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“あの日、私だけが取り残された坂道”
Episode 08 #凍りついた夜明け
千尋と別れ、家に帰り着いたのは夜の9時を過ぎた頃だった。
玄関のドアを開けると、家の中は異様なほど静まり返っていた。いつもならテレビの音が聞こえるリビングも、真っ暗なままだ。
靴を脱ぎ、恐る恐るリビングのあかりを点ける。
すると、食卓の椅子に、お母さんがぽつんと座っていた。その手には、私が切り忘れていたスマホが握られていた。
「どこに行っていたの」
低く、地を這うような声だった。
「……公園に、いたの。ちょっと頭を冷やしたくて」
「塾の先生から連絡があったわよ。美咲が来ていないって。それに、クラスが下がるという書類も、塾のマイページで確認しました」
お母さんがゆっくりと立ち上がり、私に歩み寄ってくる。その目は怒りで血走っていた。
「どうしてサボったの? どうしてクラスが落ちるの? お母さんがあなたにどれだけ期待しているか、分かっていないの? あなたから勉強を取ったら、何が残るっていうのよ!」
その言葉が、私の心の中で「パチン」と何かが弾ける音を立てた。
いつもなら、ごめんなさいと平伏していたはずの身体が、怒りで熱くなっていく。
「……何もないよ」
「え?」
「私から勉強を取ったら、何もないよ! お母さんは私の成績しか見てないもんね! 私が毎日、どれだけ寝ないで、どれだけ苦しんでるか、一回でも見ようとしてくれた!?」
生まれて初めて、お母さんに向かって声を荒らげた。
「お医者さんなんて、本当はなりたくない! 中学の時にみんなが褒めてくれたから、お母さんが喜んでくれたから、ずっと嘘をついてただけ! もう限界なの! これ以上、私に期待しないでよ!」
叫びきると、部屋の中に激しい呼吸の音だけが響いた。
お母さんはショックを受けたように目を見開き、言葉を失っていた。私はそんなお母さんを直視できず、自分の部屋へと駆け込み、内側から鍵を閉めた。
ベッドに倒れ込み、布団を頭からかぶる。
涙は出なかった。ただ、心臓がバクバクと嫌な音を立てて波打っている。
全部、言ってしまった。
私の唯一の価値だった「医者になる優等生」という偽りの姿を、自分の手で完全に粉砕してしまったのだ。
これからどうなるのだろう。お母さんにはもう二度と口をきいてもらえないかもしれない。
だけど、不思議と胸の奥の重苦しい塊は、ほんの少しだけ軽くなっているような気がした。
カバンの中から、くしゃくしゃになった進路希望調査の紙を取り出す。
私は机に向かい、震える手でペンを握った。
第一志望の欄。そこにあった「医学部」という文字を二本線で消し、その横に、今の自分が本当に思っていることを、ありのままに書き殴った。
『まだ分かりません。でも、自分で探したいです』
それが、私の人生で初めて、自分の意志で書いた言葉だった。
夜型人間なので今執筆が捗ります☺︎
ではまた次回
#現実世界
雪代 真希奈
107
#進化
雪代 真希奈
25
#儚い
nanaha.
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コメント
1件
那月さん、第8話読み終えました… お母さんとのシーン、すごく胸が痛かったです。あの静まり返った家、低い声で「どこに行っていたの」って聞くお母さん、想像しただけで息が苦しくなりました。 でも美咲が初めて声を荒らげて「お医者さんなんてなりたくない」って叫んだ瞬間、少しだけ救われた気がしました。ずっと我慢してきたんだなって伝わってきて…最後に「自分で探したいです」って書いたところ、すごく好きです。正解じゃなくていいって思えた一歩だなって。 那月さんの書く心理描写、いつも胸に刺さります。次回も楽しみにしてますね🌙