「ごめんな、結葉。親父もお袋も悪気はねぇんだ」
車での移動中。
引っ越し――と言うほど大掛かりなものではないが――には軽トラの方が便利だろうに、想は結葉を乗せることを考えてくれたのだろう。
自分の愛車――黒のヴォクシー――を出してくれた。
ミニバンなのでシートを倒せばそこそこに物は乗せられるし、まぁ問題ないはずだ。
「大丈夫。私、二人が親身になって言ってくれてるの、すごくよく分かったから」
ただ、ちょっとだけ……まだ自分に心の準備が整っていなくて、言われたことを上手く処理しきれなかっただけ。
ゆっくり考えていけば、きっと大丈夫なはずだ。
「サンキューな、結葉。あんなでも一応俺にとっちゃ〜親だし……そう言ってもらえると救われるわ」
想がボソリとつぶやくのを見て、結葉は小さく吐息を落とす。
「想ちゃんのご両親、すっごく想ちゃんや芹ちゃんのこと、大切に思ってらして素敵だなぁって思うの。だから……〝あんなでも〟とか言っちゃダメ」
偉央との間には子供を成すことが出来なかった結葉だけれど、いつか自分がもしも子供を持つことが出来る日が来たならば、自分の両親や想の両親みたいに、我が子のことに親身になれる母親になりたい。
そんな風に思った結葉だ。
「私ね、すっごくすっごくお母さんになるの、憧れてたの」
思わずポツンとつぶやいたら、想が小さく息を呑んだのが分かって。
「あっ、別に不妊だったとかそういうのじゃないから……気を遣わないでね」
結葉は慌てて言い募った。
「もちろん、別に偉央さんにも問題があったわけじゃないの」
検査を受けたわけじゃないから絶対とは言えないけれど、結葉の中では二人とも子を成すには問題のない健全な男女だったはずなのだ。
ただ、偉央にその気がなかっただけで。
「ま、まぁ子供なんてのは縁だって言うし、な……」
想が言葉を選んだようにそう言ってくれて、結葉は何だか申し訳ない気持ちになる。
「ごめんね、私が変なこと言っちゃったから想ちゃんに気、遣わせちゃった」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
想がモゴモゴと言い訳をする様が、何故だかすごく愛しく思えてしまった結葉だ。
「想ちゃんと結婚してたら……今頃私もお母さんになれてたのかなぁ」
想が運転中でこちらを見られないのをいいことに、半ば無意識でポツンとこぼしてしまったのは、そのせいだったのかも知れない。
想ならきっと、二人きりの生活を壊したくないとか言って、避妊を怠らなかったり、そう言う風にはならない気がして。
「…………。バーカ。んな有りもしねぇ〝たられば〟考えても仕方ねぇだろーが」
だけど想が、結構な間をあけた後、前を見据えたままそう答えてくれたから、結葉は「そうだね」って小さく笑い返すことができた。
あの時こうしていたら、なんて……偉央との婚姻生活のなかで何度夢想したか分からない。
でも、〝そうしなかった〟からこそ現在があるわけで。
どんなに過去を悔いたところでどうにもなりはしないことは、結葉が一番分かっている。
「私、ちゃんと前を向いて進んでいけるかな」
ほぅっと吐息を落とすようにそうつぶやいたら、「そのためにみんながお前を支えてんだろ?」と、想が今度こそ即答してくれて。
「うん、そうだね」
結葉はすごく心強いな、と思った。
***
「わ〜。結構たくさん持ってきたのね〜!」
二組の布団だけでもそこそこにかさばったのだけれど、それとは別に雪日のケージや飼育用品一式、それから結葉のために買った服や想の服などを載せてみたら、後部シートが思いのほかギューギューになった。
それとは別。
冷蔵庫の中に残っていた牛乳や、一枚だけ残っていた食パンなどを助手席に座る結葉が抱えて帰ってきたから。
車から降りてリアハッチを開けた途端、荷下ろしを手伝いに出てきてくれた純子が、それじゃなくても大きな目を更に大きく見開いて驚いた。
「いや、これでも結構厳選してきたつもり」
結葉に「――な?」と同意を求めるようにしながら想が言ったら、純子が
「けど想。別に布団は持って来なくてもこっちにも余ってるの何組もあったの知ってたでしょうに」
と苦笑した。
「いや、俺は寝慣れたこの布団が好きなんだよ」
そっぽを向いてボソリと吐き捨てるように想が言って。
結葉は(これ、想ちゃんが嘘つく時や気恥ずかしい時にやっちゃう仕草だ)って思った。
きっと想は自分の布団はともかく、結葉の買ったばかりの布団を持って来てくれたかっただけなんだと思う。
サンリコ社のマイハーモニーちゃん柄のピンク・ピンクした寝具一式を見詰めて、結葉はほんの少し申し訳ない気持ちになる。
でも、結葉本人も、出来ればこれからも変わらず想が自分のために選んでくれたこの布団で眠りたいな、と思っていたから。
ちゃんと持って来られたことを嬉しく思っていたりするのだ。
「お気に入りのお布団、持って来られて私も嬉しい」
それで、すぐ横に立つ想に小声でささやいたら「おぅ」と素気なく返された。
でも結葉には想が言葉裏腹。
結葉の言葉に喜んでくれているのが十二分すぎるほど伝わっていたから。
だから、こんな風に色気のない返しをされても、ちっとも気にならなかった。
***
「なぁ〜に、想。貴方ってば、歯磨き粉、まだこれなの?」
そんな想に追い討ちをかけるように純子が言って。
荷物の中に紛れ込ませるようにして突っ込んであった、歯ブラシなどの入った袋をガサリと持ち上げた。
「あっ、それは……」
想が気まずそうに眉をひそめるのを見て、結葉も思わず(あ〜ん。見つかっちゃった)と思ってしまう。
実は結葉自身、昨日からずっと、聞きたくても聞けなかった〝それ〟だったけれど、さすが母親。
容赦なくズバッと切り込んできた。
「だって想。これ、子供用歯磨き粉よ?」
「仕方ねぇだろ。辛いの苦手なんだから……」
「カレーは辛口いけるくせに〜?」
「カレーの辛さと歯磨き粉の辛さは種類が違うわ!」
言いながら、純子が手にしたアメニティ用品一式を「いいから返せ!」と引ったくるように取り返すと、想が決まり悪そうに吐息を落とす。