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国内でも一、二を争う歴史と最大の敷地の重厚な石造りの建物や、洋館が点在する神戸・旧居留地・・・・
その中心部に位置するのが「オリエンタルホテル」だ
そのはじまりは、神戸開港から間もない明治3年には「東洋一美しい居留地」と謳われた街の中心に、まるでこの街の守護神のようにどっしりと構えている
クリスマスイルミネーションが美しいワインレッドの夕日に輝く庭、散歩道をタクシーで通り過ぎながら、弘美はズラリと並ぶ歴史ある街の邸宅に目を見張った
「今日は、私共も朝から何度もこのオリエンタルホテルにゲストを送迎させていただいていますよ。ガオールの開くパーティーは本当に素晴らしいですよ!料理も音楽も最高と伺っていますよ、どうか心ゆくまでお楽しみください」
タクシーの運転手が運転席から振り返り、弘美を励ますように言った
「ありがとう」
弘美は緊張気味に微笑んだ
ホテルの解放された鉄製の門を抜けると、グラウンドかとも思えるだだっ広い駐車場があり、高級車がずらりと並んでいる
リモコンで開閉する巨大なガラス戸のついたガレージの中には、ベントレー・メルセデス・ポルシェにジャガーと、まるでモーターショーのようだった
正面玄関には、白いハットにナポレオンジャケットを着たベルボーイが優雅な動作で、次々に現れる客に対応している
弘美はぼうっとしながら、ベルボーイにファーのコートを預け、うごめくきらびやかな人の群れに入って行った
天空まで届きそうな吹き抜けの天井に、これ見よがしに7メートルはあるであろう巨大なシャンデリアがまず弘美を迎えてくれた、今地震が起きてこのシャンデリアが降ってきたら一瞬であの世行きだ
生演奏の音楽が鳴り響いている方向に顔を向けてみると、にぎやかなホーンセクションをバックに聞こえてくるのは・・・たしか拓哉のボディガードの映画に出演して参照を浴びている、有名なボーイズグループの男性歌手達だ、まだ平均年齢19歳の彼らは、今は軽快なステップでラップを交えながらステージ上を軽やかに踊って歌っている
パーティ会場の中心部を通り抜けるには時間がかかった
どこもかしこも着飾った人でごった返していて、シャンパンの入った凍らせたグラスを盆に乗せ、姿勢の良いウェイターが魚のように人込みを優雅に泳いでいる
そして大階段にひときわ目立って飾ってる、ガオールの印象派の絵画を眺めている時に、乳ガンワクチン反対協会だという女性にしつこく勧誘され、弘美は署名までさせられた
客の年齢層は幅広かったが、女性は誰もが完璧なメイクとありえないほど高いヒールで身を固め、男性も手入れの行き届いたしゃれた身なりをしていた
弘美は全身が映る鏡に、そっと自分を映してみた
真由美のプロデュース通りに80年代の、パリスチャン・ガオールのドレスを身にまとっている流れるような水色のニット生地で、胸の部分がV字に合わさってピタリと弘美の体に張り付いているのを確認した
シンプルな定番のドレスだが、体を肉感的に見せてくれるし、ひざ丈のスカートから伸びた韓国ワックスでピカピカに輝いている脚が綺麗に映える
足元はシャネルの銀色のピンヒールで、真由美から届いた時は少し派手過ぎるのではないかと思った、しかし「これはシンデレラシューズというものよ!今季の最新なの!」
と彼女の勢いに押され、履いてきたものの、他の女性達の服装を見た途端、自分が派手なのではないかというその心配は吹き飛んだ
そして真由美がこだわったガオールのラインストーンのアンクレットが足元についていて、弘美が歩くたびに下から輝きを添えてくれていた
さらにメイクは韓国製のラメが大量に入った、ブラウンのアイシャドーで陰影をつけて、目鼻立ちをハッキリし、人を選ぶ猫のようなアイラインを強調するメイクよりも、カラーコンタクトとマスカラで、目を普段の1.5倍に大きくしていた
髪は両サイドに耳の上でハーフアップにねじって止めて、2時間サロンで美容師がヘアアイロンと格闘してくれた結果、顔を動かす度に弘美の肩で艶々の巻き毛が揺れた
今や弘美はチークがいらないほど頬は興奮に熱を帯び、自然な赤に染まっていた
軽くめまいを覚えて、現実にこのような生活を送り、これほどの贅沢を当たり前だと思っている人々がいるということは、なんだか妙な気がしていた、まるでどこか別世界に迷い込んだかに思える
こうしたすべてが映画のワンシーンのようだった。それも当然かと弘美は軽く笑った、実際パーティーの参加者の多くは彼女がまさしく映画で目にしてきた男優や女優達なのだから
「・・・とにかく亮ちゃんを探さないと・・・」
真由美の選んだ、ビーズが全面に施された小さなパーティーバックからスマホを取り出し、亮のラインに電話したがつながらなかった
しかたがない、会場に来ていても、この混雑ぶりだとスマホが鳴っていても気づかないだろう、彼を探しながら、とにかく待ち合わせしやすい場所を探して、弘美はダンスフロアを後にし、造園された広い芝生に出た
木には素晴らしいクリスマスイルミネーションの電飾が絡められ、目を見張るほどのゴージャスなライトが庭にも混雑した人ゴミの上にかかる、天蓋にチカチカと光を投げかけている
サンタクロースのコスプレをした、ホテルの従業員が配っていたラメの包装紙に包まれたチョコレートボンボンをもらって、一つ口の中に放りこむ
客は椅子に座ってる者もいれば、料理が並ぶビッフェテーブルに群がっている者もいる
中にもとりわけ広いテーブルに乗ったクリスマスケーキは圧巻だった
1メートル強の高さの生クリームで覆われたケーキに、ブラックのガムペーストのリボンが三段式に駆けられ、ゴールドのアイシングで作られた蝶々のクッキーがちりばめられている
そして中央にはパリスチャン・ガオールのロゴが堂々と施されていた
「わぁ・・・・すごいですね・・・」
思わず弘美はちょうど隣にいて、こちらを見た年配の男性に話しかけるようにつぶやいた
「クリスマスケーキと言うよりは・・・・なんだか自分の宝物を閉じ込めておきたくなるような・・・宝石箱って感じですね・・・・一番上から誰かが飛び出てくる感じですかね?」
「う~ん・・・そうでないことを願いますネ」
男性はしゃがれ声で言った
「大量に刺さっている火がついているキャンドルで、火傷するといけませんからネ」
弘美は笑った
「そうですねそれにアイシングでベタベタになりそう」
よく見ると弘美の隣にいる男性は日本人ではなかった、全身ブラックフォーマルで、耳のダイヤのピアスが輝いている、とても青い瞳をしているこの年配の男性は、愛想の良い笑顔を崩さないまま弘美を値踏みするように頭から足のつま先までじっくり観察した
「あなたはまさしくパリスチャン・ガオールのお客様ですね」
彼は真っ白い歯を見せてにっこりし、流暢な日本語で弘美に話しかけた、弘美はドレスをほめてもらって嬉しかった
「友人が選んでくれたドレスなんです・・・ガオールの80年代と現代のファッションをミックスすると、ガオールの歴史が一望できるって・・・」
たぶん若い頃はこの男性はとてもハンサムだったんだろう、背は弘美と同じぐらいだが、髪はグレーがかかった白髪だ、普段から日光にさらされてるのか肌は乾いた皮のような質感をしていた
「ほほう・・・ご友人はすばらしいセンスをお持ちですな・・・そして足元は・・・・ 」
「そうなんです・・・・意外でしょ?」
弘美は真由美のセンスが褒められて嬉しくて、ますます饒舌に話し出した
「ドレスでガオールの歴史を語って靴でシャネルを合わすことによって、あのココ・シャネルのようにもっともエレガントで、最も手ごわく・・・最も象徴的で・・・最も未来を見据えていて・・・そして・・・・あれ?ど忘れしましたわなんて言ってたかしら? 」
男性が目を見開いて、弘美に身を乗り出して言った
「どうかその続きを思い出してください!お願いです!思い出してもらえるまで、あなたの傍を離れたくないですネ」
まぁ!女たらしの古狸ね!こんな所でナンパするなんて!
弘美は途端に全身で警戒し、友人を探しているので失礼するとプイッと年配の男性の元を後にした、彼の視線はずいぶん弘美が遠くなるまで背中に感じていた、その時やっと亮からライン通話が来た
「ハイ!亮ちゃん? 」
「ひーちゃんどこ~?着いたってラインあったから今、僕玄関ホールなんだけどぉ~」
わざわざ迎えに来てくれたのね・・・クスッと弘美は笑った
「ごめんなさい勝手に中に入っちゃった・・・・中に入ってずいぶん経つわ、今は中庭からダンスホールに入ってきた所」
スマホの奥でザワザワとくぐもった声と喧騒に、亮は沢山の人といることが想像できた
もしかしたら亮は自分なんか誘わなくても、いくらでも一緒に楽しめる相手がいるのかもしれないと弘美は思った、しかし亮の答えは意外だった
「大広間のエントランス大階段で待ち合わせしよう!急いでいくから僕が行くまで誰ともしゃべっちゃダメ!わかった?ひーちゃん! 」
・:.。.・:.。.
「わぁ!綺麗!!」
「亮ちゃん!」
彼が弘美を見つけると亮は花火のような弾けた笑顔を見せた
「素敵だよ!ひーちゃん」
「ありがとう・・・亮ちゃんもカッコいいわ!」
これまで弘美はロマンティックな意味で亮に惹かれたことはなかったが、真っ白なタキシード姿の彼には見とれてしまった、亮を見る周りの人々のまなざしから察するに、みんなも同じように彼に目を引かれているようだ、猫のようにしなやかな細身のその体に、ゆったりとして優雅なタキシードが良く映えていた、そして今夜の彼の髪の色は明るい茶髪に水色のメッシュが入っていた
フロアの反対側には、先ほどクリスマスケーキの前で弘美と少し立ち話をした外国人の年配の男性がいた、また誰か女性を狙っているのだろうか・・・
そんな気持ちで疑わしく観察していると、なんだか彼に表敬の挨拶しようとする人々でなんと長い列ができている
「ねぇ・・・亮ちゃん・・・あの外人のおじさま・・・誰か知ってる」
「うん?」
亮がダンスフロアで踊っている人々を眺めながら弘美の話を聞こうと耳を寄せてきた、体が音楽に合わせて小刻みに揺れている。亮は弘美の指差す人物を見て彼女に言った
「ああ・・・・あの人こそパーティーの主催者でこのブランドのデザイナーの「パリスチャン・ガオール」だよ 」
「まぁ!どうしましょう!!」
弘美は叫んだ
カウンターバーの向こうでは何十人ものカメラマンが大きな一眼カメラを首からぶら下げて、ガゼルの群れさながらにセレブの周りをウロウロとスクープになるネタを収めようと躍起になっていた
それを見た弘美は会場に入るのを怯んだ
「どうしたの?ひーちゃん?ああ!心配いらないよ、彼らはどこかの企業のカメラマンに過ぎないから、君の裁判の判事が目にすような雑誌とかは掲載されないよ」
「でも・・・どうかしら・・・それはわからないわ・・・亮ちゃんが飲み物を取ってきてくれない?私はここで待ってるから」
なぜか一瞬だが亮の表情が強張ったのを弘美は見逃さなかった、しかし次の瞬間彼はものわかりの良い弟のような笑顔になった
「わかった!シャンパンでいい?」
弘美も思わず笑顔で答える
「なんでもいいわ」
「お~~~い!俺たちに挨拶無しでどこの美女をナンパしてるんだよ!」
「ヘイ!ブラザー♪」
その時二人のタキシードの男性がいきなり目の前に現れた。その二人は突然亮の背後から彼を羽交い絞めにして肩越しに弘美を興味深々で除きこんだ、その二人は亮の映画出演作「タロウに剣心」で共演していた若手俳優二人だった
弘美は顔は見覚えがある程度だったが、二人とも若く、とてもイケメンだった、そしてもう一人は恋愛ドラマでも見覚えがあった
「なぁ~んでお前たちがここにいるんだよ~」
「へへ~いい♪」
まるで休み時間に男子学生が廊下でじゃれているような雰囲気を醸し出して、途端に三人はワチャワチャと暴れ出した
おそらく一年近い過酷な撮影時間で、大抵の同い年の俳優達は仲良くなるんだろう、特にこの三人は相当親しくなったらしい、再会できたことを大いに喜んでいた
何が起きているのかとまごつている弘美を置いて、亮達三人はお互いをこけ落としながらも、一人は亮におんぶされ、大笑いしながら酒を飲みかわそうと、カウンターバーの方へ亮を連れて行ってしまった
そして一人残された弘美は完璧に壁の花になってしまった、あたりを見回してみても知った顔ひとつないあたりまえだった
しばらくボーっと行きかうキラキラした人達を、まるで水槽のこっち側から眺めているような感覚で見ていたら、開かれたダンスフロアのドアの傍に誰かが立っているのが見えた
弘美の胸は締め付けられた、そこにいたのは櫻崎拓哉だった
アスリートのように引き締まった体に、真っ黒の長めのパーマがかかった豊かな髪黒の、インナータートルに黒のジャケット黒のスラックスだった
なんとも全身真っ黒の拓哉は、亮とは違って信じられないぐらいセクシーだ、とてもしなやかで今夜ハイテク強盗でも企てているかのようだった
ゆったりと立ち、片手を何気なくポケットに突っ込んでいるが、その素敵な佇まいは、あたりの活気に満ちた光景からは断絶して見えた
どうして彼がここに?・・・・
拓哉は口元に上品に微笑みを浮かべ、隣に立っているとてもスリムな女性と話をしていた、ノエミ・クリスタルだった
やはり実物のノエミは、目を見張るほどの美女で、黒インクのような艶やかなストレートの髪をしていた。彫の深い顔立ちで背中の露出度の高い黒のドレスに包まれた体は、驚くほど細い二人はとてもお似合いに見えた
そして拓哉が顔をあげ弘美に気づいた
あ・・・見つかっちゃった・・・・
弘美は息が止まりそうになった、彼の茶色の瞳が大きく見開き、まん丸になったのを弘美は見逃さなかった
そしてその視線はゆっくりと弘美のシルバーのシャネルのミュールに下り再びゆっくりとあがってきた
見られていることを意識して顔が熱くなる、彼は背筋を伸ばし、あろうことか弘美にむかって真っすぐ歩いてきた
どういうわけか一番会いたい人で、会いたくない人だった
こんな場違いな所に自分がいる言い訳を咄嗟に考えたが、亮と来ているのは拓哉も知っているだろうし、先日気まずい空気のまま別れたので、今まさに彼に何を言うべきか思いつかなかった
そして弘美は彼と直接対決するかどうか数秒悩んだ末
彼女はその場から逃げることにした
・:.。.・:.。.
国内一のホテルの化粧室はやはり装飾も国内一なのだろう・・・・
そこはベージュと黒の大理石とダークマホガニー材で贅沢に仕上げられ、手洗いとは別に独立したゴールドのスターの楽屋のようなメイクドレッサーが3つも設置されていた
個室に入り、そんな事を弘美はボーッと考えていた、ここは唯一女性が一人でも不審に思われない所だ、そして外に出たら拓哉と何を話そうかと考えていた時
化粧室の入り口がバンと開いて、二人の女性の詮索好きそうな声が聞こえてきた
「亮と一緒に来た人・・・彼女かしら?」
一人目の声が話している
「そんなことないんじゃない?たまたま同じ時間にここに到着しただけよ、だってほら、向こうに亮がいるわよ、あの映画に出てた他の俳優達と笑ってるわ」
二人目の声が言った
「そうね!もし下沢亮と一緒に来てたら、せめて彼、飲み物ぐらい持っていくでしょう?」
すぐにはわからなかったが、そのうちこの女性達が自分と亮の噂話しをていることに気づいた
まぁ!くだらない!私はこんなつまらないゴシップになんて、全然興味ありませんからね・・・
心の中でつぶやきながら、もっと聞こえるように弘美はピッタリドアに耳をつけた
「あの亮と一緒だった彼女モデルか何かだと思う?」
二人目の声が低く聞いた
―モデル?私が?・・・うわぁ・・・―
聞き耳を立てながら弘美はドアの後ろで自分の鼻の穴が膨らむのを感じた
「髪が付け毛なのは賭けてもいいわ」
―ちょっとまってよ!―
思わず反論しようとして声を出しそうになったが素早く口を閉じた
「それに唇はヒアルロン酸注射はしてると思うわ、何㏄入れたか私は見たらわかるの!」
一人目の女性が煽るようにケラケラ笑った、思わず弘美は自分の唇をさっと触った
「おっぱいはどう思う?」
二人目の女性がせせら笑うように言った
「うそでしょ?この世界でもう本物のおっぱいを持ってる人なんているはずないわ!私は見ただけで豊胸手術の生理食塩水バックを何㏄入れてるかわかるのよ!!」
「そうよね!亮もあのおっぱいに騙されたのかしら、あたしも夏ぐらいには整形考えているの」
女性達は二人して噴き出した
弘美は自分のおっぱいを両手で持ち上げてぶるんっと離した、そして人差し指をドアに立てて口パクで言った
―いいこと?このおっぱいは――
「でもやっぱりノエミ・クリスタルは別格よね~」
一人目がため息をついた
「櫻崎拓哉と二人でいる所見た?もはや異次元よ、あたしはあの二人は同じ人間かと思っちゃったわ」
「そうよね・・ノエミの隣には進んで並びたくないわ、さすがハーフだけあって骨格バービー人形ね、拓哉もノエミから目が離せない感じだったわ」
ハァ~
「素敵なカップルね~」
二人のやり取りをやっぱり弘美は聞かなければよかったと思った、途端に気分が落ち込んでいく、弘美が耳を澄ましていると化粧室から出て行く女性達の声は小さくなっていった
弘美は用心深く、個室のドアを開けて誰もいないドレッサーに向かった、たしかに今日の自分は数段イケてるとは思った・・・これもすべて真由美のおかげだ
しかし所詮着飾るのも付け焼刃・・・・やっぱり本物の芸能人には勝てない、骨格の作りからして違うのよ相手はなんてったってバービー人形だ
そこで考えた私は何を競っているの?
あの二人の女性達が言ったことで、拓哉と一緒にいるノエミ・クリスタルの事が、こんなにこたえているとは思わなかった
化粧室の扉を少し開けて、顔だけを出し、キョロキョロと拓哉を探したけど、どこも見当たらなかった・・・・
当然だ、彼はたぶんノエミの所に戻ったのだろう、そして自分も亮を探して今日誘ってくれた礼を言って明日の仕事の準備もあるから帰ると言おう
とにかく約束は守って顔は出したのだし・・・
もっとも亮自身も自分がいなくても楽しんでいるみたいなので、こんな水を差す挨拶もいらないのかもしれない・・・・
真由美の調査では、このガオールのパーティーに招待されたのは700人と聞いているが、弘美からすれば1000人は招待されているような規模のパーティーなのではないかと思った
中には弘美のような堅気の中流階級のまったくの素人とかも、もしかしたらいるのかもしれない、亮を探しても、もうこの人込みでは、見つけるのを無理だとあきらめた時
大階段からダンスフロアまでに大判のレッドカーペットが引かれ、もうすぐガオールのファッションショーが始まるのか周りはあわただしく、ホテルやショー関係のスタッフが行きかい始めた
そして大階段の中央には、可動式の白いクロスの張られたテーブルがあり、そのテーブルの上には白い手袋をはめたホテルのスタッフが数十個ものピカピカのシャンパングラスを綺麗にピラミッド型に積んでいた
ショーのファイナルではガオールとモデル達がシャンパンタワーをして客に振舞う予定だそうだ
キンキンに冷えたクリスタルのシャンパングラスに、唇も凍り付くほどのシャンパンはなんともおいしそうだ
亮も見つからないことだし、弘美はせめて今日の収穫を真由美に話して聞かせるために、この大規模なファッションショーを見物してから帰ろうと思った
それだけでも今夜おしゃれしてやってきたのも報われるというものだ、そう思ったら、さっきまで沈んでいた気分が少し持ち直してきた
他の見物人と混ざってガヤガヤと集まるレッドカーペットの傍で、ショーが始まるのを立ち見で待った
弘美のすぐ後ろにはキラキラ光るゴージャスなシャンパンタワーがある、その迫力に少し圧倒された、どうやら弘美はショーのファイナルを一番良い場所で見物できる特等席に来たようだ、そう思うと心がウキウキした
いよいよショーが始まった
派手な音楽が流れ、次々と高身長のモデルがキラキラした衣装を身にまとい、弘美達見物人の傍を行き来する
パリスチャン・ガオールのクリエイティブな才能が、誰彼、構わず凡人にも理解できるかと言えばそれは謎だった
トランプを張り合わせた奇抜なデザインのドレスは絶対着心地は悪そうだし、行きかうモデル達が持っている透明のビニール素材のバッグは中身が丸見えで、窃盗事件の種になりそうだった
それでも華やかなモデルは何でも高級に見せてくれる、弘美は拍手をするみんなと調子を合わせて拍手し、その場の雰囲気を大いに楽しんだ
派手なラップがスピーカーから会場中に広がり、いよいよショーはファイナルステージに突入した
ガオールが輝く笑顔で出て来てステージを一周し、シャボン玉を吹いているモデル達と共にスポットライトを浴び、シャンパンタワーの一番上からシャンパンを注いだ
群衆からは歓声が上がりショーの熱気は最高潮になった
その時弘美の後ろで立ち見をしている人から小さく小声で何か聞こえた
ボソッ「亮に近づくんじゃねーよ・・・・」
え?
と思った瞬間ドンッと誰かに背中を押された
その拍子に体は弘美の意志とは反対にm背中からレッドカーペットに飛び出した、右足は前についたまま、左足は高いヒールのせいか、踵はぐにゃりと折れ、ずるっと後ろに下がり弘美はバランスを崩した
前かがみで両手が前に出て、弘美はバランスを取ろうと咄嗟に右手でシャンパンタワーのテーブルクロスをつかんだ
隣にいた男性が弘美を助けようと手を差し伸べたが、間に合わなかった
弘美はクロスをつかんだまま、レッドカーペットに腹ばいになって、勢いよく床に大の字で倒れた
シャンパンタワーが傾いた、そしてグラスがそこから崩れ、頂上のシャンパングラスが弘美に向かって雪崩のようにゆっくり倒れて行くのを
群衆はまるで映画のスローモーションを見るように呆然と見守った
誰もが大きく目と口を開け息をのんだ
シャンパンボトルも氷の台もそして数100個のグラスも宙を舞い
完璧な弧を描いて
グラスが割れる音と共に倒れている弘美の頭上に降りそそいだ
弘美は倒れてきたシャンパングラスと、氷のように冷たいシャンパンを頭からかぶってビショビショになった
そしてフィナーレを飾るはずのレッドカーペットの真ん中に四つん這いになって、浴びる筈のない群衆の注目を一身に浴びていた
とんでもないハプニングに音楽はすでに鳴りやみ、遠くで誰かが叫んでいる声が聞こえる
突然のハプニングにショーは中断された
みんな口々に何か言っているが誰も弘美に手を差し出さなかった
スタッフがバタバタと数十個の割れたグラスの破片があるので、弘美に近寄らないように指示しているからだ
周りからは蔑んだ笑いがこぼれていた、しかし中には「タオルを持ってきてやれ」と本気で弘美を心配している声もあった
弘美はブルブルと震え始めていた、血が上って顔がカっと熱くなってる、アドレナリンが噴出して首の後ろから冷汗が出ている。すでに早鐘を打っている心臓をいっそうドキドキさせる
激しく打ち付けた膝小僧がズキズキ痛む、そこら中にシャンパングラスの割れた破片が飛び散っている、そしてそれがスポットライトを浴びてキラキラしている
氷の用に冷たいシャンパンが背中の髪にしたたりドレスの内側に染みて弘美の肌に当たる。あまりの冷たさに肌が痛い
スポットライトが照らしているのはガオールでは無く無残な弘美の姿だった
「どうかみなさんそのままで!動かないでください!破片が飛び散っていて危ないですから」
そう言われているのでなかなか周りの人は動けなかった
しかしとんでもないハプニングのおかげで、静かだがパーティはますます熱狂の渦に包まれていた
そして人々のささやきはパーティー会場をうろついているカメラマン達にたちまち伝わった
彼らは俳優同志が話し込んでいる所や、メイク直しをしている大物女優など、ぱっとしない写真を撮っていたので「金」になるガオールのパーティーのハプニング写真を撮りに集まってきていた
弘美はあまりのショックにその場を動けなかった、横目でチラリと弘美を見ている群衆を見ると、人込みの頭の間に亮がこっちを見ているような気がした
え?・・・亮ちゃん・・・・?
弘美は亮が飛んできて助けてくれるのかと期待して待っていたが、次にもう一度亮がいた所をチラリと見てみた時には、そこには亮の姿は消えていた
パシャッ!パシャ!パシャ!
シャッターを切る音と同時にフラッシュが目の前で焚かれ、弘美の視界に真っ白い残像を残した
何?・・・・何なの?
自分が写真を撮られているのだと理解する事にしばらく時間がかかった、耳の奥とこめかみの血管が、どくどく脈打っている、視界は完全にぼやけてしまって良く見えなかった
大勢の群衆の中醜態をさらして、尚且つ、写真まで撮られている自分の現実を受け入れられなかった、弘美は膝をついたまま、まったく体が硬直して動けない
パシャッ!パシャ!パシャ!パシャ!パシャ!
嫌・・・・
やめて・・・・
撮らないで・・
心ではそう必死に叫んでいるのに声が出なかった、屈辱のまま、なるべく顔が映らないようにうつむくしかできなかった
穴があったら入りたいとはこの事だった、こんな時に頭の回転が速い自分が嫌になった、色んな事が頭の中を走馬灯によぎって行った
好奇にさらされた群衆のざわめき・・・
みんなが自分の事を口々に囁く・・・・
去って行った亮ちゃんの蔑むような眼・・・
そして場違いである自分をせせら笑う拓哉とノエミ・クリスタル・・・・
弘美の写真が載った雑誌を顔をしかめて見る裁判所の判事達・・・・
この写真がスクープになって秘書の美香達が騒いでいる光景・・・
期待に応えられず奈々や大好きな人達をガッカリさせる自分・・・
裁判で負ける自分・・・
負けた自分・・・・
負けてしまった自分・・・・
カメラのフラッシュが今でもなお焚かれている、晒し物になっている気分がどんどん染み込む、弘美の手の甲に涙がポトリと落ちたその涙を見てなんと自分が泣いているのに気づいた
これまでさまざまなことを成しとげたり、学んだり時には失うことで今までの自分を形成してきた、しかしこんな形で未来を失うことになるなんて
今まさにこの瞬間・・・
弘美は自分が弁護士生命を絶たれた事を悟った
・:.。.・:.。.
パリン・・・・パリン・・・・
グラスの破片を踏み鳴らす音と共に、ビショビショになってうなだれている弘美の視界に、大きな真っ黒なグッチの革靴が現れた
弘美は顔をあげて目の前にいる相手が誰かを確認した途端、すべてが止まった
人々の話し声も
みんなの足音も・・・
まばたきも・・・・
呼吸も・・・心臓の鼓動も
このアーモンドのような茶色い瞳を持つ人物は一人しか知らない、目も眩むほどまばゆい櫻崎拓哉がそこに立っていた
「・・・大丈夫か?・・・ 」
彼はしゃがんで弘美の顔を伺った、弘美はしばらく反応できなかった
一瞬止まりかけた心臓を再び動かそうとすると、今度は脈が跳ね上って強すぎるほど心臓を叩く、何か言おうとするのだけど口が動かない、拓哉の登場でカメラのフラッシュが一層騒々しくなった
拓哉は自分のジャケットを脱ぐと頭から弘美にかぶせた、シルクの裏地がついたウールの感触はシャンパンで冷えた体にあまりにも心地よく、小さな震えが走るほどだった、男らしい拓哉の甘い香りがふんわりと弘美を包み込み、視界と現実を切り離してくれた
そして彼は弘美の背中と腰をがっしり支え、信じられないほどの力で持ち上げられ、弘美を立たせて自分にもたれさせた、弘美は頭からかぶっているジャケットのカーテンのおかげで、今いる世界から切り離され、支えられている拓哉の腕に自分を安心して預けた
「報道陣!!」
拓哉が叫んだ、信じられないほどのフラッシュが拓哉めがけて切られ、弘美と拓哉はフラッシュに照らされ真っ白になった、それでもお構いなしに拓哉は叫んだ
「いいかっ!この女性の記事を一行でも書いてみろ!それを載せた出版社は今後未来永劫櫻崎拓哉からの取材は一切受けられないと思えっ!」
ドスの効いた拓哉の声がそこら中に反響した、途端にカメラのフラッシュが止んだ、弘美は拓哉に導かれて人込みの中をゆっくり歩きだした
「ドレスとシャンパングラスだ!!!」
後ろの方でなんとガオールが叫んだ、彼は何やらインスピレーションが湧いただの、来季のコレクションはシャンパングラスだの、80年代のドレスだのと、ひっきりなしに叫び大騒ぎを起こしていた
「たく・・・・ 」
「今は何もしゃべるな」
力強い拓哉の言葉がジャケット越しに聞こえた、その声は怒っているようにも聞こえる、温かい拓哉の右手は弘美の腰をしっかり支え包み込むように、左手は弘美の前で組んでいる、両手をがっしり握っていた
太ももがかすかに触れ合っている、弘美は必死にぐらつきながら拓哉についていった、安定した地面というより船のデッキに立っているような感覚だった
しかし倒れる心配はないようだ、だって拓哉は弘美を逞しく支え、バランスを取ってくれていた
拓哉の手を握りしめ、一緒に歩こうと頑張ったが、またよろめき、パニックに襲われそうになった、体に腕を回されて強く抱き寄せられたがそれでも震えが止まらなかった
「ど・・・どこへ・・・・」
めまいに耐えながらみじめな気分で言った
「僕の車までちょっとだけがんばれ」
優しく囁く声が聞こえた、どうやら外に連れ出してくれる気みたいだ
弘美は混乱しながら拓哉と共に混雑する人込みを通り抜けて行った
拓哉はそこら中知り合いだらけのようで、中には優しく声をかけてくれる人もいたけれども、早く進もうと弘美を連れて人込みの合間を縫って進む、拓哉の腕には獰猛な緊張感がみなぎっていた
弘美は自分の震える息を大きく吸った、体を縮こまらせて少しでも彼から離れたいという思いと、彼に担いで帰ってもらいたいという思いが交差した
拓哉は相変わらず大きな温かいがっしりとした体で、弘美を捕まえてグングン出口に向かった
弘美を守るように・・・あるいは逃がさないように
拓哉は何か言おうとする弘美を遮り、そのまま正面玄関へ向かい、自分の車が止まっている所へ弘美を案内した
頭のてっぺんから爪の先まで冷え切った体に北風が吹き、自分が霜とりが必要な冷凍庫になったように感じた
目の前に現れたのはピカピカのシルバーのメルセデス・ベンツで、車内のシートは柔らかそうなベージュの皮張りだった
「駄目よ・・・」
弘美はしり込みした
「こんなシャンパンでずぶ濡れの汚い格好で乗れるわけないでしょ」
拓哉がドアを開けて弘美を中へ押し込む
「いいから乗るんだ、歩いて帰るわけにもいかないんだから」
こんなずぶ濡れじゃ車の内装がダメになってしまう・・・そう思ったが、弘美は身の置き所がない感じで、おずおずとなるべく汚さないようにシートの端っこに横たわった
彼のジャケットは着たまま・・・・ベンツの快適な揺れに包まれて、弘美はぼんやりと流れていく車窓の景色を見ていた、ポツリと弘美が消え入るような声で言った
「・・・ガオールに・・・申し訳ない事をしたわ・・・ 」
拓哉がリズムよくハンドルをさばいている、その横顔がフッと優しくなった
「・・・・彼には後で連絡しておくよ、以前ガオールのイメージモデルをやっていたんでね・・・実は彼とはかなり親しい、なんか最後は、彼は色々叫んでいたな・・・」
フフッと拓哉は笑った、その頬笑みから拓哉がガオールを気に入っていることを感じた
それから拓哉が何も話さないので車内の中は心地よい沈黙に包まれていた、車の空気ファンから温かい風が送られてきて弘美はウトウトしだした、人間はとんでもないショックを受けると、睡魔に襲われるというのはあながち嘘ではないらしい
「眠りなさい・・・弘美・・・」
拓哉の優しい声が呪文のように弘美に響き、弘美はそっと目を閉じそこから何も考えられなくなった
弘美の家に着くと、拓哉はまっすぐ弘美を寝室へ連れて行った、勝手にクローゼットからバスタオルを出し弘美の頭をゴシゴシ拭かれる
弘美はもはや抵抗する気力も無く、拓哉に好きにさせていた、彼は腕や脚についたシャンパンの小さな擦り傷を見て顔をしかめた
「後で薬を買ってきてやる」
彼が寝室から出ると、やがてバスタブにお湯がたまる音が聞こえだした、その音を聞いた途端自分の体が芯から冷えていたことを実感した
熱い湯舟に浸かると生き返った気がした、拓哉は弘美が特別な日に使うバスオイルを湯舟に垂らしてくれていた、今はまさにその特別な日だった、別の意味において、弘美はバスタブの端に頭を置いて、その匂いを心行くまで吸い込んだ
しばらくして心も体もリラックスし始めた、良い香りの蒸気に包まれて毛穴が開き筋肉がほぐれ。肺が湿った空気で満たされた、全身が再び機能した出したかのように感じた
どれぐらい経ったかわからないけれど、弘美が風呂から上がり、ジェラート・ピケのシルクのパジャマを着てリビングに行くと拓哉がビールを飲みながらテレビを見ていた
・・・帰ったと思ったのに・・・
自分の家でくつろぐ彼を見た途端なぜか愛おしさで心が満たされた
今夜人生で消してしまいたいほどの醜態にさらされた
弁護士としての自分・・・・
世間体を気にする自分・・・・
外見を最も磨きあげた女のプライド・・・
なんてことだろうすべてを取り去った時・・・そこには彼しか残らなくなった
「おいで 」
拓哉がソファーに座って両手を広げた自分を呼んでいる、信じられないほどの魅力に引き寄せられ、弘美はスッポリ拓哉の腕の中へ吸い寄せられた
拓哉の両手が弘美の背中を這い上がり、まずは肩を優しく揉まれた、こわばった筋肉から痛みを取り除いていく、その力は徐々に強まった
親指が円を描くように、筋肉と関節を着実にほぐしていくと、うねるような快感が生まれ、弘美は思わず喉からうめき声をもらした
「う~ん・・・・すごく気持ちがいいわ・・・あなたって・・・マッサージ師になれるわよ・・・」
「そう?」
拓哉は弘美を転がして本格的に背中にとりかかった
「なんだこの背中は・・・鉄板でも仕込んでるんじゃないのか?」
ザッと下までなでおろした後深く、細かくもんでこわばりを取り除き凝った筋肉をほぐしていく力強く巧みなその手に身を任せると、ふわりと体の感覚がなくなり、ずっしりと重くなった
「さっきは助けてくれてありがとう・・・」
弘美が小さくつぶやいた
「大変だったな・・・・君が大怪我をしていなくてよかった」
弘美はまだあの醜態を一つ一つ、いつもの弁護士目線で検証するにはまだショックから立ち直れなかった
拓哉はふくらはぎを揉んだ後、体をひっくり返して足を自分の膝に乗せた、土踏まずに親指が押し当てられると弘美から喜びの声が漏れた
「・・・どうしてあんなことになったのかよく思いだせないの・・・ショーを台無しにしてしまったわ、ガオールは私を告訴するかしら・・・・」
拓哉は弘美の足の指を一本ずつ揉みだした、しなやかな声でそっと言う
「弘美・・・・・僕には6歳年下の妹がいるんだが、ある日妹が小学生の時に学芸会の演技大会で主役をやることになったんだ・・・ 」
「まぁ・・・・そうなの?すごいわ」
突然の拓哉の話に弘美は驚いた、拓哉が自分の家族の話をするのは初めてだった、弘美はじっと拓哉の声に耳を傾けた彼が足を揉みながら話す
「6歳も離れていると、お互い一人っ子のような感じで育ってしまってね・・・家でもあんまり彼女とは話もしなかったし、お兄ちゃんらしいこともあんまりしてなくて・・・まぁ僕も自分自身の事に必死だったし・・・高校生の男が終始何を考えているかなんて君には想像つかないだろうけど朝になると・・・・ 」
「また着地点がない話をしてるわよ」
「逆にすべての会話に着地点を求めるのをやめてくれ」
拓哉はエヘンと一つ咳をしてまた話し始めた
「まぁ・・とにかくだ、あんまりにも妹に関心がない兄に母親がしびれを切らせて、僕を妹の応援にその学芸会に連れて行ったんだよ、妹の初めての晴れ舞台には家族全員で応援するものだって」
「微笑ましいわ」
弘美は目を閉じたまま微笑んだ
「実際妹はとても上手く演技していたと思うよ、声も良く通っていたし、観客もよく拍手してくれていた、しかし最後のクライマックスでみんなでダンスをするシーンがあったんだけど・・・・」
「・・・どうなったの? 」
弘美はけだるく答えた
「妹は舞台から落ちたんだ」
せっかくほぐしてもらっていたのに、弘美の体は緊張でこわばった、何をどう言えばいいのかわからないがなんとなく話の意図が見えてきた
「2メートル近くある舞台から落ちたものだから、妹は足を骨折してしまったんだ、その時の動揺はいまでもハッキリ覚えているよ。あとで聞いた話だけど妹が演じた主役をやれなくて、悔しい思いをしてる女子は少なくともクラスに5人はいたそうだ」
弘美の体をマッサージする拓哉の手は優しかったが声はすごみを増した
「ある種の人間は自分の望む結果を得られるならば、どんな事をしてでも手に入れたいと望む連中がいる、それが無理ならば人を蹴落とし、恥をかかせて、傷つけて腹いせをする、それを楽しみとする・・・病的な輩だが、特に僕のいるこの世界では人をおもちゃにして楽しむ人間が大勢いるんだ。最も狡猾に人を貶めるナルシストってのがね、後でソイツがどうなろうと知ったことではない、いつでも自分の気持ちが晴れるのが一番大事なんだよ、僕は反吐が出るほどこの業界でそんな人間を見てきた。あの時、妹もそんな連中の餌食になった」
そう・・・あの時・・・・
拓哉は化粧室から出てきた弘美をずっと目で追っていた。ガオールのショーのフィナーレで弘美がポップコーンのようにレッドカーペットに弾き飛ばされたのを目の当たりにした、その光景を思いだしていた
拓哉は奥歯をかみしめながら静かに言った
「弘美・・・・君は誰かに背中を突き飛ばされたんだよ」
弘美は自分が犯そうとしているリスクの大きさに心底ゾっとした
「・・・・・怖いわ・・・・」
「僕が守るよ 」
動揺を感じ取ったのか、拓哉は弘美を太ももの間に引き寄せ胸に抱いた、そのまま何も言わず気長になだめるように弘美を抱きしめた
拓哉は弘美にそっと重ねるようにキスをした、優しく唇を唇で弄び・・・・やがて彼は弘美の唇をこじ開けた、ぬくもりとシャンパンとブレスミントの甘い香り・・・拓哉自身の味が舌に感じられた
しっかりと濡れて絡み合うキスも、その魅惑的な感触も、すべてが気が狂うほど良すぎて、とても抗うことができない
彼は舌でじっくり弘美を探りキスが深まっていくにつれて、全身に欲情が満ちてきて、弘美はぐったりと拓哉にもたれかかった、髪を撫でられると彼の手が欲望で震えているのに気づいた
やがてジェラピケの柔らかいパジャマのボタンをすっかり外され、拓哉に導かれるまま、ソファーに仰向けに寝かされた、丸い胸のふくらみとピンク色の胸の頂をじっと見つめられる
「・・・・明るいわ・・・ 」
恥じらって言う・・・
「とても美しい・・・君が服を着るなんて犯罪だな・・・」
片方の胸に頬を摺り寄せ、唇で先端を探す、うねるように動く舌と、強く吸い付く濡れた唇の感覚に弘美はハッと息をのんだ
揉まれて吸われ・・・舐められるたびに腰のあたりにゾクゾクと鋭い快感が走る、ジュワッと股間に愛液が溢れるのを感じる
長く官能的な甘い責め苦に弘美は身もだえずにはいられなかった
「君が好きだ」
耳元で囁かれた
私もよ・・・ええ・・・狂おしい程あなたが好き・・・
そう言おうとした瞬間に以前にもそう思っていた、人に裏切られた傷がパカンッと蓋を開けた、弘美の中でそれは恐ろしい程ジュクジュク溢れてきた
途端に体が氷ついた
「私はあなたの新しいタクヤガールになるつもりはないわ」
パジャマのボタンを留めながら言う、それを聞いた拓哉が戦闘態勢に入った、あきらかにムッとしている
「でも僕の事が好きだろう?」
拓哉の目が今までありえないほどに所有欲をむき出しにしている、初めて会った時から拓哉なんて大嫌いと自分に言い聞かせてきた時ですら、彼のおかげで笑顔になれた
そもそもの始まりから拓哉は弘美を理解してくれていた、弘美の事を見抜き気持ちを理解してくれた
さまざまな点で二人は似ていると思っていた、彼と過ごしていくうちに、文句を言ったり喧嘩をしたこともあったが、拓哉と過ごす時間のすべてが弘美にとっては大切だった
彼は賢くてウィットに富み途方もなくセクシーだが、そうした外見の下には優しい人柄が隠れている
そして・・・彼もまた弘美と同じ傷つきやすかった、深い茶色い瞳を見つめながら弘美は心の奥底にある真実とついに向き合った
「あなたは今日・・・ノエミ・クリスタルといたわ・・・」
張り詰めた声で言う
「映画の宣伝だから彼女もいるのはあたりまえだろ、それを言えば、君もあのクソ下沢と一緒にいたじゃないか」
束の間・・・えぐり取られたような沈黙の後弘美が言った
「亮ちゃんとは・・・別になんでもないわ・・・ 」
「それを聞いてハイそうですか、とは思えないよ、君がアイツのイケナイ弁護士になっていないとは言えない」
イケナイ弁護士?いったい何を言ってるの?怒りというより困惑の方が強かった
「あなただって、ニュータクヤガールがノエミだって報道されているのに、私とも付き合いたいって言うの?」
息をつぎ思わずもう一度言った
「私はそういう付き合いはできないの!」
「僕だってそうだ!あれはただの報道だよ!」
拓哉の声は穏やかながら残忍な響きがあり、弘美は全身の毛が逆立つのを感じた
「僕は駆け引きなんかするつもりはない、君が好きだから自分の気持ちを伝えたいだけだ!」
「あらそう・・・それじゃ私は距離を置きたいと答えるわ」
息が詰まるようなパニックに襲われ、思わずこの部屋から逃げ出したくなる
お願い私を追い詰めないで・・・・
「いったい何が不満なんだ弘美、僕は職業柄いろんな女性と出会う、過去そりゃ何人かと付き合ってきた、でも、今は好きな女は君しかいない、君と会って変わったんだ、そして君を裏切るような事は僕は絶対しない」
「どうしてそれを信じろっていうの?」
弘美はうんざりした口調で言った
「いいでしょう!もしそれを信じて、それが失敗したらどうする?たとえあなたが浮気しなくても、いつの日か私に飽きただけだとしても、結局の所、それは避けられないわ、芸能界で離婚の話題はそれは予防接種のように毎日あちこちで行われているのよ!」
もはや怯えている自分を隠すことはできなくなっていた、拓哉はじっと自分の話を聞いてこちらを伺っている
「あなたはミツバチのように、花から花へ美味しい蜜を求めて飛んでいるだけでしょうけど、去られた花はどうすればいいの?ただ枯れて行くだけなのよ!そんな男性を信じて愛するのがどれほど辛いのかあなたは知らないんだわ 」
「・・・自分の手に負えない女を愛する辛さは知ってるけどな・・・ 」
拓哉がつぶやくのが聞こえた、弘美と同じぐらい息を切らせている
その時突然弘美の家の電話が鳴った、電話は3回コールの後に留守番電話に切り替わった、二人同時に電話の方を見た
ピーッ「・・・・弘美・・・・・健樹です・・・・ 」
一瞬弘美の体から全身の血が逆流した、何か月も聞いていない・・・しかしハッキリ聞き覚えのある声が、電話にスピーカーから響いている、拓哉はじっと弘美を暗闇越しに見つめていた
「携帯番号を変えたみたいだから・・・家にかけてるよ・・・今更何の用だと君は思うだろうけど・・・」
弘美が凍り付いていると、拓哉は大きくため息をついてビールを飲んだ
「・・・すまなかった・・・彼女とのことは一時の気の迷いだったんだ・・・あの頃は仕事も上手く行ってなくて・・・半年間・・・ずっと後悔してたんだ、やっぱり俺は君を忘れられない・・・どうかもう一度だけ・・・チャンスをくれないか・・・」
「なんともお涙ちょうだいだな出てやったらどうだ?」
拓哉の声は低く氷のように冷たいものだった、最悪のタイミングだった、健樹と別れてから彼は今の今まで、一度も弘美に連絡をしてきたことがなかったのに、留守番電話の彼の声は数分間、長ったらしく言い訳をした後プツリと切れた
恐ろしいぐらいの沈黙の後・・・弘美は不安げに拓哉の険しい横顔に目をやった、こんな拓哉を見るのは初めてだった
いつもは細かいことを気にしない不屈さがあり、物事を深く考えるのは損だという雰囲気を漂わせている彼だが、けれど今は違った、心底腹を立てている、それは弘美自身にだろう
拓哉はゆっくり立ち上がり、濡れたジャケットを手にして玄関に向かった
「拓哉・・・ 」
思わず弘美は玄関まで彼を追いかけた
「君が恋愛に対して頑なな態度が、色々と分かってきたんだけど・・・」
そっけなく拓哉が言った
「誰に対しての恨みを、僕はぶつけられてるんだろうな」
ドアが閉まる静かな音は、これまで人生で経験した何よりもみじめで厳しく
暗闇と共に弘美を打ちのめした
・:.。.・:.。.
弘美は久しぶりに長い間ベッドで胎児のように丸くなり涙が枯れるまで泣いた、これだから恋愛って大嫌い、だってこんなに辛いんですもの、自分が拓哉ならず男性不信に陥っている事ぐらいよくわかっている
今の涙は拓哉を信じて身を任せられない自分自身に腹が立って流している涙だ、水分が尽きてしまった後は長い間、ただただじっと横たわっていた、自分が次の恋愛に怯えているのはよくわかっていた
拓哉を心から好きだけど、深く物事を考えすぎる自分は人より脆く、よけい傷つきやすくなる、今夜拓哉は自分を助けてくれたのに、自分はすっかり臆病になって彼を失望させてしまった
そしてずいぶん経ってからむくりと起き上がり、次にもうひと泣きするまでに冷蔵庫からミネラルウォーターをごくごく飲んだ
それからまたベッドに横になりベッドの時計を見つめた
明日が休みでよかった、そして迎えている裁判までも少し日程がある、時刻は夜の0時・・・・ここでこうして心が鉛でどこまでも沈んでいくようにじっと寝転んでいたくない・・・
誰かに話を聞いてほしかった、しかし真由美や聡子にはまだ話せる心の余裕がなかった
奈々に会いたかった・・・本来の自分の雇い主で同級生でもある奈々は、健樹とダメになった時も優しくただ傍にいてくれた
こんな問題で深夜に彼女を起こすのも自己中きわまりないのもわかっていたけど、それでも傷ついた弘美は奈々を求めていた。結局自分自身を理性でとめることはできず弘美は奈々の携帯の番号を押した
「もしもし?」
受話器の向こうから男性のかすれた声がした奈々のボディガード件たぶん恋人であろうタツの声だ
弘美はぎゅっと目を閉じ無言で電話を切った
弘美は少し眠ろうとさらに暗闇に横になっていると、けたたましく着信が鳴った奈々からだった
「もしもし?弘美?」
久しぶりの奈々の声に安心したのか再び涙があふれる
「弘美?どうしたの?大丈夫?ごめんねお風呂に入ってて電話に出られなくて」
何かがプツンと切れてしまったパーティーでの失態写真に撮られた事、裁判に負けるかもしれない事、拓哉の事・・・健樹の事・・・弘美は電話ごしで泣きじゃくり言ってることが支離滅裂になった
奈々はずっと弘美をなだめ、彼女の話を聞こうとしてくれていたけど、弘美はろくに話せないままだった
それでもこうして電話口で泣き電話の向こうで奈々が耳を傾け慰めようとしてくれていると思うだけで、ほんの少し気持ちが楽になった
弘美は説得に負け、奈々とタツに迎えに来てもらうことにした。が、ここで良心の呵責に襲われた、そして私は大丈夫だからもう寝てと奈々に言った
するとタツが奈々から電話を変わって言った
「こんな時に一人でいることはないんだよ、これから君を迎えに行く、一緒にファミレスで甘いものを食ってみんなで太ろう」
心が弱っている時に優しくリードしてくれる男性は素敵だ、拓哉をはじめ・・・そう思うとどうして彼にあんなことを言ったのだろうとまた涙が出てきた、今の弘美にはこうしろと言ってくれる人が必要だった
電話を切った後、洗面所で顔を洗いFILAのトレーナーと紺のデニムに着替えた、奈々とタツは真っ黒の戦車のようなアルファードで現れた、拓哉が見ると喜びそうな車だ
ああ・・こんな時でも拓哉を思い出すなんて
二人は弘美を深夜営業のパンケーキレストランへ連れて行ってくれた、良く考えれば、シャンパンを頭から浴びた以外、その日は何も食べていなかった、途端におなかがすいているのを感じた
弘美はレモンピールと生クリームがこんもり山高に盛られたパンケーキを注文した、これで太るのなら大歓迎だと思った、生クリームの乗ったパンケーキを刻んでいる傍らで、奈々は同情をほとばしらせていた、横にいるタツは顔に似合わずラズベリーパンケーキをナイフで切って頬張っていた
久しぶりにタツをじっくり観察する、奈々とタツと弘美は高校の同級生だが、高校を卒業すると同時に他県へ出稼ぎに行ってしまった、数年後再び私たちの元へ戻ってきたときはセキュリティ会社の社長で奈々のボディガードになっていた
そして目の前の彼はゴージャスさでは拓哉と引けをとらなかった
学生時代からタツは素敵だったけど、ここ最近ではもっぱら男らしさとミステリアスがあわさって、くっきりとした目鼻立ちとシャープな顎の持ち主になっている
拓哉が手入れされた動物園のライオンなら、タツは野生の王国といったところだろうか、自由でちょっと危険な香りがする
そんな彼が今は片腕を奈々の背中に回し、彼女を守るように座っている
「パーティーでの写真の事はタツが動いてくれるって、ね?タツ 」
奈々はタツに言ったタツはうなづき優しく言ってくれた
「SNSやゴシップサイトで君の画像が上がらないように顔認証セキュリティシステムを使って、これから半年間24時間インターネット上を監視し続けるよ」
「そんなことができるの?」
弘美は驚いてタツと奈々を見たタツが優しく微笑んで言う
「うちの情報セキュリティ部門が開発した、サイバー泥棒捕獲のために仕掛けたトラップを、遠隔監視するというソフトなんだけど、ログファイルの痕跡の使い方によっては、乗せられたくない画像をあらかじめプログラムしておくと、すべてのSNSや人気のゴシップサイトで、投稿される前に弾くということも出来るんだ」
丁寧に説明してくれるタツを見てなんだか、よくわからないけど奈々はすごい人と一緒にいるんだなと弘美は感心した、奈々がコーヒーをすすりながら言う
「あとは・・週刊誌ね、至急、ガオールのパーティーに出席したカメラマンのリストを手に入れて・・・ 」
弘美が慌てて言った
「あ・・・・それは・・・大丈夫だと思うの・・・・・拓哉が・・・・多分・・・・ 」
「本当に? 」
奈々が肩眉を上げて言った、あの時シャンパンまみれのボロ雑巾のような自分を、面白おかしく祭り上げようと、卑しくもシャッターを切りまくっていた記者団に向かって、拓哉が一括した
途端にシャッター音は止み、その後はなんと誰一人弘美と拓哉の写真を撮ろうとしなかった
あの時櫻崎拓哉の威力が、この世界ではどれほどのものか弘美は思い知った
拓哉はそこまでして自分をかばってくれたのに・・・じわりとまた涙があふれてくる奈々が同情するように言った
「拓哉君の事を愛しているのね・・・・」
こくんと頷くタツがコーヒーを飲みながら優しく弘美に言う
「どうして拓哉君が君のもとを去ったんだと思う?」
「私に呆れたんでしょ」
「拓哉君の事を元彼と同類だと思おうとするのは止めた方がいいな、拓哉君は元彼と違うんだから」
「どうしてわかるの?」
弘美は不機嫌に尋ねた
「健樹のことなんて知らないくせに」
「私が話したのよ」
奈々が代わりに答えた
「実は健樹とあなたが別れて、どんなに私が嬉しいかタツに話したの、そりゃぁあなたが傷ついたのは喜べなかったけど・・・健樹と付き合ってる時のあなたは無理して健樹の望む女性になろうとしていたわ・・・具にもつかないような男に合わせて自分を低く見せるような女性に・・・」
「そりゃ、まさしく健樹がそんな女性が好きだったからよ」
弘美は一口パンケーキをほおばったその時拓哉の事を思った
拓哉は最初から健樹と違った、有名人と一般人という感じはあったけど、最初から拓哉とはなんていうか弘美とは対等だった、どっちが上とか下とか精神的にも感じたことはなかった
さらにタツが言った
「今夜、拓哉君が出て行ったのは、君がしきりに拓哉君を元カレの型にはめようとしていたからだよ」
「拓哉が健樹と違うことぐらいわかっているわ」
「でも君は拓哉君を信じていない、拓哉君はありのままの君をわかって愛してくれているかもしれないのに、君は彼の見る目を信じていない」
「自分が恋愛に前向きじゃないことぐらいわかっているわ]
「わかるよ、恋愛ってものは怖いものだ、その人が自分の理想の相手じゃなくて傷つけられるんじゃないかと思うと余計にね」
「でもパーティーで他の素敵な女といる所を目のあたりにした後に、告白なんてされても信じれるものじゃないわ」
「告白?彼はなんて言ったの?」
奈々は笑いながらテーブル越しに身を乗り出した
「ノエミの事はただの報道だって・・・そして・・・・自分は仕事柄いろんな女性と噂されるけどす・・・・好きなのは私だけだって・・・・ 」
弘美が顔を赤くして言った
「それに・・・私を裏切るようなことは絶対しないって・・・」
「めちゃくちゃ直球じゃない!」
うっとりと奈々はため息をついた
「でも、もう遅いわ」
弘美がうなだれた、タツはにっこり笑った
「遅いなんてことは絶対ないよ、彼が好きなら逃がしちゃだめだ」
胸の底で希望の芽が首をもたげた
「逃がしちゃダメ?」
「そうだよ、まだ可能性があるんだから、今のうちに彼を取り戻しに行かなきゃ、彼を愛してるんだって所をちゃんと見せるんだ、そして何より彼を信じているって所をね」
「どうやって?」
幼稚園児のような質問だ、今は何もかも自身がなくてしかたがない
「俺ならどんな手を使ってでも彼の心を取り戻すな」
奈々がクスッと笑いながら言った
「それがあなたのやり方なの?ずいぶん強引ね 」
タツが横にいる奈々の顎を人差し指で撫でて言う
「男は大切なものを手に入れるためなら、命をかけて戦わなければいけない時もあるのさ・・・」
目の前でいい感じの二人をよそに、弘美はしばらく黙ってタツが今言ったことを考えていた
今まで人に本心をぶつけることを恐れてきた、自分がどれほど拓哉を愛しているか、そして芽生えた希望についても・・・・
パーティーで自分をかばってくれた彼・・・弘美の部屋でキスをした時・・・そして彼が部屋から出て行く時
怒りというより悲しみで茶色い瞳がかげっていた・・・
もしかしたら彼は本気で私の事を・・・そして私は・・・
弘美は目の前で見つめあっている二人に、目をやった
「ねぇ、二人は結婚しないの?」
奈々はパッと弘美の顔を見た
「なんでそんな事をいきなり言い出すの?」
「別に・・・したらいいのにって思っただけ」
弘美はタツに向かってにっこり微笑んだ、タツも弘美に意味深に微笑み返した
「わ・・・私たちの事は今は関係ないでしょ 」
奈々が頬を赤くして言うタツはなんだか嬉しそうだ、いつの間にか奈々はタツの指に指を絡ませていた
タツは奈々の指を撫でて弘美の胸がきゅんとなるまなざしで奈々を見つめていた
・:.。.・:.。.
スターダスト芸能プロダクションが入っているビルの最上階は、関係者以外は入れない高圧電気システムがある、少し危険な屋上だった
拓哉はそこの屋上に紫色になる夕日を壁に、背中をつけてじっと見つめていた、今の自分は何もやる気がない疲れたサラリーマンのようだ、美しい初冬の紫色の夕日と比べれば、拓哉の陰気な気分とあまりにもかけ離れていた
そこへ屋上のドアが開き幸次がやってきた
「はぁ・・・やれやれ・・・」
幸次は拓哉の隣の隅によっこいしょと腰を下ろした、幸次が胸ポケットからタバコを取り出し、火をつけ、二人は長い間押し黙って座っていた
さらに沈黙が続く
「お前が心配しなくても、弘美とのことはもう終わったよ・・・・」
拓哉は幸次を見ないで言った
「弘美は僕を信用していない」
幸次は顎をさすった
「・・・お前はそれでいいのか?」
拓哉は寒々とした厳しい事実に向き合った
「いいも、悪いも・・・最初から印象は悪かったし、日本規模で僕の恋愛を大報道してるんだから、一般人が僕と付き合いたがるわけないだろう」
幸次が拓哉をじっと見つめていたがこう言った
「・・・お前とアイドルをやっていた時から正気の沙汰とは思えない、この馬鹿げた芸能界で一緒に上手くやってきたとは思うよ・・・お前を心配だった時はかぞえきれないほどあった、あれだけめちゃくちゃをしてたら人格だって変わってしまうだろうと思っていたよ、でもな・・・拓哉・・・・一本気で真面目なお前の気質を俺は好いてるって事知ってるか?」
「何度も引退することを考えてるよ、でも・・・僕は芝居と歌以外で食ってける自信がない」
「自信がないじゃねーよ!お前はそれしかねーんだよ!いいか!それを人は才能って言うんだ、誰しもが喉から手が出るほど欲しがってるものを簡単に手放す様なことはするな!この俺が許さん!」
再び二人は黙りこくった、そして幸次が重たい口を開いた
「ごくわずかだがな・・・芸能人でも一般人と結婚して一生幸せに暮らしている人もいる・・・本当に・・ごくわずかだがな・・・・」
拓哉はうなずいてうつむいた
「お前が真剣に彼女に惚れてるなら、お前の仕事と彼女の仕事をお互い理解しあえるように努力しなきゃいけないんじゃないのか?まずは二人が落ち合う場所だな・・・・お互いが行き来するマンションと、か事務所で手配もできるし・・・報道陣に囲まれないような道のルートを彼女に教えてやることもできるし、彼女が本当に嫌がるなら、お前の「タクヤガール」のプロジェクトも変えてもいい」
拓哉は幸次をマジマジと見つめた、自分にとって本当に大切な意見を言ってくれる数少ない人間だ
「まだ諦めるのは早いんじゃねーの?」
拓哉は驚いた顔で幸次を見た、幸次がこんな事を言ったのは初めてだった
「おいおい!うるうるした目で俺の事見てんじゃねーよ 」
それを聞き拓哉は声をあげて笑った
「見てねーよ!
「なぁ・・・覚えているか?アイドル時代、一日10時間のダンスレッスンが嫌で、おまえと宿舎を飛び出したよな 」
それを聞き、幸次が声をあげて笑った
「よく言うぜ!あれはお前が振付師に怒られて、泣きべそかいて実家に帰ろうとしたから、俺が引き止めたんだろう 」
拓哉が幸次の肩を軽く殴って言った
「あの時・・・金もなくて一日中そこらへんをブラブラして・・・・腹減ってしかたがなくて」
二人の目が合ったそして次の瞬間二人は大爆笑した
「結局俺ら、腹が減って宿舎に帰ったよな」
「その時にかぎって他のメンバーがファンに貰ったチキンを食ってて・・・・・ 」
二人は腹を抱えて笑いながら言う
「俺らはやめたと思ったと言ってさ、俺らの分も食ってて 」
「そうそうそれで同時に(やめるわけないだろ!)ってブチ切れてさ・・・わははは!腹いてー」
「わははは!チキンごときで真剣な殴り合いの喧嘩になってさ・・・・ 」
夕暮れの空に二人の笑い声がいつまでも響いた