コンシェルジュで手続きをした沙羅と美幸は、藤井の部屋に向かうためにエレベーターに乗った。
今日の服装は、レンガ色のワイドパンツにアイボリーのカットソー、胸元には慶太からもらった一粒のダイヤモンドが輝いている。
美幸は、チェックのサロペットで猫と遊ぶために動きやすい服装だ。
階数表示のプレートを眺めながら、美幸がポツリとつぶやく。
「お母さん、猫ちゃん触らせてくれるかなぁ」
「無理に追いかけないで、待っていれば寄って来てくれるわよ」
「猫ちゃんと仲良くなれるようにがんばる!」
美幸は肩の横で小さくガッツポーズをして、張り切っている。
従伯叔母に会うよりも、猫に会うのを楽しみにしている美幸に沙羅はトホホな気持ちでエレベーターを降りた。
「藤井様に会ったら、ちゃんとご挨拶してね」
「わかってる。ちゃんと挨拶するもん」
つい口うるさくしてしまい、美幸は頬を膨らませる。
「お願いよ」
「はぁい」
インターフォンを押すとドアが開き、藤井が満面の笑みでお出迎えをしてくれた。
「いらっしゃい。あなたが美幸ちゃん⁉ 会えるの楽しみにしていたのよ。本当、みっちゃんにそっくりだわ」
藤井は、昔を懐かしむように目を細める。
「はじめまして、佐藤美幸です。よろしくおねがいします」
「美幸ちゃん来てくれて本当に嬉しいわ。沙羅さんもお休みの日にお呼び立てしてごめんなさいね。さあ、上がって、上がって。お夕飯も用意していあるのよ。たくさん食べて行ってね」
広い玄関に入ると、チェストの影から猫たちが、新しい訪問者に興味津々の様子で覗いている。
「お母さん、猫ちゃんいるよ」
猫に興味深々の美幸がコソッと沙羅へ耳打ちする。
「最初は、美幸がどんな子かなって、見ているのよ。そのうち、来てくれるわよ」
ふたりのやり取りを見た藤井は嬉しさが隠しきれない。
「あら、美幸ちゃんは猫が好きなの? うれしいわ」
「これ持ってジッとしていたら、猫が来てくれるわよ」
「ありがとうございます」
藤井から猫用のおやつを渡された美幸は、姿勢を低くして猫が近寄って来るための体制を取った。ただ、猫と遊びたい気持ちが強すぎて、食い気味な状態。警戒中の猫たちと美幸はにらめっこをしたまま、お互いに固まっている。
そんな姿を微笑ましく眺めている沙羅を藤井がダイニングに招く。
「さあ、今日はお客様なんだから、掛けて楽にしてね」
「はい、ありがとうございます」
テーブルの上には、綺麗な手毬寿司やポテトにフライドチキンなど、美幸のために用意してくれたとわかるメニューが並んでいる。
「美幸ちゃん、可愛いわ。はつらつとしていて、良い子育てをしているのね」
「そう言って頂けると嬉しいです。美幸には、私の方が力をもらっている事が多くて……親として力不足な気がします」
視線を落とした沙羅の背中に美幸の元気な声が飛んで来る。
「お母さん、猫ちゃんたちが来てくれたの。撫でても逃げないんだよー」
猫たちと仲良くなるのに成功した美幸は、弾けるような笑顔を向けた。
それに答えるように藤井が声を掛ける。
「玄関入ってすぐの猫ちゃんのお部屋におもちゃがあるわよ」
「入ってもいいですか?」
「もちろんよ。いっぱい遊んであげてね」
「はーい、ありがとうございます」
美幸は猫たちとじゃれながら、玄関わきの部屋に入って行く。
それを見送った藤井は頬を緩めた。
「ふふっ、元気でいいわね」
「はしゃいじゃって、すみません」
「ぜんぜん平気よ。子供がいると家が明るくなっていいわね」
「はい、つらい時に何度も美幸の存在に救われました」
「……親戚でありながら、大変な時に何も力になれずに、ごめんなさい。特にご両親を亡くした時に何にも出来なくて申し訳なかったわ」
「いえ、母が不義理をしたのが原因ですので、お気になさらないでください」
「元はと言えば、沙羅さんのお母さん……瑞穂の結婚を浅田の家族が反対しなければこんな事にならなかったはず。今となっては後悔してもしきれないわ」
「……どうして、父と母の結婚を反対されたんでしょうか?」
兼ねてからの疑問を投げかけると、藤井は伝聞だと前置きをしてから、話し始めた。
「沙羅さんのお父様のご実家を悪く言うのは憚れるんだけど、あまり良いお話が無くて……お父様自身に問題が無くても、あのご実家が付いてくる以上、苦労するのが目に見えるからと、賛成できなかったと聞いているわ」
沙羅の脳裏に、両親の葬儀の際、父方の伯父から辛酸を嘗めさせられた記憶がよみがえる。
沙羅の母の実家である浅田の人たちは、母の事を思って反対をしたのだろう。
それを押し切ってまで、母は父を求めたのだ。
そして、亡くなるまで愛する父と一緒だった。
「どうして反対されたのか納得できました。……でも、父は本当に穏やかで優しい人でした。ふたりはとても仲が良くて、母は父と結婚出来て幸せだったと思います」
前を向き言い切る沙羅。その言葉に藤井は、瞳を潤ませる。
「そうね。沙羅さんが真っ直ぐに育っているのを見て、みっちゃんがたくさん愛情を注いだのがわかるわ。浅田の家の人たちも、頭ごなしに反対するのではなく、嫁に出した娘が困った時に、いつでも手助けが出来るようにすれば良かったのよね」
どちらか一方が悪かったのではない。お互いに歩み寄れば、違う結果になっていたのだろう。
沙羅はゆっくりと首を横に振る。
「母も意地を張らずに、”元気でやっています”と一言でも浅田の家に連絡を入れれば良かったんです」
藤井は、濡れた目元をハンカチで押さえ涙を拭う。
「沙羅さん。今後、困った事があったら、いつでも頼ってね」
「ありがとうございます」
「本当よ。親代わりだと思って甘えてちょうだい」
「はい。私、離婚して頼れるところも無かったから、とても心強いです」
「ふふっ、わたしにも子供がいたらって考えた事があったの……。でも、子供と孫がいっぺんに出来た気分よ」
そう言って、藤井は花が綻んだような笑顔を向けた。
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