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明るい日差しが降り注ぐ三階建ての白い壁のマンション、屋上の給水塔にはドムズ犀川《さいがわ》と書かれた看板があった。
「わぁ、可愛い」
額の汗を拭いながら見下ろした河川敷にはオレンジやピンクの帽子を被った保育園児が彼方此方に散らばり走り回っていた。
「いいなぁ、子ども欲しいなぁ」
青 はベランダのテラコッタの鉢植えに腐葉土を入れ、赤いスコップで穴を掘り、数輪の白い花が咲く苗を植えていた。その様子を無言で眺めていた拓真は眉間にしわを寄せ背中に声を掛けた。
「それ、なに」
赤いスコップが穴を掘る、ザクザクと穴を掘る。拓真の表情は冴えない。
「ん、イチゴ」
「イチゴ、食べられるの」
「分かんない」
拓真はソファから立ち上がり、ベランダの戸に寄り掛かった。
「花言葉は」
「《《幸せな家庭》》」
「ーーーーそう」
「うん」
チェストの上にはクリスタルのトロフィーや盾が並び、本棚には<蒼井拓真の世界><フォトグラファーAO>と題された写真集が何十冊も収納されていた。蒼井拓真はフォトグラファーAO《あお》としてデビュー、名声と名誉を欲しいままにしていた。
蒼井拓真(28歳)
蒼井 青 (25歳)
二人は五年前に結婚しこのマンションに新居を構えた。
ただ、受賞の日付は二年前のプロフェッショナル部門の優秀賞を最後に途絶えている。ここ暫く蒼井拓真の感性は奮わなかった。
「なぁ、 青 。」
「なに」
「そろそろ《《撮ってくれないか》》」
青 の指の動きが止まる。
「んーーーー、その気になれなくて」
「約束が違うだろう」
「そんな約束したかなぁ」
「しただろう!あの夜!」
審査員や評論家に奇才と言わしめた佐原 青 がフォトコンテストから姿を消して五年後、フォトグラファーAOこと蒼井拓真が結婚した。その相手が 《《あの》》佐原 青という事でマスメディアはその話題を大々的に取り上げた。
そこで勘の鋭い評論家が 「佐原 青 がフォトグラファーAOではないか」と指摘した。蒼井拓真の作品は代作者が撮影したものであり、その撮影者が. 佐原 青 ではないかと発言したのだ。
「くそっ!」
「あ、拓真、何処に行くの?もうすぐ夕ご飯だよ」
「・・・・」
「今夜は拓真の好きなビーフシチューだから」
「ちょっと出てくる」
「早く帰ってね」
「分かってるよ」
「帰ってね」
バタン!
それは振り返る事もなく後ろ手に玄関の扉を閉めた。フォトコンテストで入選する事も出来ず作品も売れない。拓真は全てにおいて行き詰まっていた。
ピンポーーーン
拓真が部屋を飛び出して数分後にインターフォンが鳴った。玄関扉の広角レンズを覗くとそこには親友の笑顔があった。
「奏!久しぶり!」
「いやーー近くまで来たからさ、元気そうね」
「奏はそうでもないわね」
「プログラマーなんて聞こえは良いけど神経すり減るわ」
「入って、入って」
「そりゃ言われなくても入るわよ」
ショートヘアに白いカッターシャツ、紺色のタイトスカートの奏は遣り手のエンジニアだ。家で時間を持て余す自分とは大違いだと少し恥ずかしくなった 青 は園芸用のエプロンの紐を解いた。
「はい、 青 の好きなシュークリーム」
「お土産!ありがとう!お茶淹れるね」
「いやいや、そんなお気遣いなく」
「いえいえ、紅茶とコーヒーどっちが良い?」
「じゃあ、日本茶で」
「相変わらずね」
青 は紅茶の缶を取り出してケトルを火に掛けた。
「ねぇ」
「なぁに」
「さっき出て行ったの蒼井先輩でしょ」
「あぁ、見かけたんだ」
「鬼みたいな形相でタクシーに手ぇ挙げてた」
「鬼」
「なに、喧嘩でもしたの」
シュンシュンと白い息を吹くケトル、青 は「アチアチ」と耳を摘みながらティーポットに熱湯を注いだ。
「あぁ、あの件で機嫌が悪いの」
「あの件ってどの件よ」
「私が拓真の作品を撮ってるんじゃないかって」
「あーーーーワイドショーで言ってたわね、禿げオヤジ」
ぶっ
「あれでもフォトグラファーの重鎮なのよ」
「あの禿げが!」
アールグレイの香りが漂う。
「で、実際のところどうなの、正直に話してごらん」
「実際?」
「蒼井先輩の作品《《あんたの写真》》とそっくりじゃん」
青 は天井を見ながらぽってりとした唇に指を当てた。
「夫婦だもん、だんだん似てくるでしょう」
「かーーっ、夫婦!しっくり来ない!違和感しかない!」
「違和感ってなにが?」
「私にとってあんたの旦那は蒼井先輩!」
「あーーー先輩ね」
「そう!それが夫婦!違和感しかない!」
「青 が蒼井先輩と付き合うって聞いた時は驚いたわ」
「驚くような事?」
「先輩、女には興味ないですって感じだったじゃない」
「まぁ、そうかな」
「どうやって落としたのよ」
「見ただけよ」
「はい?」
「《《見ただけ》》」
「見ただけで付き合えるなら誰でも付き合えるわ」
「だって本当なんだもん」
「美人は得よねぇ」
奏はソファから立ち上がると夕陽が傾くベランダで大きく背伸びをした。煌めく川面、河川敷の芝生には犬の散歩をする高齢夫婦の姿が見えた。
「あーー、ここは見晴らしが良くて最高ね!」
振り向くと壁一面に緑の葉が風に揺れていた。テラコッタのプランターから伸びた茎は軒先に影を作った。
「 相変わらずジャングルみたいね」
「そうかなぁ」
「こんなに沢山、世話が大変そうーー」
「そうでもないよ」
「これなんかもう、伸び放題じゃない」
ベランダの天井まで伸びた蔓を引っ張ってみたがびくともしない。
「なに、これ」
「アイビー」
「どうせまた花言葉とか言うんでしょう」
「花言葉」
「なんていうの」
「死んでも離れない」
「え?」
「アイビーの花言葉は《《死んでも離れない》》」
「こ、こわっ!」
「怖いかなぁ」
「怖いわよ」
青 は口を大きく開けてシュークリームを頬張った。
「んー美味しい、ありがとう」
「どういたしまして」
「てか、蒼井先輩、こんな時間に何処に行ったのよ」
「さぁ」
「さぁって心配じゃないの」
「心配、なにが?」
「浮気よ、う・わ・き!」
「拓真はそんな事はしないわ」
「あーーーーそれ駄目なやつ」
「そうなの?」
「そうなの!」
壁の時計を見上げるともうすぐ18:30、また今夜も一人でビーフシチューを食べるのかと 青 は小さくため息を吐いた。