八月頭から働き始め、あっという間に世間はお盆休みを迎えてかき入れ時になった。
その頃になると暁人さんも多忙になり、いつもより帰りが遅いのが当たり前になっている。
私もシフトによっては夜勤になる事もあるので、そういう時はお互い無理をしないと決めてある。
繁忙期に応じてトラブルも多くなっているようで、副社長である彼まで問題が報告され、判断を仰がれる事もあるみたいだ。
ホテルでは夏の要素を取り入れたレストランメニューや、旬の桃をメインにしたアフタヌーンティーイベントも開催され、浴衣を着てのイベントや、ハロウィンに向けての企画など、先手を打った会議もしている。
そんな中、暁人さんはいつも通り涼しげな表情を保っているけれど、暑さと共に疲労を蓄積させながらも、やる気を漲らせているようだった。
「仕事はどうだ?」
暁人さんが甘いとうきびを沢山もらったので、今夜はとうきびご飯にした。
あとは肉じゃがに焼き魚、ほうれん草のごま和えだ。
食後に暁人さんが買ってきてくれたケーキを食べていると、向かいのソファに座っている彼に尋ねられる。
暁人さんは私のために甘い物を買ってくれるものの、自分は苦手だからと食べない。
私だけのために多忙な中、ケーキ屋さんに寄ってくれたのは嬉しいけれど、申し訳なさもある。
でもそれを伝えると、「芳乃の喜んだ顔が見たいから」と言われ、何も言えなくなる。
私は桃のタルトを食べ終え、口の中にある物を嚥下したあとに答えた。
「だいぶ慣れてきました。NYのホテルと勝手が違うところもありますが、色々教えてもらっています」
「なら良かった。人間関係は?」
「良好です。皆さんいい方ばかりで、今度の週末に歓迎会を開いてもらえるみたいで楽しみです。……と言っても、全員が参加できる訳ではないので、一部の方に来てもらって、また次の週に不参加の方たちと……という感じです。お手を煩わせて申し訳ないと言ったのですが、みんな『飲みたいから』と言っていて」
私は職場の人たちの顔を思い出し、クスクス笑う。
「そうか。丁寧に扱ってもらってるみたいで良かった」
と、テーブルの上に置いてあった暁人さんのスマホが震えた。
「悪い」
「いいえ」
彼は仕事用とプライベート用のスマホを持っていて、電話がかかってきたのはプライベート用だ。
「Hello?」
(あ、海外の人?)
暁人さんが英語で応じたので、思わず私はピクッと反応する。
でも聞き耳を立てるなんて下品な事をする訳にいかず、私は聞こえていないふりをしてミルクティーの残りを飲み、自分のスマホを手にとった。
暁人さんは席を立ち、話しながらリビングダイニングを出て行く。
途中で「Grace?」と女性の名前が出て、私は思わず固まってしまった。
(え……?)
リビングダイニングの出入り口を見ると、いつもは開けっぱなしのスライドドアが閉じるところだ。
廊下から暁人さんの声が聞こえていたけれど、私室に向かったのかそれも小さくなっていった。
(グレース……。女性の名前……。プライベートのスマホ……)
情報を繋ぎ合わせようとすると、胸がざわつく。
(恋人はいないって言ったけど、元カノ……とか? いや、仕事の関係で海外の人と関わりがあってもおかしくない)
私は呆然としたまま、ソファの上で体育座りをする。
(……私はただの家政婦で、恋人〝ごっこ〟の相手。彼がプライベートでどんな人と関わっても、私には関係ない)
混乱する中、私は心の中で〝第三者〟を作り上げて客観的な回答を出す。
でも一人の女性としての心は落ち着かず、脳内ではレティシアに似た金髪碧眼の美女が、暁人さんとイチャついている様子が浮かび上がる。
頭の中で彼女と暁人さんが親しげに話して笑い合い、ハグをしてキス……と、どんどん妄想が膨らんでいく。
「~~~~っ、駄目駄目っ!」
私は声に出して自分に言い聞かせ、立ち上がると十回スクワットをする。
「はぁ……」
溜め息をついたあと、私は気分転換に窓辺に行くと、カーテンの隙間から外を見た。
皇居がある辺りはぽっかりと黒く、灯りが点在している。
その向こうには、夜闇にくっきりと浮き上がるように高層ビルがそびえ立っていた。
(借金まみれで路頭に迷っていたら、こんな場所にいない。今が一番幸せだと思わないと)
そう思うものの、自分と暁人さんの関係があまりに曖昧で、気持ちの落とし所が分からない。
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