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雨宮澪がピアノを弾く姿を見たあの日から、
俺は、毎日少しだけ勇気を振り絞って旧校舎を覗くようになった。
「……また聞いてたのか」
ある日、思い切って声をかけたら、澪はびくっと体を震わせて振り向いた。
瞳に一瞬、警戒が走る。
「ご、ごめん……びっくりした?」
「いや、……別に」
俺はそう言って、どうすればいいかわからず笑った。
本当は、ずっと前から知りたかったんだ。
彼女の音楽に込められた、何かを。
「ねえ、なんで、ピアノやってるの?」
その日、澪は少し黙って、鍵盤に手を置いたまま言った。
「……お母さんが、昔好きだったから。
でも、私は……もうやめようと思ってる」
言葉の最後は小さくて、耳に届きそうで届かない。
その声を聞いた瞬間、胸が痛んだ。
「やめ……る?」
「うん。私には、もう、必要ないから」
その瞳は、誰も傷つけたくない、でも自分も守りたい、そんな強さでいっぱいだった。
俺は……
なんて声をかければいいかわからなかった。
ただ、静かに、そっと隣に座った。
放課後の校舎で二人きり――
こんなに静かで、こんなに息が止まりそうな時間は初めてだった。
「ねえ、悠斗」
「……うん」
「私、誰にも言ったことないけど……」
澪は、少しだけ息を吸って続けた。
「昔、事故でお母さんを亡くして……
そのときから、ピアノだけが私を救ってくれたの。
でも、今は……もう、救われなくてもいいのかもしれない」
その言葉は、胸に刺さった。
でも、俺は言った。
「澪……俺は、君の音、もっと聞きたい」
言った瞬間、自分でも驚くほど強い想いが込み上げてきた。
音楽が、彼女が、すべて、愛おしかった。
澪は目を閉じ、少しだけ笑った。
「……ありがとう」
それから、二人の関係は少しずつ変わっていった。
教室の隣同士、廊下ですれ違うと小さく会釈、
放課後は一緒に帰る日も増えた。
でも、心の奥にはいつも影がある。
――お母さんを亡くした悲しみ
――ピアノをやめる理由
――未来の進路、選択、別れ
いつか、絶対に避けられない日が来る――
それは、俺にも、澪にも、わかっていた。