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*Midnight*
夜。
都内の高層マンション。
白く静かな空間に、電子キーの音が響く。ピッ、と小さく解除の音がして、扉が開いた。
「ただいま……って、あれ?」
照明がついていないリビングの奥、ソファに座っていた藤澤涼架が、無言のままスマホを置いた。
「えっと、涼ちゃん……?」
呼びかけても返事はない。ただその目だけが、じっと元貴を射抜いていた。
部屋に入った途端、空気が変わるのがわかる。
昼間の、笑い合った距離じゃない。
冗談も軽口も、ここには持ち込めない。
元貴が戸惑いながら靴を脱ぎ、リビングの手前で立ち止まる。
そんな彼に、藤沢がゆっくりと立ち上がって近づいた。
「今日は……随分、楽しそうだったね」
「え、そう?現場の空気もよかったし、スタッフさんも……」
「うん、“スタッフさん”ね。確かに楽しそうだった」
歩幅を詰められるたび、元貴の背中が壁へと追い詰められる。
視線が絡み、逃げ道はなくなる。
「わざとだった?」
「わざとって、なにそれ?ほんとに……」
「じゃあ、何? 無意識? それはそれで、困るんだけど」
藤沢の指先が、元貴の顎に触れた。優しく持ち上げられるその感触が、ぞくりと背筋を撫でる。
「可愛いのも、色っぽいのも、才能かもしれないけど……誰に向けてるのか、自覚して?」
「……涼ちゃん……っ」
目が潤む。何もしてないのに、睫毛の奥が震える。
怒ってるのに、優しい。優しいのに、怖い。
藤沢は、口元だけでふっと笑った。
「泣かせたいわけじゃないけど、泣きそうな顔も……嫌いじゃない」
そのまま唇が触れる。奪うでもなく、確かめるように。
それでも、体は熱くなっていく。
——鍵を開けたその瞬間から、
昼の自分は、もうどこにもいない。
ただの“愛されてる側”に、戻されていく。
⸻
長い口付け。
唇が離れた瞬間、元貴は小さく息を吐いた。
押し込めていた呼吸が、熱を帯びて洩れる。
「……なんでそんな睨むみたいな目すんの。マジ……怖いって」
壁際で身じろぎしながら、元貴はちょっとだけ眉をひそめた。
けれどその目は、明らかに怯えよりも“興奮”に揺れていた。
「怖くしてるつもりはないけど?」
藤澤はゆっくりと微笑む。
その余裕の笑みが、なによりたちが悪い。
「元貴が、誰のモンか忘れてそうな顔するから、さ」
「忘れてないよ……そんな簡単に」
言いながら、元貴は自分の声が掠れてるのに気づいた。
喉の奥が熱くて、藤沢を見るのが少しだけ怖い。
けど、それでも、目を逸らせない。
ソファに押し込まれるように腰を下ろされ、逃げ道を塞がれる。
藤沢は片膝を立てたまま、元貴の顔を見下ろした。
「じゃあ、なんであんなに他の人に気ぃ許してんの?」
「許してないって……なんか、自然に喋っただけでしょ。仕事だし」
「“自然”に見えて、俺からしたら、わりと無防備なんだよ」
藤沢の手が、元貴の前髪をゆっくりとかき上げる。
指の腹が額を撫で、こめかみを沿って耳の後ろへ滑ると――
「……あ」
小さく、甘い声が洩れる。
無意識だったのか、元貴はすぐに口を噤んだ。
けれど、遅い。
その一音が、藤沢を満足させるには十分だった。
「……ほんと、声も顔も、知らないうちに煽ってくるね、元貴って」
「煽ってない……っそんな事してるつもりないから!」
「そういう所だって……自分がどれだけ魅力的か、ちゃんと自覚しろって話」
そう言って、藤沢の手が首元のシャツにかかる。
ほんの少しだけ、ボタンが外されて。
胸元に触れる指先が、ゆるく肌をなぞる。
「……っ、ねえ、涼ちゃん……今日は……優しいの希望なんだけど、」
言葉の端が震える。
それは拒否じゃなく、予感への身構え。
「優しいよ。ただ、“お仕置き”はまだ終わってない」
その言葉に、元貴はぐっと目を閉じた。
「……マジで、泣かせる気じゃん」
「泣き顔、好きだからね」
耳元で囁かれて、身が跳ねる。
それでも逃げない。むしろ、もう逃げる場所なんてとっくにない。
涙の予感と、熱の中で。
誰にも見せられない顔を、今夜もまた藤沢だけに預けていく。