テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
雫
256
水瀬菜音
7,217
絶対辰哉
3,039
とめとー❤️(みお)
204
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
制服のネクタイを少し緩めて歩いていた、高校の放課後。
「蓮ー!」
校門を抜けて少し歩いた頃、背後から投げかけられた元気な声に、俺は足を止めて振り向いた。
「康二。」
そこには、肩で息をしながら俺を追いかけてきた康二がいた。
「これから蓮の家行ってええ?手伝って欲しいことあんねん。」
「いいけど…手伝ってほしいことって?」
「詳しいことは後で!な?」
にかっと笑って甘えるように小首を傾げた康二は《はよ行こ!》とぐいぐい俺の背中を押す。彼のその言動にはいつだって抗えなくて、《はいはい。》と笑みを浮かべた。
俺の家に上がり、自室へ移動する。俺は一度部屋を出て、ジュースとお菓子を両手に持って自分の部屋へと戻ってくると、康二は鼻唄を歌いながら音楽雑誌を眺めていた。
昔から、康二はとにかく歌うことが大好きだった。悲しい時も、嬉しい時も、自分の感情の全てをメロディにのせていつも無邪気に口ずさんでいた。俺もまた、彼の少し切なさのある歌声を聴くのが好きだった。
ベッドの縁に腰を下ろした俺は、床に座り込んでお菓子を開け始めた康二を見つめた。
「…で、何を手伝えばいいの?」
「ギターのコード!」
「え?」
予想外の単語に、俺は思わず声を上げた。康二は俺の部屋の壁際に綺麗に並んだギターとベースを指さす。
「今日な、いい感じの歌が降りてきてん。俺楽器なんもでけへんから、伴奏つけてほしいねんけど。」
一生懸命に身を乗り出して説明する康二。その瞳は信じられないくらい真っ直ぐに輝いている。彼の中に溢れる歌いたいという衝動が、そのきらきらした表情から痛いほど伝わってきた。
「…じゃあ、これから学べばいいんじゃない?伴奏は考えるから、ついでにギター教えてあげる。」
「ほんまに!?」
弾かれたように目を輝かせる康二を見て、胸の奥が小さく跳ねた。俺は壁際からアコースティックギターを手に取ると、彼の前に差し出す。
「これ持って。まず基本的なコードね。」
康二にアコギを持させ、俺はその後ろへと回り込んだ。包み込むようにして彼の手を細い弦の上へと導く。手取り足取り教える距離の近さに、俺の心臓はさっきからうるさい。
「ここを押さえて、右手で弾くの。」
「こう?うわ、指痛ぁっ!」
「あっはは、弾き続けてたら慣れてくるよ。」
文句を言いながらも、康二の読み込みは驚く程早かった。昔からずっと歌に親しんできただけあって、持ち前の音楽センスの助けがあったのだろう。教えた指の形を直ぐに覚えて、不器用ながらも幾つかのコードを鳴らし始めた。
「うん、大体こんな感じかな。じゃあメモするから、その曲歌ってみて。」
「おん!」
康二が少し照れくさそうに、だけど大好きな歌を歌う時の、あの透き通るような声で独自のメロディを紡ぎ出す。
俺は耳に馴染んだその心地よい歌声を贅沢に特等席で聴きながら手元のノートにペンを走らせ、旋律に合うコードのメモを取っていった。最後まで歌いきった康二を見つめ、俺は心の底からの言葉を口にする。
「…いい曲だね。」
「ほんまに!?」
「うん、じゃあ…これ。聴いた限りではこのコードで良いと思う」
「すげー!」
ノートに書いたコード進行を見て、康二が純粋に感嘆の声を上げる。
「音だけ合わせてみようか。」
俺は壁際から自分のベースを手に取り、アンプに繋いで 構え直した。康二のまだ辿々しくも一生懸命に刻まれるコード進行の音に、ベースの深い低音をそっと重ねていく。
重なり合った二つの音が、静かな部屋を満たしていく。
「えぇ…めっちゃええやん…。」
自分の歌に、俺たちの音が重なった心地よさに、康二がうっとりとした声を漏らす。その反応が嬉しくて、俺は少し誇らしい気持ちになった。
「ほんとに?良かった。」
「これ、もう俺達の曲やな!」
「、…そう、だね。」
無邪気に笑う康二のその笑顔があまりにも眩しくて、胸が苦しくなる。俺はもう、とっくに引き返せないところまで来ていた。
この笑顔を、この歌声を、もっと誰かに見て欲しい。
胸の中に溢れそうになる歪な恋心を康二にだけは絶対に悟られないように、俺はいつもと同じ『ただの幼馴染』の顔をして優しく微笑むことしかできなかった。
このままずっと、この狭い部屋で二人だけで音を重ねているだけでも、俺は十分に満たされていた。だけど、さっき胸の奥から湧き上がった《もっと誰かに見て欲しい」》という衝動が、どうしても頭から離れなかった。
彼の才能を、この歌声を、俺だけのものにして腐らせていい筈がない。
「ねぇ、康二。」
「ん?なに?」
復習するようにギターの弦を弾いていた康二が、不思議そうに顔を上げる。
「──これ、文化祭でやってみる?」
「え…ぶんかさい?」
予想だにしなかったらしい言葉に、康二は完全にフリーズして目を丸くした。
「うん。最後の方に有志のステージあるでしょ。そこでさ、コピー何曲かと…最後にこの曲、二人で演奏するの。」
「むっ、無理無理無理、何言うてんの蓮!俺、人前で歌うとかそんなん、絶対緊張してまうわ!学校の皆が居るんやで!?それにドラムとかピアノ?も要るんちゃうん?俺ら二人だけで音スカスカにならへん?」
尚も心配そうに眉を八の字にして慌てる康二に、俺は手元のノートをトントンと叩いてみせた。
「そこは大丈夫。ドラムとかキーボードの音は、俺がパソコンでデータ作って、当日はそれをスピーカーから流すから。打ち込みってやつ。」
「うちこみ…?パソコンでそんなんできんの!?」
文明の利器を聞いた子供みたいに、康二が驚愕の表情を浮かべる。その大袈裟なリアクションが少しおかしくて、俺の口元が自然と緩んだ。
「うん。だから、ステージの上で生で音を鳴らすのは、俺たちのギターとベースだけ。何も心配要らないよ。」
全部、俺が準備する。康二はただ、前だけを向いて大好きな歌を歌ってくれればいい。
俺が真っ直ぐに目を見つめてそう重ねて伝えると、康二は《蓮、天才なん…?》と、さっきまでの不安が嘘のように尊敬の眼差しを向けてきた。
まだ少し瞳を揺らしながらも、俺の言葉を信じるように、少しずつ呼吸が落ち着いていくのが分かる。
「蓮も…一緒に、居んねんな?」
「当たり前でしょ。」
彼を狙う全ての『いたいの』や『かなしいの』から守るように。
世界中の誰よりも近くで、その背中を支え続けるから。
「…蓮が居んなら、俺めっちゃ頑張るわ!」
まだ少し照れくさそうに、だけど今度ははっきりと、康二はにこっと笑って頷いた。抱え込んだアコギをぽろん、と嬉しそうに鳴らす彼の横顔を見つめながら、俺は心の中で呟いていた。
──見せつけてやろうよ。俺の、世界で一番大好きな歌声を。
「じゃあ、データ作る為にさっきの歌、録音させて?」
「うわ、録音とか恥っず…。」
そう言いながらもその瞬間に灯った彼の瞳の小さな光が、後に俺達の運命を大きく狂わせる光の始まりだとは…この時の俺はまだ知る由もなかった。