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【現実世界・オルタリンクタワー/深部・円形区画】
広い。
さっきまでの通路は、
ここに繋がるための“導線”だったのだと分かる。
円形区画の天井は高く、金属の梁が格子状に走っている。
けれど金属のはずの光沢が、ところどころ白い膜みたいに曇っていた。
現実の材質に、白い廊下の質感が薄く重ねられている。
視界の端で、壁の角が石のように見え、瞬きすると戻る。
その揺れが、同調ではなく
――“固定される前の最後のズレ”に思えた。
床には赤黒い紋が巨大な円を描き、
中心へ向かって細い線が何本も集まっている。
線はただの模様じゃない。脈動している。血管みたいに。
塔そのものが生き物のように息をするたび、紋が一拍遅れて光った。
円の中心。
白い膜で形作られた台座の上に、“人の形”が横たわっている。
ハレルは、視線を一点に固定しないように意識した。
輪郭だけ。全体の構図だけ。
焦点を合わせすぎれば、相手の望む「確定」に加担してしまう。
それでも――分かる。
あれは器だ。
日下部奏一の器。
奪われた座標の核。
胸元の主鍵が、じわりと熱を増した。
熱は痛みに近く、皮膚の下で鉄が赤く焼けるみたいに脈を打つ。
バッグの中。
薄緑が、弱く揺れた。
コアカプセル。
従来どおり薄緑なのに、光が薄い。
黒い粒が混ざり、脈が途切れかけている。
持っているのに、遠い。
台座の上に引かれていく感覚だけが強い。
(持ってるのに、戻れない)
(“器”が向こうで、先に確定しようとしてる)
サキが、喉の奥で息を詰めた。
「……あれ……人……?」
声が震えていないのが、逆に怖かった。
恐怖の先で、目が乾いている。
アデルは剣を構えたまま、一歩も前に出ない。
剣先だけがほんのわずか上下し、呼吸のリズムと一致している。
戦いの前の静けさ。
リオは床の赤黒い線を見て、唇を噛む。
腕輪が熱を帯び、金属の匂いがするほどだ。
セラは、いつも通り一歩ぶん距離を取った場所に立ち、
全員の呼吸が乱れないように声を整える。
「中心に近いほど、声が甘くなります。
……“見せてあげる”という形で、こちらの理解を誘う。
そこに乗らないで」
「分かってる」
リオが短く返した。
「見ない。追わない。……折る」
台座の上の影が、ほんの少し動いた。
体が起き上がる動きじゃない。
輪郭が揺れて、別の形に変わりかける。
それは“中身”が入れ替わりかける時の、曖昧さに見えた。
空気が、ひどく静かになった。
静かすぎる。金属の反響がない。
ここは音が跳ね返らない。
白い廊下の空気が、現実の円形区画の音を吸っている。
そこへ、柔らかい声が落ちた。
「やっと来たね」
声の位置がない。
台座の上から聞こえたようで、
天井からも聞こえ、床の紋からも滲んでくる。
区画全体が喉になったような、気持ち悪い響き。
「……サロゲート」
ハレルは名前だけを吐いた。
吐いた瞬間、言葉が白に吸われて、消えた。
「そう。ボク」
少年の声は笑っている。
「君たち、すごいね。ここまで“確定”せずに来た。
……でもさ、最後は無理だよ。最後は、見なきゃいけないから」
ハレルの胸元の主鍵が、二度、熱く脈打った。
“見ろ”。
“確かめろ”。
そんな合図にしか感じられない。
サキが、ぎり、と歯を噛む音を立てた。
その音だけがやけに生々しく、現実だった。
アデルが息だけで言う。
「話すな。相手のルールに乗るな」
「うん」
サキが小さく返す。
怖くて、返事をしないと壊れるから返事をしている声だった。
リオが床へ指を滑らせる。
赤黒い線が、指先に反応して一瞬だけ明るくなる。
「……紋、三層。上が“固定”、中が“引きずり込み”、下が“供給”。」
リオは呟くように整理し、目を細めた。
「供給が切れれば、器の固定も弱まる。……だよな」
セラが頷いた。
「ええ。供給は“中間層”の粒を吸い上げています。
白い廊下の数字の粒。――それを止める」
「じゃあ――」
アデルが剣先を、床の線が集まる一点へ向けた。
円の中心から少し外れた場所。台座へ繋がる線の“根”に見える箇所。
「杭がある」
リオが言い切る。
「見えなくても、ある。……あるから脈打ってる」
少年が、嬉しそうに笑った。
「正解。うん、正解。――でも折れるかな?」
言葉と同時に、床の赤黒い線が一拍強く脈打ち、
視界が一瞬だけ“別の景色”へ滑った。
石畳。
高い塔の内部。
赤い光。
焦げた匂い。
血のように熱い空気。
――オルタ・スパイアの基礎区画。
ハレルは反射で目を凝らしそうになり、噛み殺した。凝らすな。追うな。
しかし、同じ瞬間に、リオが小さく息を呑んだ。
「……見えた」
リオが言う。
「向こうの基礎。今、ここに重なってる」
アデルが短く笑った。笑いというより、息だ。
「なら、話が早い」
◆ ◆ ◆
【異世界・オルタ・スパイア/塔内部・基礎区画】
熱い。
基礎区画は、もともと熱を孕んだ場所だった。
赤黒い線が床を走り、杭の紋が脈打つたび、空間そのものが呼吸する。
だが今は“熱さ”の質が違う。熱源が一つじゃない。
上からも、横からも、熱が流れ込む。
まるで別世界の温度が、壁を透過して混ざってくる。
壁が一拍だけ透明になった。
白い膜の向こうに、金属の梁と、円形の紋と、台座。
(……来た)
リオの心臓が跳ねる。
あっちの中心と、こっちの基礎が、同じ座標へ吸い寄せられている。
そして――見えた。
ハレル。サキ。セラ。
アデルの横にいる自分。
全部が、同じ空間の中に置かれているみたいに見える。
「落ち着け」
アデルが低く言う。
「見えたことを、確定にするな。今は手を動かせ」
「分かってる」
リオは答え、床へ膝をついた。
赤黒い線の“根”――杭が刺さっているはずの一点へ、術式を通す。
鎖の術が床の模様に沿って走り、根の周囲を縛る。
黒ローブが、区画の奥にいた。
顔は見えない。
けれど“維持”だけをしている。
儀式の補助。杭の脈動を止めないための手。
戦う気配が薄いのに、支配だけが濃い。
(こいつらを倒すより、杭を折る)
リオは自分に言い聞かせ、鎖を締めた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・オルタリンクタワー/深部・円形区画】
同じ瞬間、ハレルの視界の端に、赤い光の筋が走った。
床の線が、異世界側の線と“揃った”。
サキが、思わず声を漏らす。
「……今、見えた……!」
「見えたままにするな」
セラが静かに制す。
「“今、そうだった”で止めて。意味づけしないで」
サキは唇を噛み、頷いた。
その頷きが、主鍵とスマホの間の見えない線を揺らした気がした。
ハレルは息を整え、バッグの口を少しだけ開ける。
薄緑が、弱く揺れる。
黒い粒が、脈の間に混ざる。
脈が、途切れそうに跳ねる。
(……日下部)
(今、どこまで奪われてる)
少年の声が、まるで慰めるみたいに落ちる。
「その薄緑、きれいだね。……でも、黒が混ざった。
いい兆候だよ。もう“別の声”が入りやすくなってる」
ハレルの奥歯が軋んだ。
怒りで視界が狭くなる。
その狭さが危険だと分かっているのに、止められない。
アデルが、一歩だけ前へ出た。
剣先を、床の一点へ向ける。
「折る。リオ、合わせろ」
「今合わせてる」
リオが返す声が、ここにも重なって聞こえた。
同調の結果だ。薄い幻じゃない。音も熱も同じ空間を共有している。
ハレルは理解した。
ここからは“二世界が同じ作業を同時にやる”領域だ。
片方だけでは足りない。両方が揃って初めて、杭が折れる。
セラが言った。
「中心の供給線――そこが杭の根です。
折れれば、台座の固定が緩む。
器は“奪われた座標”から引き剥がされる」
「なら」
ハレルはサキの手を握り直す。
「俺たちも、やる」
サキは震えたまま頷く。
「うん。……私、逃げない」
少年が笑った。
「いいね。君たち、きれいだ。――だからこそ、汚したくなる」
床の赤黒い線が、ぐっと強く脈打った。
台座の上の影が、わずかに起き上がりかけた。
“誰か”の目が開く気配。
日下部のものじゃない目。
ハレルは、焦点を合わせないまま、その気配だけを感じ取る。
(入れ替えが始まってる)
「今だ」
アデルが言い、剣を振り下ろした。
刃が空気を裂く瞬間、リオの鎖の術式が同じ一点へ締まり、
セラの声が“確定を避ける言葉”で空間を縛る。
「――名を与えないで。形を決めないで。動作だけを通して」
剣が床へ届く。
鎖が根へ噛み合う。
赤黒い線が悲鳴みたいに震える。
台座の上の影が、ビクリと跳ねた。
薄緑がバッグの中で、弱く、しかし確かに――一拍、強く脈を打つ。
(……反応した)
ハレルは、その一拍に全てを賭けるみたいに、息を吸った。
少年の笑い声が、初めてわずかに乱れた。
「――あれ? それ、まだ折れないはず……」
床の線が、円の外へ向かって走ろうとする。
逃げ道を作ろうとする。
だが同調した空間は逃がさない。二つの世界が、同じ座標で“閉じる”。
アデルが、二撃目を振り下ろす。
リオが鎖を締め直す。
セラが声を落とす。
サキがハレルの手を握りしめ、目を逸らさないまま呼吸を揃える。
杭の根の周囲が、白くひび割れた。
その瞬間、台座の上の影が――一度だけ、
はっきりと“日下部の輪郭”を取り戻した。
ほんの一瞬。
けれど確かに。薄い膜の向こうから、戻ろうとする意思が滲んだ。
ハレルの胸元の主鍵が熱く脈を打ち、バッグの薄緑が、黒い粒を抱えたまま震えた。
(戻る)
(……戻れる)
だが、次の瞬間。
台座の上の影の胸元あたりに、暗い渦が浮かび上がる。
黒い粒と同じ色。
別の意識が、まだそこに触れている。
少年の声が、笑いの形を戻す。
「いいね。壊れかけが一番きれいだ。……続き、しようか」
ハレルは答えない。
答える言葉が、確定になるからだ。
ただ、前へ出た。
台座に近づく一歩。
日下部の器へ、触れられる距離へ。
薄緑の脈が、途切れそうに跳ねる。
黒い粒が増えたように見える。
それでも、薄緑は薄緑のままだ。
(奪われた座標)
(ここで、取り戻す)
赤黒い紋が、三度目の脈を打った。
白い膜の台座が、ゆっくりと“現実側”へ沈み、
同時に“異世界側”へ浮かび上がるような錯覚が起きる。
二世界の中心が、完全に重なり直し――
その中心で、日下部の器が、こちらへ“戻ろう”とする気配だけが、確かに強くなった。