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眠りひめ
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部屋へ戻り、シャワーを浴びて、髪を乾かす。
ドライヤーの音だけがひとりの部屋に響く。
鏡の中の自分は、思っていたより疲れた顔をしていた。
ドラマ撮影に並行してのライブツアー。
番宣収録。バラエティに歌番組。
雑誌の取材。打ち合わせ。
ありがたい。本当に心からそう思ってる。
それに、忙しいのは自分だけじゃない。
だから疲れたなんて言わないし、言えない。
ドライヤーを止めると急に静かになった部屋で、耳に残る柔太朗の声が勇斗の名前を呼ぶ。
はやちゃん、と今日だけで何回呼ばれただろう。
1回、2回…と目を閉じて反芻して、10回目まで数えてふと、よく考えたら俺も、今日一日で何回柔太朗のこと見てたんだろ、と笑ってしまう。
マイクを握る細い指。
ターンしたときにきれいに翻るところまで計算された衣装。
白い喉をそらして水を飲んでいたときの、とがった喉仏の上下。
ご飯を、いつも少しずつ口へ運ぶ癖。
眠そうに伏せられた長い睫毛。
えくぼの深い、笑った顔。
なんでこんなに見てるんだろう。
昔から?
いや、違う。いつからだ。
いつから、柔太朗が視界にいるのが当たり前になったんだっけ。
ベッドに腰掛ける。答えは出ない。
出ないまま、天井を見上げた。
けれど胸の奥では、小さな何かが音を立て始めていた。
ぐちゃぐちゃでモヤモヤしてるのに、やわらかくてきれいな色をしているそれに、俺はまだ名前を付けられずにいた。
スマホが小さく震える。
手にとって見れば、今まさに思い浮かべてたその人からで。
「今日はお疲れさま」
間をおかず、もう一度。
「ゆっくり休んでね」
送られてきたメッセージを見て、ズルズルとベッドに沈み込んだ。
いつも通り振る舞っていたつもりだったけど、疲れてるのを見抜かれたかな、と人の機微によく気付く柔太朗に、そういうところなんだよな…と独言ながら返事を打つ。
「ありがと」
…違うか。
「おやすみ」
これも消す。
何だろ、もっと言いたいことがある気がするのに。
結局、「お疲れ」とだけ送る。
感じ悪かったかな。きっと心配して送ってくれたのに。
胸のモヤモヤしたつかえのところで引っかかって、うまく言葉が出てこない。
数秒後、またスマホが光った。
「おやすみ、はやちゃん」
送られてきたその一文を見つめたまま、画面を閉じられない。
柔太朗の、たった5文字の「はやちゃん」が、どうしてこんなに気持ちを揺さぶるんだろう。
思い返してみれば、柔太朗は俺を呼ぶとき、ほとんど名前を省略しない。
「ねえ」でも、「ちょっと」でもなくて、必ず、「はやちゃん」と呼ぶ。
そのたびに俺は、反射みたいに振り向く。
昔はあんなにぎこちなかったのに。
名前を呼ぶだけで耳まで赤くしていたくせに、いつからこんなに自然になったんだろう。
いや、と思い直す。
違う。自然になったんじゃない。
俺がその呼び方に慣れてしまったんだ。
もう、その声で呼ばれることが当たり前になって、それを心地よく感じてしまっている。
スマホを胸の上に置いて、重い瞼を静かに閉じた。
静かな部屋だった。
エアコンの風の音と、備え付けの冷蔵庫の微かな機械音だけが聞こえる。
それなのに耳の奥では、さっき届いた文字が、柔太朗の声で何度も繰り返されていた。
――おやすみ、はやちゃん。
思わず苦笑する。
「どうしちゃったんだろ、俺」
誰もいない部屋で呟いた声は、驚くほど小さかった。
柔太朗はもう眠っただろうか。
明日は俺だけ朝一番の便で東京へ戻る。ドラマの撮影を終えたら、そのままグループの現場へ。
台本を開こうとして、やめた。文字を追ってもきっと頭には入らない。瞼の裏に浮かぶのは、さっき別れ際に見た眠たそうな柔太朗の横顔だった。
小さくため息を吐いて寝返りを打つ。
――おやすみ、はやちゃん。
その声だけを最後に、意識はゆっくりと眠りへ沈んでいった。
コメント
2件
読み終えました……。 勇斗が柔太朗のことを無意識に見つめてる回数、数えちゃうの、すごくわかる。気づかないうちに目で追っちゃうのって、好きの始まりの証拠だと思うんですよね。 それに「はやちゃん」って呼ばれるだけで胸がぎゅっとなる気持ち、すごく伝わってきました。まだ名前をつけられない気持ちが、静かな部屋の中でじんわり広がっていく描写が繊細で、読んでるこっちまでドキドキしました……。 柔太朗の「おやすみ、はやちゃん」の5文字にこんなに揺れるの、ずるいですよね。続きがすごく気になります🥀