テラーノベル
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日差しは届いているものの、空気は肌を刺すように冷たい。
「やっぱ寒いね」
「そりゃあ、冬だもん。仕方ないよ」
蓮は事も無げに答えると、ナギの手を掴んで自分のコートのポケットの中へ強引に引き込んだ。
「ちょ、ここ、外だよ!?」
「誰もいないから大丈夫だって」
「そういう問題じゃ……」
ナギは口を尖らせてブツブツと文句を並べるが、ポケットの中で重なった手を振り払おうとはしない。むしろ、蓮が指先に少し力を込めると、観念したように俯き、コツンと頭を蓮の肩に預けてきた。
「素直じゃないなぁ」
「……うっさい」
その頑なな可愛らしさに、蓮は「本当にこの子が好きなんだな」としみじみ自覚する。
「今日はたくさん楽しもう」
「……うん」
こんなにも心が躍る休日は、一体いつ以来だろうか。いや、もしかすると人生で初めてかもしれない。こんな機会を与えてくれた兄と、不器用ながらもお膳立てをしてくれた弓弦には、いくら感謝しても足りないほどだった。
「うわ……凄いな」
映画館へ足を踏み入れると、壁一面に宣伝用のポスターが躍っていた。普段接している時には意識しないが、弓弦の巨大なポスターの前で足を止める女性客たちの姿を見ると、改めて彼の存在の大きさを突きつけられる。
「一緒に仕事をしている時は、ただのクールな高校生って感じだけど。こうして見ると、やっぱり本物のスターなんだなって実感するよ」
「確かに。弓弦って凄かったんだな……。分かってたことだけど、こうも格差を見せつけられると、ちょっとね」
「何それ」
蓮が苦笑して視線を向けると、ナギは眩しそうに目を細めてポスターを見上げていた。
「だってさ、やっぱり純粋に『すげぇ』って思うし。俺なんてまだまだ駆け出しで、代表作だって今の『獅子レンジャー』だけで……。あいつがこうして主役を張って映画に出ているのを見ちゃうと、敵わないなぁって、思っちゃうんだ」
ナギは目を伏せ、羨望と微かな諦めが混じった溜息をついた。その言葉が胸の奥をきゅっと締め付ける。 励ましたい。けれど、安易な慰めでは今の彼の心には届かないだろう。蓮は敢えて何も言わず、代わりにポケットの中の手をぎゅっと握り締めた。そのままチケットを提示し、薄暗い館内へと足を進める。
平日の昼間ということもあり場内は空いていたが、話題作だけあって中央付近の座席はそこそこ埋まっていた。二人は一番後ろのカップルシートに腰を下ろす。
自然と肩が触れ合い、密着した部分から伝わる体温が、蓮の鼓動を早鐘のように打たせた。
「……なんか、恥ずかしいな」
ナギは照れ隠しのように身体を預け、ぐりぐりと頭を蓮の胸元に押し付けてくる。
「え、そう? 僕は全然気にならないけど」
蓮は愛おしさを堪えきれず、そっと肩を抱き寄せ、彼のこめかみに軽く唇を触れさせた。
「っ……ちょっと! 外だってば!」
「暗いし、誰も見てないよ」
「そういう問題じゃなくて、恥ずかしいんだって!」
ナギは真っ赤になって蓮の胸をポカポカと叩き、むくれたように唇を尖らせる。その仕草のすべてが可愛くて、蓮の口元からは自然と笑みがこぼれた。
「もー、笑うなよ。俺、怒ってるんだからね」
「ごめん、ごめん。ナギがあまりに可愛いからさ……」
そう言って腕に力を込めると、ナギはボソッと「バカ」と呟いた。それでも拒絶しないあたり、本気で怒っているわけではないのだろう。 やがて照明が落ち、映画が始まった。二人はそっと手を握り合ったまま、大画面へと意識を向ける。
物語は、幼馴染の男女が当たり前の日常を過ごす中、彼女の病が発覚し、平穏が崩れていく……という王道のラブストーリーだった。
だが演出が巧みで、観客をぐいぐいと引き込んでいく力がある。 普段あまり映画を観ない蓮ですら引き込まれるのだから、隣のナギはどうだろうかと視線を向ければ、そこにはスクリーンを食い入るように見つめる、真剣そのものの横顔があった。
(こういうの、好きなのか?)
意外に思いながら肩を抱き寄せると、ナギは一瞬だけ蓮を見たが、すぐに意識を映像へと戻してしまった。 ちょうど画面の中では、弓弦扮する主人公たちの情熱的なキスシーンが流れている。その場面に釘付けになっているナギを見ていると、蓮の胸の奥をチクリとした痛みが走った。
(……あんな風にキスしたい、なんて思ってるのか? だとしたら、なんかムカつく)
一度芽生えた独占欲は、どす黒い嫉妬となって蓮の心を侵食していく。映画の登場人物——ましてや仕事仲間の演技にまで嫉妬してしまう自分の狭量さに、蓮は自嘲気味に息を吐いた。
やがて長めのラブシーンが終わり、ナギはどこかホッとしたような顔をして蓮の腕に頭を預けてきた。その無防備な仕草に頬が緩みそうになるが、嫉妬の火はまだ消えきらず、どうしても眉間の皺が解けない。
そんな蓮の不機嫌を察したのか、ナギが不思議そうに顔を覗き込んできた。
「どうかした?」
「……別に」
まさか「映画のキスシーンに嫉妬した」などと言えるはずもない。曖昧に濁すと、ナギは怪訝そうに眉を寄せた。
「嘘。絶対怒ってる」
「怒ってないよ」
「でも……」
「なんでもないって言ってるだろ」
顔を背けて言葉を遮ると、ナギは不服そうに肩をすくめた。その表情を見た瞬間、胸がちくりと痛む。ただの八つ当たりだ。いい大人が何をやってるんだと、自分が情けなくなる。
「もう、なんだよ。……じゃあいいよ」
ぷいっと顔を背けてしまったナギ。しまった、と後悔が込み上げた時にはもう遅かった。
「——る……」
「え?」
「もう帰るから!」
立ち上がろうとしたナギの腕を、蓮は慌てて掴んだ。
「待って、行かないでくれ」
「なんだよ」
「ごめん。……八つ当たりした。僕が悪かった」
バツが悪そうに視線を逸らすと、ナギは呆れたように小さく溜息を吐いた。
「もぅ……何それ。子供みたいじゃん」
吐き出すような呟き。だが、ナギは蓮の手を振り払わなかった。むしろ宥めるように、その手の甲を指先で優しく撫で、再びそっとシートに腰を下ろした。
「さっきの……キスシーンに、嫉妬してた」
観念して小さく白状すると、ナギは一瞬だけきょとんと目を丸くし、それから困ったように眉を下げた。
(変なことを言って、呆れられただろうか……)
嫌な予感が胸をよぎったが、その心配はすぐに霧散した。
ナギは座席の上で身体ごと蓮の方へ向き直ると、何も言わずにぎゅっと抱きついてきたのだ。 蓮の肩口に深く顔を埋めているため、その表情を窺い知ることはできない。けれど、上気した耳がほんのりと熱を持ち、赤く染まっているのがはっきりと見て取れた。
「お兄さんって、ほんっとに……ほんっとに馬鹿だよね」
呆れを含んだ、酷い言われようだった。 けれど、腕の中に伝わる心臓の鼓動と、胸いっぱいに広がるこの温かさの前では、そんな罵倒さえ甘い愛の言葉にしか聞こえない。
蓮は愛おしさを噛みしめるようにナギを強く抱き締め返した。 周囲の観客も、大音響で流れる映画の結末も、今はどうでもいい。二人はただ、劇場の片隅で静かに重なり合い、深く、二人だけの世界へと没入していった。