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「ねえ、ちょっといいかな?」
休憩室でひとつ息をしていると、同僚の真下朱美がわたしに手招きをした。
また、何か企んでいるのだろうか?
わたしは給湯室に朱美といっしょに入った。
「今夜の合コン、一人抜けちゃうから、代わりに参加してくれない?」
やっぱり、そんなことか。わたしは落胆のため息をついた。
「ね、ランチ、奢るからさ」
「わかった。但し、わたしは彼氏を作る気はないからね」
ちゃんと釘を刺しておかないと、朱美がわたしと男をくっつけようとするのだ。以前、ピンチヒッターで合コンに参加させられた時、わたしを猛アピールしだしたので、わたしは恥ずかしくなって、トイレに行くふりをして帰った記憶があった。
「まだ、妹さんのこと、心に引っ掛かっているの?」
「うん。わたしさ、妹はきっと怖かったんだろうなあと思ってね。そう考えたら、能天気に幸せを噛みしめていいのかなってさ。あ、ごめん。暗くなっちゃうね」
「わたしが言うのも何だけど、もう十二年だよ。そろそろウジウジしているお姉さんなんか見たくないでしょう」
朱美の言うことは尤もだ。
合コン会場は渋谷の居酒屋だった。5対5の合コンで相手は社長や実業家の面々だった。
突然のピンチヒッターだったので、わたしの服装は白いコットンのワイシャツに黒のスラックスで女らしさが垣間見えない。わたしとしてはこれでいい。そもそも男漁りをしている時ではなかった。
父親は意識が戻ったものの、左半身に麻痺が残り、リハビリをしている。わたしもわたしで最近になって、亜美の夢ばかり見るようになった。亜美を忘れたいわけではなかった。
亜美はわたしのこの、胸の内にいるのだ。
わたしの眼のまえに座った男性は画廊を経営する傍ら、全国に絵画教室を展開していた。若いながらやり手の青年実業家に、わたし以外の参加した女性陣は目が釘付けになっていた。
実業家然とした態度ではなく、気さくな一面をのぞかせるあたりは、計算か天然かわからないが、とにかく、人を惹きつける何かがあった。
「へえ、お父さまがあの高名な水沢峻三氏でいらっしゃいますか。以前、お父さまの個展会場をうちが提供しました。あれから、お父さまのお加減はいかがですか?」
父親の話に食いついてきた。やはり、彼、種村充は皮を剥げば実業家だ。
ここで、わたしはある可能性に気づいた。十二年前のストーカー殺人のことも知悉していてもおかしくはないことを。
それはわたしたち家族を縛る呪いとなった。
「現在はリハビリ中でして」
「もし、良ければ、お見舞いに伺ってもよろしいでしょうか?わたしも先生にはお世話になりましたし、先生は日本の宝だと思ってます」
わたしは曖昧に頷いた。
「あ、もし、良ければ、この後、二人で飲み直しませんか?」
わたしは知らず知らず、アルコールを口にしてしまっていた。酔いは身体中を駆け巡り、とてもではないが、二軒目は無理だった。
「すみません。わたし、お父さんが心配なので、もう帰ります」
「そうですか...。あの、妹さん、本当に気の毒でした。僕は当時、大学生でして。文学部で心理学を専攻していました。今の仕事にも、結構直結しているんです。やればやるほど奥の深いが学問ですね。あ、すみません。こんな話をして...」
「構いません。わたしも亜美がストーカー殺人の犠牲になった時、お気楽な大学生でした。わたし、ダメな姉だったんです。亜美がストーカーに悩んでいたなんて、全然知らなくて」
「ご自分を責めるのは良くないことです。姉妹なんて、互いのことがわかっていそうでわからないものです。いいですか。これからはご自分のために生きていった方がいいです」
「種村さんて、カウンセラーみたいですね」
わたしは少しだけ、唇を綻ばせた。
「あ、ようやく笑いましたね。水沢さんは笑顔が素敵なんだから、もっと笑うべきです」
「では、僕はこっちなんで」
駅の改札でわたしは種村とは別方向に分かれた。
二次会に流れるグループはあったが、わたしたちは帰る選択をした。
朱美はわたしの肩を叩き、感謝しなさいよね、ものにするのよと一人舞い上がっていた。
「じゃあ、明日」
「種村さん、水沢祥子をよろしくね」
こちらが赤面しそうなほどの声で朱美は種村に呼び掛けた。種村は照れくさそうに笑った。
「あのう、名刺、渡しておきます」
分かれ際、種村から渡された名刺には電話番号、アドレス、Xのアカウントまで書かれていた。
わたしは電車の中で、妹に遠慮していた自分を客観視してみた。やっぱり、そろそろ自分を許してもいいのかもしれないと思った。