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「営業だよ。通信回線の代理店」
「通信回線……?」
「個人とか店で使うWi-Fiあるだろ。ああいうのを回線ごとまとめて契約してもらう仕事」
運ばれてきた料理に箸を伸ばしながら想汰は淡々と説明を続ける。
「機器はリースで入れるから、初期費用は抑えられる。その代わり月額で払ってもらう感じだな」
羽衣子は小さく頷くが完全に理解しているわけではない。
それでも話の流れを遮ることはしなかった。
しかし、話を進めていく想汰の表情が徐々に曇っていく。
「……実はさ、後一件だけノルマに足りてなくて」
軽い口調の裏に滲む焦り。
「これ落とすと、ちょっと洒落にならないんだよな」
その言葉に羽衣子の胸が、きゅっと締めつけられる。
「……大変そうだね」
そう言うと想汰は苦笑した。
「まあな。で、その……頼みがあるんだけど」
その一言で羽衣子の心臓が強く脈打つ。
頭の片隅に不安が過ぎるものの、それでも目の前にいるのは血を分けた兄だ。
「……私に出来ることなら」
どうしても見て見ぬふりの出来ない羽衣子は気づけば、そう口にしていた。
想汰は一瞬だけ驚いたように目を見開くと安堵したように息を吐く。
「助かる。無理はさせないから、お前が納得出来るならでいい」
そう言って鞄から取り出したのはクリアファイルにまとめられた書類だった。
「これ、法人向けの通信回線と機器のセット契約なんだよ」
図入りの資料には、ルーターや配線のイラストが並んでいる。
「こういうのってさ、最終的に責任持つ個人の名義が必要で……形だけでいいんだ。名義を貸してくれればそれで通る」
「責任って……」
不安げな声に想汰はすぐに言葉を重ねる。
「大げさなもんじゃないって。支払いは全部こっちでやるし、お前に請求がいくことは絶対ない」
説明しながら想汰は書類の一部を指し示す。
「契約期間は三年。途中解約は違約金あるけど、それもこっちで処理する。お前はここに名前と住所と連絡先を書くだけでいい」
自然な流れで断る隙を与えない、滑らかな説明。
羽衣子は書類に目を落とすと、小さな文字の中に並ぶ言葉――契約者、支払義務、第三者利用という言葉の数々に不安が増す。
「専門用語が書いてあったり難しい単語が並んでるとは思うけど、大丈夫だって。先輩たちもみんなやってるし、俺も既に何人かに頼んでる。変なことには絶対ならないから」
想汰の声はどこか必死さがあり、疑いは消えないものの困っているその姿を見ていると気持ちが揺らいでしまう。
悩んだ末、羽衣子はペンを手に取ると署名欄に自分の名前を書き込む。
書き終えた瞬間、想汰は小さく息を吐いた。
「助かった。本当にありがとうな」
「うん」
羽衣子は小さく頷くけれど、胸の奥に残った違和感だけは最後まで消えることはなかった。
店を出た頃には、夜の空気がすっかり冷えていた。
人通りの多い駅前を並んで歩きながら羽衣子の胸の奥にはずっと盗聴器のことが残っていた。
聞きたい気持ちはあったけれど、結局その言葉は喉元で止まったまま。
「……大丈夫か?」
ふと、隣から想汰の声が落ちてくる。
「顔、ちょっと赤いぞ」
「え? あ、うん……ちょっとだけ酔いが回ってるのかも」
羽衣子が苦笑すると、想汰は小さく息をついた。
「やっぱりな。あんま飲まないって言ってたしな」
そう言って、少し考えるように足を止める。
「タクシー拾うから一緒に乗ってけよ」
「え、でも……」
「いいから。こんな時間だし、そのまま帰すのも心配だから」
羽衣子は一瞬迷ったものの、折角の厚意を無下にするのも悪いと小さく頷いた。
「……ありがとう」
やがて拾ったタクシーに二人で乗り込み、想汰が行き先を告げる。
車内は静かでエンジン音だけが一定のリズムで響いている中、沈黙を破ったのは想汰だった。
「……そういえばさ……この前あげたウサギのぬいぐるみ」
ウサギのぬいぐるみというワードに羽衣子の心臓が、どくんと強く鳴った。
「……どうしてる?」
ほんの一瞬、言葉に詰まる。
脳裏に浮かぶのは、ぬいぐるみの中に仕掛けられていた盗聴器の存在。
それを見つけたことも、処分してしまったことも正直に言うことは出来なくて、
「……飾ってあるよ?」
そう嘘をつく声が硬くなるのを羽衣子は感じていた。
すると、その返答を聞いた想汰は一瞬だけ沈黙し、「……そっか」とだけ呟くように言葉を発していた。
それ以上、ぬいぐるみの話が出ることはなく、やがてタクシーは羽衣子の住むアパートの近くでゆっくりと停まる。
「着いたぞ」
「……うん」
料金を支払おうとする羽衣子を想汰が軽く制した。
「いいって。俺が出すから」
「でも――」
「いいから」
強く言われた羽衣子は小さく頭を下げるしかなかった。
「……ありがとう」
車を降りドアが閉まる直前、振り返ると想汰が軽く手を上げた。
「またな」
「……うん」
短い別れの言葉を交わした後、タクシーはそのまま走り去って行く。
一人残された羽衣子は部屋へと戻り、その瞬間、張り詰めていたものがふっと緩んでいった。
コメント
1件
第17話、読み終えました…。すごくもどかしいし、心臓がギュッと締め付けられる回でしたね。営業のノルマに困っている兄・想汰を助けたい気持ちと、書類に並ぶ「支払義務」「第三者利用」の文字や、ぬいぐるみの盗聴器のことが頭をよぎる違和感。羽衣子が「飾ってあるよ」と嘘をつくところ、あのタクシー内の沈黙、ほんの数秒なのにものすごく重かったです。想汰が「…そっか」とだけ言ったのも、なにか察したのか、それともただの確認だったのか…。設定の積み重ね方が巧みで、続きが気になって仕方ないです。
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