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大阪は北港にある、「豊島国際海運株式会社」の社長秘書課チーム主任、「秋元くるみ」は
57階の貿易ビルの福社長室の隣、秘書課チームデスクの一つに座り、スマートフォンを指が痛くなるほど硬く握りしめていた
深呼吸をし、ショックを受けている感情を押し殺して、何とか明るい声を電話の相手に向かって出した
「そう・・・それは・・・おめでたいわね・・・・お母さん・・・でもちょっと驚いたわ・・・」
残業中の夕方の疲れた声では、嘘はなめらかには出てこない、窓の外を見ると真っ黒な大阪湾に、貿易船がライトを照らしてゆっくり入港してきていた
くるみは急いで言葉を続けた。黙っているとこちらの気持ちを読まれてしまいそうで怖い
「幼馴染みの誠君がそんなにすぐ結婚するなんて・・・彼は私と同い年・・・今年大学院を卒業したばかりよね?それも私の妹の麻美とだなんて・・・お式はいつ ?」
喉が詰まり・・・・手が震える
『再来週の土曜日よ!もちろん内輪だけのささやかなお式にするつもりよ、そりゃぁ・・・誠君が二年前にあなたとお付き合いしていたのはお母さんも知ってるわ・・・でももうそれは遠い昔のことでしょう?』
くるみは焦って言った
「そっその通りよ!もう彼に対しては何の感情もないわ・・・ただ・・・ちょっとびっくりしただけ」
奈良のクルミの実家の病院と、大阪市内の都会の海沿いのオフィスにいるくるみとの長距離電話の向こうで、くるみの母(秋元早苗)の声が弾んだ。ちょっとした言葉の端々にも、喜びが溢れている
『お式はなるべくささやかにしようと思うの、以前はあなたと誠君が結婚してうちの病院を継いでくれると思っていたけど・・・誤解しないでね、こればっかりはあなた達が上手くいかなかったのを責めているわけじゃないのよ?二年の月日を経て誠君があなたのと別れを乗り越えて、妹の麻美を気に入ってくれて本当に嬉しいわ。なんたって誠君は院長のお父様のお気に入りですもの、だから出来るだけ二人の熱が熱いうちに早く結婚した方がいいと思ったの、これでお父さんの病院の人間は、念願の身内経営になるということよ!』
くるみの母の声は嬉しそうに弾んでいる
―そして私はますます「よそ者」になるという訳ね―
くるみはじっとパソコンを見つめた、今は秘書課で重大な社内文書のテンプレートを作成中だ、最近では書類も電子化され、セキュリティが強化された社内チャットで瞬時に回覧や決済を行うことが多くなっている
それ故にいずれも伝えたい内容を過不足なく、簡潔かつ正確に作るスキルが必要だ、当然ながらこんな気持ちではもう仕事は進まない
くるみは目を一回閉じて自分を憐れむ気持ちを振り払った
くるみの家族の皆が医療に携わっている中で自分だけが別の生き方をしている。その事で自分を非難するのはもうずっと昔にやめたはずだ
「でもお母さん・・・結婚しても麻美は看護師の仕事を続ける気なの?今までお父さんの病院で甘えてろくに仕事しないとボヤいてなかった?」
『そりゃぁ当面は旦那様の誠君とうちのお父さんのサポートに回ってもらうけど、でも誠君も麻美もすぐに子供が欲しいと言ってるの。麻美はきっといい母親になるわ、麻美が子供が好きなのを知ってるでしょう?そうしたら専業主婦になって、そのうち大家族になるわ』
くるみの心にまた痛みが走った
心臓は鉄の手で締めつけられる様なのに、声だけは動揺せず最もらしい返事をする
くるみの実家・・・
父の病院の近くに住む幼馴染みの(山下誠)に対する気持ちは、彼と半年付き合って終止符を打ったと信じていたのに
くるみは今でも彼を自分の心からすっかり消し去っていなかった
だって別れた原因は・・・
彼の浮気だったから
くるみはまた大きく息を吸った
妹が自分が愛したただ一人の男性ともうすぐ結婚するという事実を、姉の私は直視しなくてはいけない・・・
来週の土曜日・・・
妹は(山下麻美)になるのだ
『お式はあまり派手にはしないようにしようと二人で決めたらしいの!』
「本当にそれがいいと思うわ」
くるみは急いで答えた、妹と元カレとの結婚式の話などしたくもなかった
それはますますくるみ自身の屈辱的な記憶を呼び戻すからだ
『でもありがたいことにね、お父さんの病院の繋がりで奈良でも有名な結婚式場のグレートプランを安く使えそうなのよ!でもそれだけじゃ味気ないでしょう?
だから一から母さんがプランを立てようと思って
完全なオリジナルよ!教会で人前式の式をして、その後ほんの身内と知り合いだけの披露宴をしようと思うの!
ほら・・・こんな世の中でしょう?一か所に大勢集まって派手に祝うのはあまり良くないってお父さんは言うけど、麻美にとっては一生に一度のことだし思い出に残るお式にしてあげたくて』
「お父さんは賢明な判断ね・・・・ってあと1週間しかないじゃないの!」
絶対行きたくないが、出席しないわけにもいかない
家族に対して本心を言わずにいるのは、これが初めてではない、両親も妹も皆心底善人なのだ
しかし昔から利権と繋がっているプライドの高い医師の父が中心のこの家族に、自分が溶け込んでいると思える時は
残念ながら幼い頃からほとんどなかった
そして数年前に父とは「ある事」で喧嘩をした、数年前に私が医学を目指さなかったこと、急に家を出た理由を、絶対に母さんには知られてはならない
だが今は、ぎこちない家族との関係をどうこう言っている場合ではない。両親にも妹にもまだ少し引きずっている・・・
誠君に対する気持ちを決して悟られないようにしなければならない
『だから金曜日のお昼までには家に到着して欲しいの、あなたは独身の娘さんだから先日作った家紋付きの色留め袖を着て欲しいの、あなたったら着物を作ったはいいけど一度も着てくれないから』
着物と聞いただけでくるみは窮屈さを思い出しゾッとした
「そんなの普通のフォーマルでいいわよ!金曜日なんて仕事が忙しいから早退なんて出来ないわ」
『妹の晴れ舞台なのに、何がお仕事なの?そんな社長の秘書なんて!親族席やお父さんの病院関係者の方々がみんな黒留袖や礼服、モーニングで黒づくめになってしまうからせめてあなたには華やかさをプラスしてもらいたいのよ!』
その言葉にムッとしてくるみはすぐに反応した
「お母さん、その内輪だけのささやかな結婚式に、何人招待するつもり?」
『そんなにつっかかる言い方をする事はないでしょう?くるみ・・・そういう攻撃的な態度をとる時のあなたはちっとも可愛くないっていつも言ってるでしょう。
これでも質素にしようと苦労しているのよ、でもお父様はあの通り今とても大切な時期なの、学会の名誉教授の称号を頂いたら小さなうちの病院も大病院に発展するわ、お世話になっている大手の製薬会社のお偉い様方もご招待しないといけないし
それに誠君の所のご親族でしょう?従兄弟に甥に姪でしょう?麻美の看護学校時代のお友達もよ、私の教会関係のお友達も・・・・』
くるみはイライラしながら言った
「お母さん!ハッキリ答えて!お客さまは何人なの?」
『百人ちょっとかしら』
母の言葉を聞いてくるみはぐるりと目玉を回したそしてデスクトップの画面右下の時計を見た
もう午後8時だ、もうすぐ正面玄関のセキュリティがオートで閉まる
つまり―ありがたいことに母の電話を切る立派な理由が出来た。妹を祝福しているフリをするのもそろそろ限界だ事実をしっかりと見つめなければとくるみは自分に言い聞かせた
くるみは立ち上がって紙コップを捨て、自動販売機の壁にもたれ、時々心許ない相づちを打って聞いているフリをした
母は有頂天になってしゃべっている
麻美が象牙色のサテンのウエディングドレスを着ること、祭壇を飾る花は庭のグラジオラスを切って持って行くこと
五歳になる誠君の姪っ子がリングガールで、薄いピンクのオーガンジードレスがとても可愛いこと
麻美が母に送る手紙を読む時は、くるみと麻美の小さい頃のスライドショーをやること、妹の式には母の見せどころもあるらしく母はそれを延々と語った
急に日取りが決まったばかりにしてはいやに話が進んでいる、くるみは唇を噛みしめて、動揺を抑えた
「麻美はきっとお人形さんみたいに可愛いでしょうね、でもお母さん、私もう電話を切らないと、9時にはこのオフィスの正面玄関がオートで閉まるの、そうなったら守衛さんにご迷惑をかけるのよ」
『くるみ!あなたって娘は仕事の事ばかりなのね、私の言ったことなんて聞いてなかったんでしょう?、私が電話した本当の理由は妹の結婚式に「五十嵐渉いがらしわたる」さんを連れて来て欲しいのよ、あなたは彼ともう半年もお付き合いしてるんでしょ?そろそろお母さんも五十嵐さんにお会いしたいわ、もちろん麻美もお父様も同じ気持ちよ』
(五十嵐渉いがらしわたる)に会いたいですって~!!!???
思わずスマホを落としそうになった
くるみの心臓が一段と速く打ち出した、ヒステリックに笑いそうになるのをやっとでこらえる、一気に冷や汗が出る
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