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《JAXA/ISAS 相模原キャンパス/プラネタリーディフェンス作戦室》
朝のスクリーンは、
地図より先に“数字”を出していた。
〈誤差楕円:前日比 0.68〉
〈中心ライン:微小変化(南寄り傾向)〉
〈高確率セクター:東日本内陸~太平洋側へ集中〉
「……“県”が見える直前の数字だね。」
若手が、喉の奥で呟いた。
白鳥レイナは頷いた。
「“県名”はまだ言えない。」
「でも、“県名を言う日が近い”ことだけは
隠せない段階に入った。」
彼女はリモコンで表示を変える。
日本地図が映り、
例の中心ラインと格子。
昨日よりさらに濃い“塊”が、
東日本のある位置に集まっていた。
「美星スペースガードセンターの追観測、
今朝も効いてる。」
「IAWNの海外局のデータと合わせて、
軌道解が“締まった”。」
若手が質問する。
「先生、
“いつ”ですか。」
「いつ頃、
県名が言える精度になります?」
レイナは一瞬だけ黙り、
それからはっきり答えた。
「早ければ、三日。」
「遅くても、五日。」
室内に小さなざわめきが走る。
「でもそれは、
“予測が見える”って意味。」
「“国民が動ける”って意味じゃない。」
レイナは、
ホワイトボードに書いた。
『県名が見える=避難が終わる、ではない』
「むしろここからが地獄よ。」
「県名が出た瞬間、
“動ける人が動く”んじゃなくて、
“動けない人が取り残される”速度の方が
上がりかねない。」
「だから官邸には、
県名より先に——」
レイナは画面を指さす。
「“どう避難させるか”の数字を
先に持っていく。」
「人口、道路容量、
バスと列車の動員数、
病床と介護施設の受け皿。」
「“名前”より先に“数字”で守る。」
《総理官邸・大会議室/避難オペレーション会議》
テーブルに並ぶ資料は、
地図ではなく“表”だった。
〈想定避難対象:最大◯百万人〉
〈一次避難(自主移動):◯日で飽和〉
〈二次避難(広域輸送):バス◯台、列車◯本〉
〈受け入れ拠点:体育館◯、宿泊施設◯、仮設◯〉
藤原危機管理監が淡々と読む。
「――県名が出る前に、
“県名が出た後の混乱”を
先に潰します。」
国交省の担当が言う。
「道路は詰まります。
“自家用車で逃げる”が一斉に起きたら、
逆に死にます。」
「だから、
“車で逃げる”と“車を使わない避難”の線引きを
今からメッセージとして準備する必要があります。」
厚労省が続ける。
「高齢者施設、透析患者、妊婦、乳幼児――
優先順位をつけないと
救えない人が出ます。」
会議室の空気が
少しざわつく。
サクラが手を上げた。
「その“優先順位”は、
机の上でだけ決めないで。」
「“現場が納得できる言葉”にして。」
「“あなたは後回し”ではなく、
“あなたを先に守るために
今こうする”と伝える順番に。」
中園広報官が頷く。
「“誰を切るか”じゃなくて
“誰を先に守るか”の言葉にする、ですね。」
サクラは、
資料の端を指で押さえる。
(県名を言う前に、
“県名が出た後の現実”を
先に整える。)
(この準備があるだけで、
言葉が“宣告”ではなく
“指示”になり得る。)
白鳥レイナがオンラインで参加し、
補足する。
「科学側からも言わせてください。」
「県名が出たあと、
“この県が終わりだ”という空気が出たら、
観測と救助の動きまで止まります。」
「それは、
落下前から敗北するのと同じです。」
サクラは頷いた。
「だから、
県名を言う日には
“守る計画”もセットで出す。」
「名前だけを投げない。
それが今日の合意ですね。」
《東日本・引っ越し業者の倉庫》
段ボールが
山のように積まれていた。
トラックの出入りが
普段の倍以上。
作業員が汗だくで言う。
「マジで毎日が繁忙期。」
「“避難引っ越し”って、
言葉だけは簡単だけどさ、」
「家族の人生そのものを
箱に詰めて運ぶんだぞ。」
別の作業員が
ふっと笑う。
「段ボールに入らないものが
一番多いのにな。」
《SNS:善意と噂》
〈日本へ祈りを〉
〈受け入れ先の空きあります〉
〈東日本の友だちに連絡して〉
世界中の言葉が流れる。
一方で、
不穏な噂も増えていた。
〈“県名はもう政府が知ってる”らしい〉
〈“関係者だけ逃がしてる”ってほんと?〉
〈高リスク県の人は来ないで、って言われた〉
中園広報官のチームが
それらを“火種リスト”として
淡々と分類する。
「善意も、
噂も、
同じ速度で拡散する。」
「だから、
政府の発信の頻度を上げないといけない。」
《総理官邸・屋上/夕方》
会議の合間に、
サクラはまた空を見上げた。
今日も晴れ。
あんまりにも普通。
(県名が見える直前の数字。)
(“三日”か“五日”。)
(それは、
私が“宣告”ではなく
“指示”として名前を出せるかの
猶予でもある。)
スマホが振動した。
娘からの短いメッセージ。
『今日も会見見るね。
無理しないで。』
サクラは、
ほんの少しだけ笑って返す。
『無理してない。
“やるべきことしてるだけ”。』
(嘘。無理はしてる。)
(でも、
“無理をしてでも
やるべきこと”がある時って、
人生にあるんだな。)
《夜の会見》
サクラは、
今日初めて
“数字”を前に出した。
「――落下予測は進んでいます。」
「ただし、
県名を断定できる精度には
まだ至っていません。」
「一方で、
専門家の見立てでは
“数日以内に
県単位の絞り込みが見える可能性”が
高まっています。」
ざわめき。
「だからこそ政府は、
“名前を言う前に”
準備を前倒ししています。」
「避難輸送、
医療、介護、
受け入れ先の確保。」
「県名を出すときは、
必ず“守る計画”を
同時に提示します。」
「名前だけを先に出して、
不安だけを置いていくことはしません。」
サクラは
一度だけ息を吸った。
「どうか、
噂やデマで
県名当てをしないでください。」
「必要なのは、
当てることではなく
備えることです。」
Day11。
オメガ予測落下日まで、あと11日。
県名の輪郭が
数字として先に見え始め、
政府も自治体も
“名前を言った後の世界”に
先回りして準備を積み上げていく。
その準備が、
誰かの命を救うかもしれない。
そして、
その準備が間に合わなければ、
県名はただの“宣告”になる。
名前を言う前の、数字。
その数字の重さが、
静かに日本中の眠りを浅くしていた。
本作はフィクションであり、実在の団体・施設名は物語上の演出として登場します。実在の団体等が本作を推奨・保証するものではありません。
This is a work of fiction. Names of real organizations and facilities are used for realism only and do not imply endorsement.