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天野葛葉という名前は、他でもなく自分で考えた。
姓に関して言えば、これは族(うから)の習わしに則(のっと)った通り一遍なもので、然(さ)したる面白みは無い。
一方で、頭を悩めて己に与えた葛葉という名前の方は、我ながら上々の出来ばえではなかろうと、柄(がら)にもない自負がある。
もちろん、如何に神韻とした響きを含んでいようとも、人名は人名でしかなく。 単に使い勝手のよいものという認識に変わりはないのだが。
名称と言えば、当の都を呼び表す俗称として、“央都”や“央京”というものがある。
読んで字の如く、大陸の中心に位置するという理由が専(もっぱ)らではあるが、正式な名称が久しく定まっていない。
それもまた、世の有様(ありさま)を端的に表しているようで、滑稽(こっけい)と言えば滑稽な。
ここに他国の言語を用いれば、また違った表現も適(かな)うのだろう。
しかし、やはり日本が“夜明け”の起点とあって、国の差異によらず、この都の呼び名は“OTO”や“OKYO”で一貫していた。
都市の機能は大したもので、多国籍の大手企業、それに付随する種々の事業体が集結し、経済の中枢を担(にな)っている。
「あれ知ってる! 食器の専門店ですよね! ほれ、昔やってた何たらいう電車の兄(あん)ちゃん」
「食器? あ、いやそれ違う」
大通りには優雅なブティックをはじめ、ホテルのようなブランド店が軒を連ねており、道ゆく人の羨望を買っていた。
裏通りへ足を踏み入れると、食品や青果は勿論のこと、果てには戎具(じゅうぐ)をあつかう露店が、雑多な印象で詰め込まれていた。
休日とあって、どこもかしこも活気に満ち溢(あふ)れており、行き交う人々の様子は実に心安くあり、なんとも気忙しい。
経済とはすなわち、共同生活の基礎をなす生産・消費の行為等から成る人と人の結びつき、社会関係の総体である。
そこから考えると、当地を“花の都”と呼んだ人心の妙(みょう)にも、いよいよ合点(がてん)がゆくのである。
「楽しそうすね? みんな」
「ん……、哀(かな)しいけどね?」
哀しくはあるが、仕様がない。
人々の衣装を見ると、まったく多種多様で統一感がない。
オンリーワンの精神もここまで来れば仮装行列と大差ないが、これはこれで見ていて飽きない。
中には武器を持つ者、背負う者。 腰に拳銃をぶら下げた壮士風の者らもいる。
「哀しいですか?」
「まぁ……、おもろいけどね?」
カメラを起動し、シャッターを切る。
それに気付いた見知らぬおっちゃんが、頼んでもいないのにポーズを決めて、人懐(ひとなつ)っこく破顔した。