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第29話「二百三歳のエルフにも片思いは難しい」
月曜日。
午前九時三分。
営業企画部。
森野リリカは仕事をしていなかった。
正確には。
パソコンは開いている。
Excelも開いている。
しかし。
目は。
月島セシルを見ている。
「森野さん」
月島が言った。
「何ですか」
「見ないでください」
「見てません」
ぴく。
森野の耳。
月島が指を差す。
「森野さんの耳も嘘をつけないでしょう」
「これは」
「何ですか」
「新人の様子を確認しています」
「もう入社して一か月です」
「まだ新人です」
「仕事してください」
森野は仕方なく画面へ戻る。
三十秒。
また見る。
月島。
「森野さん」
「はい」
「佐伯さんのことは忘れてください」
「何のことでしょう」
ぴく。
「森野さん」
相沢直人は隣で笑っていた。
「楽しそうだね」
「楽しくありません」
ぴく。
「すごく楽しそう」
「人の恋愛を面白がる趣味はありません」
相沢と月島。
同時に。
森野の耳を見る。
ぴく。
「……仕事します」
午前十時。
電話。
月島が取る。
「はい、営業企画部、月島です」
普通。
「はい」
普通。
「お世話になっております」
普通。
「……佐伯さん?」
耳。
髪の中で。
ぴくっ。
森野。
見る。
月島。
森野を見る。
二人の視線が合う。
月島は。
ゆっくり背中を向けた。
「はい。権限設定の件ですね」
森野は椅子を少し動かす。
月島も少し動く。
森野。
さらに。
月島。
さらに背中。
相沢が小声で言う。
「何してるの?」
「観察です」
「仕事は?」
「これも仕事です」
「絶対違う」
電話終了。
月島が振り返る。
「森野さん」
「はい」
「お願いがあります」
「何ですか?」
「放っておいてください」
「分かりました」
ぴく。
「分かってませんね?」
「分かりました」
ぴく。
午前十一時。
神崎レオンが戻ってくる。
「ただいま戻りました」
森野がすぐ呼ぶ。
「レオン」
「はい」
「月島さんが」
月島。
「神崎さん」
「はい」
「聞かなくていいです」
神崎は二人を見る。
相沢を見る。
相沢が小声で。
「好きな人が判明しました」
「なるほど」
月島。
「相沢さん!」
「ごめんなさい」
神崎が聞く。
「誰です?」
月島。
「神崎さん!」
森野。
「システム開発部の佐伯さんです」
「森野さん!」
神崎。
「佐伯悠真さん?」
森野。
「知ってる?」
「仕事で何度か」
「どんな人?」
「真面目で感じのいい人ですよ」
月島の耳。
髪の中。
ぴく。
全員。
見る。
月島。
「今日は帰っていいですか」
部長が遠くから言う。
「駄目です」
昼休み。
社員食堂。
五人。
田中美咲も。
当然いる。
「で」
田中が言う。
「月島さんは佐伯さんが好き」
月島。
「どうして田中さんまで知ってるんですか」
森野が目をそらす。
月島。
「森野さん」
「何ですか」
「言いましたね」
「少し」
「秘密って言いましたよね」
「会社では言わないと」
ぴく。
「言いましたよね?」
「……」
ぴく。
田中が笑う。
「森野さん、耳が証人になってる」
月島がため息。
「信用できません」
森野。
「ごめんなさい」
「本当に?」
「本当に」
耳。
動かない。
月島は少しだけ笑った。
「許します」
田中が身を乗り出す。
「で、いつから?」
「田中さん」
「はい」
「この話は終了です」
「何年くらい?」
「終了」
「十年?」
「終了」
「五十年?」
月島。
「彼は二十九歳です」
田中。
「あ」
相沢も。
「あ」
森野も。
「あ」
神崎だけ。
静かに食べている。
月島が言う。
「知り合ったのは入社してからです」
森野。
「じゃあ最近?」
「はい」
「一目惚れ?」
月島。
「違います」
耳。
髪の中。
ぴく。
田中。
「一目惚れだ」
相沢。
「一目惚れですね」
神崎。
「一目惚れでしょうね」
月島。
「全員嫌いです」
森野が笑う。
「二百三歳でも一目惚れするんですね」
月島が森野を見る。
「百四十三歳でもするでしょう」
森野。
「私は違います」
相沢。
「そうなの?」
「相沢さんは最初」
少し考える。
「普通でした」
「普通」
「はい」
「ひどい」
「事実です」
「いつから?」
森野が止まる。
耳。
ぴく。
「森野さん?」
「覚えてません」
ぴく。
「覚えてるじゃん」
「覚えてません」
ぴく。
月島が笑う。
「お互い様ですね」
午後。
仕事。
月島は。
仕事になると完全に切り替わる。
企画書。
分析。
会議。
電話。
二百三年の人生経験。
なのかは分からないが。
仕事は本当にできる。
午後四時。
部長が言う。
「月島さん」
「はい」
「システム開発部と新しい業務改善プロジェクトやるから」
「はい」
「担当お願い」
「承知しました」
「相手側担当」
紙を見る。
「佐伯君」
月島。
停止。
髪の中。
ぴく。
部長。
「どうした?」
「何でもありません」
「できる?」
「もちろんです」
「じゃあ明日から」
「はい」
部長は去る。
森野が。
ゆっくり振り返る。
月島。
「森野さん」
「まだ何も言ってません」
「顔が言っています」
「頑張ってください」
「仕事をですか?」
「もちろん」
ぴく。
月島。
「耳」
森野。
「仕事を頑張ってください」
ぴく。
「森野さん!」
翌日。
午前十時。
第一会議室。
月島と佐伯。
二人。
新プロジェクトの打ち合わせ。
森野は。
会議室の前を通る。
一回。
戻る。
もう一回。
相沢が後ろから言う。
「何してるの?」
「コピー機へ」
「コピー機反対側だけど」
「遠回りです」
「何で?」
「健康のため」
ぴく。
「耳」
「相沢さん」
「はい」
「仕事してください」
「それ俺の台詞」
会議室の中。
佐伯が資料を見ながら笑っている。
月島も。
笑っている。
森野が言う。
「いい感じですね」
「そうだね」
「月島さん、楽しそう」
「うん」
「応援したいです」
耳は。
動かない。
本心。
相沢が森野を見る。
「意外」
「何がですか」
「もっと面白がるかと思った」
「面白いですけど」
「やっぱり」
「でも」
森野はガラス越しに月島を見る。
「月島さん、三十八年ぶりなんでしょう」
「恋愛?」
「はい」
「長いね」
「エルフには」
森野は言う。
「三十八年なんて短いです」
少し間。
「でも、誰かを好きにならない三十八年は」
「うん」
「たぶん長いです」
相沢は。
森野の横顔を見る。
「応援しようか」
「はい」
午後六時。
月島が席へ戻る。
佐伯も一緒。
「今日はありがとうございました」
月島。
「こちらこそ」
佐伯が言う。
「月島さんってすごいですね」
「何がですか?」
「経験が」
「……」
「俺なんかまだ二十九年しか生きてないから」
月島が笑う。
「年齢は関係ありません」
「でも二百三年って想像できないです」
「私も二十九歳のころはありました」
「何してたんですか?」
月島が考える。
「そのころは」
一瞬止まる。
「明治時代ですね」
佐伯。
「……」
相沢。
「……」
森野。
「……」
神崎。
「……」
田中。
「すごい会話」
佐伯が笑った。
「歴史の教科書みたいですね」
月島も笑う。
耳。
髪の中。
ぴく。
佐伯が言う。
「今度」
「はい」
「昔の話、聞かせてください」
月島。
「昔の?」
「はい」
「仕事じゃなくて?」
「仕事じゃなくて」
月島の耳。
髪を押し上げるほど。
ぴくっ。
「……はい」
「じゃあまた」
佐伯が帰る。
五秒。
沈黙。
田中。
「デート」
月島。
「違います」
ぴく。
森野。
「デートですね」
「違います」
ぴく。
相沢。
「デートだ」
「違います!」
ぴく。
神崎。
「おめでとうございます」
「まだ何も始まってません!」
部長。
「社内恋愛二組目?」
「部長まで!」
月島は両手で。
髪の上から耳を押さえた。
その日の帰り。
駅。
相沢と森野。
手をつなぐ。
森野が言う。
「うまくいくといいですね」
「うん」
「でも」
「何?」
「月島さんは二百三歳」
「うん」
「佐伯さん二十九歳」
「うん」
「また同じ問題があります」
「寿命?」
「はい」
二人は少し黙る。
森野が言う。
「好きにならなければ」
「うん」
「悩まなくて済むのに」
「そうだね」
「不便ですね」
「恋愛?」
「はい」
「じゃあやめる?」
森野が。
相沢の手を。
ぎゅっと握る。
「嫌です」
即答。
相沢が笑う。
「じゃあ仕方ない」
「はい」
森野も笑う。
「仕方ありません」
翌朝。
午前八時五十五分。
月島が出社。
今日は。
髪を巻いていない。
耳。
完全に出ている。
森野が聞く。
「今日は隠さないんですね」
「はい」
「どうして?」
月島はパソコンを立ち上げながら言った。
「佐伯さんが」
「はい」
「昨日」
少し赤くなる。
「耳、きれいですねって」
森野。
「……」
相沢。
「……」
田中。
「……」
神崎。
「……」
月島が気づく。
「何ですか」
田中が言う。
「完全に始まってる」
月島の耳が。
真っ赤になって。
ぴくぴくぴく。
二百三歳でも。
恋をすると。
やっぱり。
耳は。
忙しいらしい。
コメント
1件
nashirin さん、第29話ほっこりしながら読み終えました📖 月島さんの耳がもうね、ぴくぴくしすぎで愛おしい😂「耳、きれいですね」で完全にノックアウトされてるの、最高でした。相沢さんと森野さんの「寿命」の話、一瞬空気が変わって、そこから「嫌です」っていう即答にじんわりしました。エルフの時間感覚と人間の時間感覚のズレが、こういう形で恋の障害になるって切なくもあり温かくもある。 それから、森野さんの耳も月島さんと同じように動く種族だって分かる描写が細かくて、作者さんの観察眼が好きです。次も楽しみにしてますね🌷