篠宮さんが不意にギュッと痛そうに目をつぶったかと思うと、ポロポロ……と右目から涙を落とし始めた。そうして幾分オロオロした様子で鞄の中をあさって小さな手鏡を取り出すと、眼鏡を外して目の辺りをチェックし始める。(えっ? ちょっと待って? 嘘だろ……?)
僕はその時、初めて彼女の裸眼を見たんだ。
(ヤバイ……。めっちゃ可愛いじゃないか)
篠宮さんが眼鏡を外していたのはほんの十数秒足らず。束の間の出来事だった。
しかも篠宮さんはその間もいつもどおり。ほぼうつむいて一連の作業をこなしていたから……きっと僕くらいしか彼女が眼鏡を外した顔に気付いていないんだ。
そのことが、僕にはたまらなく幸運なことに思えた。
彼女の素顔は、誰にも見せたくない。
篠宮さんが、眼鏡を外したら物凄い美人さんになるということは、僕だけが知っていればいいんだ。
以前好きな子が出来たとき、僕は馬鹿みたいに周りにその子の可愛さについて触れまわり過ぎたからね。
元々モテるタイプだった僕の初めての彼女は、僕が『あの子、可愛いだろ? 僕の彼女なんだ♪』と馬鹿みたいに吹聴することで、周りにも〝可愛い子〟として認識されてしまったんだ。
あの時と同じ過ちは、二度と繰り返さない――。
***
篠宮沙良の美しい素顔を見たあの日から、僕は以前にも増してより一層彼女のことを目で追うようになっていた――。
(……あ、いた! 沙良だ!)
時間が許す限り、ずっとキミのことを見詰め続けていたからかな?
いつの間にか自分の中でキミのことが〝篠宮さん〟から〝沙良〟に昇格していたことにも気付けないくらい、僕はキミに夢中だった。
校内でキミのことを見かける度、心がうるさいくらいに反応して踊り騒ぐ。……だけどそれを態度に出さないよう素知らぬ顔をするのが結構大変だった。
(沙良、今日も一人ぼっちだね……)
ずっと沙良だけを見ているから分かる。
沙良はとにかく誰ともかかわろうとしないし、人と目を合わせることすら避けているように見えるんだ。
そのことに妙に安心すると同時に、僕はその理由が知りたくてたまらなくなった。
だってそれを知らないと僕だけを除外してもらう術が見いだせないからね?
試しに、僕は沙良と同じ文学部の子たちに何気なく聞いてみたんだ。
「篠宮沙良って子、知ってる?」
って。
けど、返ってきたのは「え? あの陰キャ?」と鼻で笑うような反応だった。
(……何様だよ、お前ら)
明らかに彼女のことを小バカにしたような物言いをする女の子たちに、僕の胸の奥で微かな苛立ちが膨らんでくる。
(キミたちよりよっぽど彼女の方が可愛いからね?)
そう思ったけれど、僕はそれ以上なにも言わなかった。
だって沙良の魅力は、僕だけの秘密だもの。わざわざそれが分からないやつらに教えてやる必要なんてない。
〝誰にも気づかれないその美しさ〟を独り占めするように、僕はそれからもずっと……静かに彼女を見守り続けた。
――そうして迎えた二年生の春。
キャンパス内の掲示板前で、僕は沙良が手にしていた資料を落とした場面に偶然遭遇したんだ。
チャンス到来♪ とばかりに、僕はすぐさまそれを拾って彼女に手渡した。
「……ありがとう」
ぎこちないながらもちゃんとお礼を言ってくれた沙良に、僕は思わず口走ってしまったんだ。
「メガネ。――外したら絶体可愛いのに」
って。
その瞬間の沙良の驚いた顔!
野暮ったい眼鏡を掛けていても、僕には分かったよ?
ほんの一瞬だったけど、キミがとっても可愛いびっくり顔で、僕を見つめたこと。でも次の瞬間には、まるで危険を回避したいみたいに、物凄く慌てた様子でその場を逃げるように立ち去ってしまったね。
ああ、何だろう。この感じ。
そう、まるで小動物だ!
捕食者に怯える弱者の顔!
(……ああ、沙良。キミはやっぱり最高に可愛いね)
僕は、彼女の戸惑いすら愛おしく思った。
そして、胸の奥で何かが静かに蠢くのを感じたんだ。
どうしよう、沙良。僕、ワクワクが止まらないんだけど……。
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