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ほたると昼間に会うことが分かっていた今日は、帰りが遅くなってもいいように、前の晩からカレーを煮込んでおいた。
何とか宗親さんよりは早く帰って来られたものの、今度は宗親さんにほたるの明智さんへの恋心が話したくてうずうずしまくりで。
「ただいま」
宗親さんの帰宅が分かるや否や、私は嬉しくて玄関先まで走り出た。
「お帰りなさいっ!」
偽装だ、偽装だと思っていた時には宗親さんへの想いがバレたくなくて絶対に出来なかったこと。
見えない尻尾をぶんぶん振り回しながら、
「ご飯にしますか? お風呂にしますか?」
ソワソワと宗親さんの反応を窺ったのは、「ご飯って先に言ってくださらないかな?」という期待の表れで。
なのに宗親さんはスッと目を眇めると、「『それとも私?』って聞いてくれないの?」と私の頬を意味深にそっと撫でるの。
「やんっ」
ついでみたいに耳珠――顔側の、外耳道の入り口にある小さな出っぱり――をスルッとくすぐるように擦られた私は、思わず小さく吐息を漏らした。
そこに触れられた瞬間、耳の奥まで届くみたいにガサガサッと音が響いたのが、すぐそばに宗親さんがいるんだって実感させられるみたいで何だかんだすごく照れ臭くて。
一瞬でぶわりと顔が熱を持ったのが嫌になるぐらいはっきりと分かったから、それを誤魔化すみたいに
「そっ、そんなテンプレみたいにべたな事、言いませんっ」
って宗親さんをキッと睨みつける。
途端、宗親さんの両手が伸びてきてギュゥッと腕の中に閉じ込められた。
「べたでも何でも聞いて欲しいな? そしたら僕は迷いなく『キミが欲しい』って即答するのに」
わざとふぅーっと吐息を耳朶に吹き込まれて、私は「ひゃっ」と小さく声を上げた。
逃げたいのにしっかり腕の中に捕まえられていて逃げられない。
このままでは本当に「私」が一番最初に食べられてしまう。
そう思った私は、何とか彼の腕から逃れようと一生懸命言い募った。
「て、……手も洗ってないのにベタベタ触るのは禁止です!」
それではまるで、手さえ洗えばお触りし放題ですよ?と言ってるのと同義になってしまうのだけれど、とりあえず現状が打開できれば後はまたその時に!とか思ってしまうあたり、私は基本行き当たりばったりなダメな子で。
「仕方ありませんね。大事な婚約者にバイキンが付いたら大変です。とりあえず手、洗ってきますね」
ついでにお風呂も先に、と付け加えようとしたら、「そうだ。ついでにお風呂、一緒に入りませんか?」とか……。
「むっ、無理に決まってます!」
真っ赤になって宗親さんの腕を振り解いた私に、彼がクスクス笑う。
う〜。
私っ。
ほたるのこと話したくてたまらないのに……宗親さんの馬鹿ぁぁぁ!
***
結局宗親さんは先にお風呂も済ませていらして、今や白のTシャツに黒のイージーパンツ姿。
宗親さんがリビングに入って来るなり、ふわりとシャンプーと石鹸の香りが漂ってきて、私は内心ドキドキさせられて。
「す、すぐに食べられるので座って待っていてくださいっ」
お風呂上がりで上気した色っぽい宗親さんから慌てて視線をそらすと、鍋の中のカレーに集中する。
香辛料の濃いにおいが、いい具合に宗親さんのお風呂上がりの香りをかき消してくれたことにホッとしながら、焦げ付かないようにゆるゆるとお玉を動かす。
「うん。すっごく美味しそうだ。カレー、昨日から仕込んでくれていましたもんね」
「ひぁっ!」
油断していたところ、いきなり背後から腰に腕を回されて、頭の上に軽くあごを載せるようにしてそう問いかけられた私は、変な声と共にビクッと身体を跳ねさせた。
「火っ! 使ってるのに危ないですっ!」
IHだから実際には炎なんて出ていないけれど、熱いものを扱っているのは紛れもない事実。
そんなに強く抱きしめられているわけではないのに、私はカチンコチンに固まってぎこちない動きになってしまう。
「情ないなぁ。今日はキミが半休を取ったりするから……半日も春凪と離れていたんですよ? 少しぐらいは充電させてください」
言われて、腕の力をほんの少し強められた私は、この甘えたモードの宗親さんをどうしてくれようかとオロオロする。
そもそも「半日しか」離れていません!
「あ、あのっ、その半休の時のっ、ほ、ほたるとのあれこれのお話、聞いてくださいっ!」
ドキドキに手が止まっていて、カレーの表面にポコッポコッと気泡が上がってきたのに気付いた私は、慌ててお玉で鍋底付近を入念にかき回した。
***
宗親さんに抱きしめられたまま、何とかカレーを温め終わった私は、「ご飯、好きな量よそってください!」と腰に回された彼の手をペチペチ叩いて引き剥がしに成功した。
リビングでは、わざと対面になるようローテーブルにカレー皿を置いてから、ラグの上にこぢんまりと正座して。
同じようにソファーを背もたれにするみたいにラグ上であぐらをかいた宗親さんに、今日あったことを話し始めた。
「ねっ? ねっ? すごいと思いませんか? もぉ〜私、嬉しくって!」
色々あって、話すのを我慢していた分、お口がいつも以上に高速に回転中です。
食べるのも忘れて、私はマシンガンのようにほたるの恋心について捲し立てた。
「まぁ、とりあえず落ち着いて、春凪。せっかく熱々で出したんだから冷めないうちに食べてから話しましょう?」
さすがに勢い込みすぎて、宗親さんに苦笑されてしまった。
***
「それで、どうするのが正解だと思います?」
夕飯を食べ終えて、食器洗いを食洗機にお任せしてから、私はソファに腰掛けて宗親さんに問いかける。
「どうもしないのが正解な気がしますけど……それじゃ、春凪は納得しないんですよね?」
言われて私はコクッと頷いた。
「だとしたら……動かすべきは明智の方かな」
女の子に行動させるのは男としてどうかと思いますし、と続ける宗親さんを見て、私の時にも宗親さんがガンガン動きまくって下さったっけ……と罠にかけられたアレコレを思い出す。
目の前には良く冷えたペールエールビールと、チェダーチーズで作った手作りのサクサク煎餅が三種類。
私が食器を片付けている間に宗親さんが、チェダーチーズの大きな塊をシュレッドして、オーブンでカリカリに焼いて下さったんだけど、何て言うのかな。
本当この人は何でも卒なくこなせてすごいなって思った。
「冷ましたつもりですけど……火傷しないように気をつけてくださいね」
こんがり狐色に焼けた三種のパリパリチーズ煎餅を前に目をキラキラさせた私に、宗親さんが保護者のような温かい笑顔を向けてくださる。
年の差八つのせいかもしれないけれど、子供扱いされているみたいでちょっぴり悔しい。