよ、それに正確には殴られてはいない、もみ合ってる時、誰かの肘が僕の口に当たったんだ」
大抵の場合、幸次は昔から拓哉をからかうのは好きだったが、今回の拓哉の態度を見てなんとなく危機感を感じていた、広報担当の勘ってヤツだ
「いいか!お前はあのセレブが集まるダーツバーにいた、あそこの従業員に俺は高い賄賂を払ってあらゆる人間から情報を集めている、それをなんとお前が夏休みの高校生みたいに喧嘩してるのを報告させるためではないのは知ってるな?」
拓哉は切った唇を少し舐めた、ヒリヒリする、ゲイのメイク担当が「かわいそうに」といそいそと拓哉にワセリンを塗った
「お前達の、乱痴気騒動をもみ消すのに大層な金を使ったぞ、でもそれだけでも足りないかもしれない、お前と下沢亮が言い争いをしている所を見た証人が何人もいるんだ!SNSは蓋を閉じられないんだぞ、わかってるのか?拓哉! 」
「ああ・・・たしかにあの可愛い面をしたクソ坊主とは、二言三言会話を交わしたな、あいつゲイキャラで売った方がいいんじゃないか? 」
「ゲイがどうしたって?」
すかさずメイク担当が嬉々として拓哉の傍に来た
「何でもないよ、僕たちの事はしばらく放っておいてくれ、ピーター 」
と手振りで拓哉が彼を追い払った、袖にされたピーターが虚ろな目で二人を睨んだ
ふうっ・・・と幸次が大きくため息をついた
「これだけは教えてくれ・・・・下沢亮との喧嘩疑惑だが・・・・・あの女弁護士が絡んでいるのか? 」
拓哉がしかめっ面をして言った
「聞きたいのはこっちだよ、お前が下沢亮と一緒に飯を食ったりしてるのは、お前の傘下にアイツを入れようとしてるからなのか?そりゃ僕は目新しい俳優ではないからな」
拓哉はじっと幸次の目を睨み、自分が何を言いたいのかじっくり幸次に分からせた
「僕にもあらゆる情報網があるんでね」
幸次が驚いたように目を大きくした
拓哉の言葉を聞いた幸次はしばらく無言だった、親友でもあり、拓哉の一番の広報担当でもある幸次の反応をじっと拓哉は待った
幸次は少し赤くなって言った
「おいおい・・・・何を馬鹿な事を言うのかと思ったら・・・なぁ・・・拓哉!考えてもみろよ、お前が俺にとって誰よりも大切な存在だってことはわかってもらってると思っていたよ」
それでも拓哉はじっと黙って睨んでいたので、幸次は彼をなだめるように大げさな身振りで表した
「お前は俺にとって最優先のクライアントだ、だからお前がイメージに合わない事をしたり、感じた時に忠告しないなら、俺はマネージャーとしての義務を怠ってるというものさ」
「ならいいんだ 」
二人は少しも面白くなさそうだが一緒に笑った
「たとえば・・・ノエミ・クリスタルとクルーズ船で遊ぶのはお前らしいよ、だがあの素人の女弁護士のために、誰かと喧嘩をするのはお前らしくない、俺の言いたいことがわかるよな?」
拓哉は大きくため息をついた、たしかにここ最近の自分は本当にわからない
でも今拓哉が最も望むものをコイツが持っていることも分かっていた、拓哉はずっと考えていた事を幸次に言った
「ああ・・・わかってるよ・・・・一つお前に頼みたいことがあるんだがいいかな?」
幸次は頼ってくれて嬉しそうに拓哉の方に身を乗り出した
「わかってくれて嬉しいよ、お前の頼みならなんでも聞くぜ 」
拓哉はあの夜弘美と別れた時の自分の態度に後悔していた
たしかにあの時は怒っていたが、後になればなるほどあまりにも決まりが悪くて弘美に連絡が取れずにいた
拓哉は幸次のほうを見ないでこう言った
「パリスチャン・ガオールのクリスマスパーティーに行きたいんだ大至急僕の枠を作ってくれ 」
・:.。.
ツリーマイゼンタウンにある亮の住むタワーマンションでは、亮が手鏡を自分の顔にかざし、拓哉に殴られた腫れあがった右頬をマジマジと見つめていた
腫れを取り除くためにずっと保冷剤を頬に貼っているが少しでも口を動かすと痛みが走る、あの櫻崎はカッとなると何をしでかすかわからない男だ、テレビで見る紳士なイメージとはずいぶんかけ離れていた、まったく役者の本性ってのはろくでもなく野蛮だ、なんとかアイツを懲らしめてやりたかった
以前から考えていたが、あの鼻持ちならない櫻崎拓哉から弘美を奪い取ることが、いわゆる日本一の俳優の自尊心にこの自分が大きな打撃を与えるだろうとひそかに亮は夢見ていた
そして弘美を亮の恋人だと公表するタイミングとして、ガオールのパーティが最高だと思いついた
「タロウに剣心」の役を獲得したのは大事な事だった、だが、こっちのほうが遥かにおもしろいと亮は思っていた
たしかに弘美が今の自分の言いなりになっているとは思えない、だが間もなくそれも状況が変わるだろう
なので亮は知り合いの記者にガオールのパーティーで面白い事があるとほのめかしていた
亮の噂を聞きつけた雄ライオンの近くの草むらで嗅ぎつけたガゼルの群れさながらにパパラッチ達は、油断なく自分達を陰から付け狙うだろう
パーティーでは弘美と一緒の所をスクープカメラマン達に必ず写真に撮られるように仕向けたい
たしか裁判だかなんだかで彼女は写真に撮られるのを嫌がっているが、そんなものは自分の知ったことではない
そしてそれをネタに、あの拓哉のマネージャーと正式にスターダスドの契約まで持ち込んでやる、亮は自分の計画に満足してにんまりと笑った
「ねぇ~?亮~?気持ちよくないの~ 」
と亮の股間に顔をうずめている全裸の女が、顔をあげて亮の顔をうかががった
「ああ・・・気持ち良いよ・・・・そのまま続けて 」
亮は女の髪を撫でながら言った、今度のパーティーは面白くなりそうだ・・・・
亮はそんな事をしばらくは考えていたが、全てを女の口の中に吐き出すころには赤坂弘美のことなど完全に忘れていた
・:.。.・:.。.
「キャー――――ッッ!パリスチャン・ガオールのクリスマスパーティーーーーーッ」
弘美は叫ぶ真由美の奇声に耐えられず、思わずスカイプライブをしているノートパソコンの前から数メートル後ずさり、両耳をふさいで言った
「お願いだからディズニーの驚いた子供の様な奇声を発するのは止めて頂戴」
ノートパソコンの画面の向こうで、真由美がしきりに横にあるデティベアのぬいぐるみを殴って言い返した
「これが叫ばずにいられますかっ!いい?弘美!パリスチャン・ガオールよ!クリスマス・パーティーよ!」
今や真由美はすっかり興奮して、クマの首を両手で絞めてブンブン振り回している
「そして相手が下沢亮なんて!あんたって・・・あんたって・・・ 」
弘美がごくんと喉を鳴らした
「そりゃ・・・・内緒にしてたことは悪かったわ・・・」
「でかしたわ!!あんたって最高!!」
ヒュー――!と真由美が指で輪っかを作って口笛を吹いた、とんでもない興奮状態で手が付けられない
でも真由美がこれほど喜んでくれるなんて思ってもみなかったので思わず弘美は心が温かくなった、遠慮がちに真由美に言う
「それで・・・その・・あなたにお願いしたいのは・・・ 」
「まって!みなまで言わなくてもいいわ!あたしに相談して正解よ!学生時代あなたの私服のセンスをよく戦後の専業主婦みいだと聡子とからかったのは忘れていないわ!いいわ!あなたのガオールのパーティーコーディネートは私がプロデュースするからまかせて!」
弘美はやっぱり真由美に相談してよかったと思った。今回まさしく彼女に頼りたいのはこの事だった
弘美は、法廷用のウーマンビジネススーツについてのファッションセンスは一応長けているとは思っていたけど、芸能界きってのセレブが集まるクリスマスパーティの正装となると・・・・
まったく知識は無きに等しかった
芸能界のセレブに詳しい、さまざまな業界情報を得ている画面越しに今にも発作を起こしそうな真由美が、今ではとても逞しく思えた
「毎年会場は、巨大なフロアにガオールのクリスマスプレゼンテーションもあるのよ!早い話がパーティーと言う名のファッションショーなのよ!そうなるとゲストは・・・ちょっと待ってよ・・・ 」
スカイプの画面が小さくなって、もう一つクロームの画面が立ち上がった、真由美がインターネットでリサーチをものすごい速さでしている、高速でパチパチとキーを叩く音が心地よくあたりに響く
「やっぱり!錚々たる顔ぶれよ!まずは今韓国で人気の日本人ラッパーでしょ!俳優の松頭龍平と三浦万三に今人気の映画監督に・・・そしてメインゲストの女性は・・・」
そんなに有名人が?やっぱり弘美は自分がこのパーティに参加するのは不自然じゃないかと思いだした・・・
きっと幼くてかわいいあの亮は、お友達の家のクリスマスパーティーに呼ばれた感覚で、誘ったのではないだろうか(プレゼントは何円まで?)なんて世間知らずの彼は可愛らしい事を考えていそうだ
それに弘美の持ち手のスーツは若くて可愛い亮と並ぶと、なんだか自分が父兄参観のように思えてしかたがなかった、だからといってギャルのような若作りはしたくなかった
「ふむ・・・・やっぱりね!拓哉の映画の宣伝でノエミ・クリスタルが来るわよ!そして・・・最近のノエミのパーティーファッションは・・・」
次々とパソコンの画面が切り替わる、どれもスーパーモデルから女優業に転向したノエミの華やかな写真が画面いっぱいに溢れる・・・・
「そうね!思った通りだわ!最近のノエミはルブタンをぶつけて来てるわちょっと!弘美!」
真由美は警告するように弘美をノートパソコンの画面越しに睨んだ
「あなたはこの事を真剣に考えなければいけないわ!ドレスも髪も!靴もそれにメイクも――あなたの存在そのものが細かい点のごとく細部に至るまで、念入りに計算されつくしてなくてはいけないのよ!――・・・いや・・・むしろこの場合ストレートに・・・・・昔ながらのガオールのファッション歴史を考えてみるとすると・・・ 」
真由美はブツブツと口元に手を当てて武将が戦術を練るようなしかめっ面をしてつぶやいている
「ちょっと!そんなに?なんだか怖くなってきたわ、私はねぇ 」
「少し黙って!あたしはあなたにうんと嫉妬してるのよ!それに誇らしくもあるわ!セレブは一つ一つのパーティーにテーマを持って出席しているの、そして今回のあなたのテーマは・・・・」
真由美はいよいよ確信をついて本題に入るとでもばかりに画面越しに弘美を指さした
「今回のあなたのパーティーテーマは「クリスマスのシンデレラ」よ!」
「ク・・・クリスマスのシンデレラ・・・・?」
弘美はポカン・・・と開いた口がふさがらなかった
「いい?業界用語では「シンデレラガール」「シンデレラボーイ」とはよく言われる言葉だけど、無名だった人間が一夜で有名になることを言うの!あなたはガオールのパーティでシンデレラガールになるのよ!」
「でも・・・私は注目を浴びることはご法度よ・・・それに私なんか本当に亮ちゃんと壁の隅にでもいれたらそれでいいのよ」
「弘美!弘美!お願いだからこんなふうに考えて!私のかねてからの親友のあなたをガオールのクリスマス・パーティーにそこら辺のスーパーのバーゲンで買った父兄参観のようなスーツで行かせたとなったら、あたしはあなたと二度と口を効かないわ!だってこんなダサい人に助言をする友人はいなかったのか?と周りに思われるじゃない!私のプロディースの通りに進行することは私達の友情を救うためよ!」
これを聞いて弘美はひどい言われようだと思ったが、真由美の意見も一理あると思い、今回の件は真由美に全託することに決めた
それから時間が経つにつれ、敏腕プロデューサーの様な雰囲気を醸し出し始めた真由美は、次から次へとものすごいスピードで弘美の衣装を選んでいった
「靴はシャネルで決まりよ!サイズを教えて!ガオールとシャネルはとても相性がいいの、それからブランドは一つで統一するのはセレブではご法度よ!それをするのは成金の趣味の悪い人だわ!アクセサリーは・・・そうね、ここが一番センスを問われる所よ、一流ブランドすぎてもダメ!かといって安っぽくてもダメ!ハリウッドスタイルを参考にしてもいいわね・・」
弘美はおかしくなって声をあげて笑った
「なんでも好きに買ってちょうだい」
その言葉を聞いた真由美がフンッと鼻をならした
「今回のプロデュース費用は私に持たせてちょうだい、何も全部は購入しなくていいの!一部はレンタルで済ませられるわ、拓哉のおかげで、うちのみかん農園はとても儲けさせてもらっているの!ほら!地元の地方誌に載ったのよ、うちのみかんは櫻崎拓哉御用達商品なのよ!」
真由美が広げて見せてくれた大きな新聞には、拓哉の写真と真由美のみかん農家の、みかんが一緒に掲載されていた
「拓哉がラジオで言ってくれたみたいなの!撮影所の差し入れにうちのみかんを使ったって、そこから全国の彼のファンから注文が殺到しているの!とうちゃんは従業員を10人増やしたわ!このご時世によ!とにかく!あたしは拓哉に遭わせてくれたあなたに、何かしないとストレスでニキビが出来そうよ!」
弘美はホッとして真由美に言った
「ありがとう・・・真由美」
真由美は大きくため息をついた
「問題はパーティーまでの準備に一週間しかないってことね、でも大丈夫!あなたは私のプロデュースで素敵になるわ、ああ・・・このパーティーに拓哉は来ないのね、残念だけどでも亮もいいわね!とにかく一生に一度あるかどうかの出来事よ!パーティを楽しんで!ノエミなんかに負けないでよ! 」
それは無理だと弘美は苦笑いした
それからの一週間は毎日真由美から衣装やらパーティーの小物やらメイク道具やトリートメントまで届き、二人は何度もスカイプで話し合った
「首や肩まで塗るのよ!」
と送られてきた大量の韓国製のCIKAマスクパックは、パーティまで朝晩毎日使うようにと真由美からの指示だった
そして僅か試して数日で弘美は肌が白くなっていくのを実感した弘美は「美は一日にならず」と言う様に、手入れをすると肌も髪もそれなりに美しくなっていった
やはり真由美に相談してよかったと思いながら、弘美は日夜美容ナイトルーティンに精を出した
来るパーティーにむけて、弘美は子供のように不安と期待を膨らませた、すべてはパーティーのためにパーティーで何かが起こるような気がしていた
何かとても良いことが
あるいはとても悪いことが