「ただいまー」
はるかは、学校から帰ると、ランドセルを玄関にほうりなげて、自分の部屋へと向かった。
携帯ゲーム機の電源を入れて、ベッドにねっころがった。
ここは、はるかのとくとうせきだ。
スタート画面が現れ、『読み込み中』の表示を見つめていたら、
「はるか!」
いきなり、ドアが開いた。
「いつもいってるでしょう? 外から帰ってきたら、手洗いうがい。給食袋とプリントを出して、宿題を先にすませて、それから自分の好きなことをしなさいって。どうして、毎日同じこといわせるの!」
ママは、目をつりあげて怒っている。
(また、始まった)
はるかは、こっそりため息をついた。
ママは、はるかが朝起きてから夜寝るまで、いつも小言ばかりいっている。
ぬいだパジャマは、せんたくかごに入れなさい。
食べ終わったら、食器は洗いおけにつけておくこと。
使ったものは元の場所に戻しなさい、
などなど。
「うるさいなあ、わかってるよ。これおわったら、すぐやるから」
「なにいってるの。ちゃんと先にやることをやってからじゃないと、ゲームはしちゃだめっていってるでしょう」
ママはそういうなり、はるかの手からゲーム機をとりあげて電源を切った。
「ええっ、なにするのよ」
「はるかが約束を破るからでしょ! それに、なんなの、この部屋は」
ママは、ぐるりとはるかの部屋を見渡した。
机の上には、本やCD、プリントよ山が積み重なり、床にはせんたく物があちこちに散らばっている。
ベッドも、ぬいぐるみやまんがで、むちゃくちゃだ。
「『五年生からは、自分で掃除するから、ママは触らないで』っていうから様子を見てたのに、ちっとも片づけてないじゃないの!」
ママは、とてもきれい好きだ。はるかの部屋以外の場所は、いつもきちんと片付いている。
それだけじゃない。
ママは、とにかくなんでもきちんとしている。
めんどうくさがりで、おおざっぱなはるかとは、おおちがいだ。
「あー、もう、うるさいなあ。わかってるって。今日やろうと思ってたの!」
はるかはママの横をすりぬけ、部屋を出た。
「はるかは、いっつもそうじゃないの。『今やろうと思ってた』『今日やろうと思ってた』。いいわけばっかりして」
ママは文句をいいながら、はるかのあとをついてくる。
「思ってるだけじゃ、だめなんだからねっ!」
ママのいい方に、カチンときた。
足を止めて振り返る。
「いいじゃん、べつに。私の部屋が散らかってても、どうせ、誰にも見られないんだから」
はるかがいいかえすと、ママはいっしゅんだまってから、「そんなことないよ。」とつぶやいた。
「『ヨトキコさま』が見てるんだから」
(また、その話か……)
ママは、おじいちゃんの家に帰って以来、そればっかりだ。
はるかはママに聞かれないように、小さく舌打ちをした。
この間の連休中、家族全員で、おじいちゃんの家に泊まりに行った。
おじいちゃんの家は、はるかの家から車で三時間くらいの場所にある。昔に出てきそうな古い家で、まわりは田んぼだらけだ。
見たこともないくらい大きな虫ややもりが、部屋の中に入ってくるので、はるかはおじいちゃんの家があまりすきじゃない。
パパは毎日釣りにでかけ、ママは自分の家だからか、おばさんやおばあちゃんと楽しそうにおしゃべりをしていたけれど、はるかは全然楽しくなかった。
「ちょっと、はるか。ゲームばっかりしてないで、ちょっとはみきちゃんを見習って、お手伝いしなさい」
みきちゃんは、はるかのいとこだ。小学三年生で、下に幼稚園と、まだ赤ちゃんの弟がいる。
みきちゃんはとても素直な子で、自分からすすんでお手伝いをしたり、弟たちのめんどうを見ていた。
(なによ、いい子ぶっちゃって)
どうせ持っていないだろうと思って、携帯ゲーム機やファッション雑誌を見せびらかしたのに、みきちゃんは、ちっともきょうみをしめさなかった。
それが、ますます気に食わない。
(お手伝いなんて、ばかみたい。そんなことしても、なんの得にもならないじゃん)
そう思いながらゲームをしていたら、突然居間のすみかららしゃがれた声がした。
「ヨトキコさまが、くるぞぉ」
「ひっ」
びっくりして振り返ると、座敷机の1番はしっこに、おばあちゃんが座っていた。
おばあちゃんは、ママのおばあちゃん。九十歳をとっくに過ぎているという。顔中がしわだれけで、のぞきこんでも、起きているのか寝ているのかもよくわからない。
(おおばあちゃん、いつの間にここに座ってたんだろ?)
さっきからずっとここでゲームをしていたというのに、ちっとも気がつかなかった。
(なんか、気味悪いなあ)
あめでもなめているみたいに、もごもごと口を動かしているおおばあちゃんの顔を見て、はるかはそろりとゲームの電源を落とした。
「ねぇ、『ヨトキコさま』って、なに?」
帰りの車の中で、はるかはママに聞いてみた。
ママはびくっと背筋を伸ばして、ゆっくりはるかのほうへ振りかえった。
「……なんで、はるかが『ヨトキコさま』を知ってるの?」
気のせいか、顔が青ざめているように見える。
「おおばあちゃんにいわれたんだよ。『ヨトキコさまが、くるぞぉ』って」
はるかが、おおばあちゃんの声をまねていうと、
「なんだ、その、『ヨトキコさま』って?」
車を運転していたパパも首をかしげた。
「『ヨトキコさま』っていうのはね」
ママが、説明を始めた。
ヨトキコさまは、子どもがよい行いをしているかどうか、いつも見はっている神さまらしい。
戸棚のすきま、障子やふすまの穴、窓の向こうの暗がりから、じいっと様子をうかがっているのだという。
「なにそれ、ただ見てるだけってこと?」
はるかが聞くと、ママは重々しくうなずいた。
「ママも子どもの時、おおばあちゃんにその話をされて、ふるえあがったのを覚えてるわ」
「わからるなあ、それ誰もいないはずなのに、誰かに見られてるような気がするのって、こわいよなあ」
パパとママが、真剣な顔で話しているのを見て、はるかはケタケタと大笑いした。
「なにそれ。見てるだけなら、なんにもこわくないじゃん」
すると、ママははるかをにらめつけた。
「なにいってるのよ。ママなんて、その話をされてから、しばらくはこわくてトイレもひとりでいけなかったんだから」
「あはは、その『ヨトキコさま』って、トイレも見るわけ?」
はるかが、ますます笑うと、パパが小さく息をついた。
「今の子にそんな話したってムダだよ、ママ。古い家ならともかく、わが家みたいなマンションじゃあ、『すきま』や『暗がり』なんてないから、そういう目に見えないなにかを感じられないんだよ、きっと」
「そんなこと、ないわ」
ママは、すぐにきっぱり否定した。
「『ヨトキコさま』は、本当にいるのよ。だから、ちゃんとしてなきゃだめなんだから」
はるかは、また笑おうとしたけど、ママの真剣な横顔を見てやめた。
「……『ヨトキコさま』は、見てるんだから」
ママは、見たこともないくらいこわい顔で、何度もそうつぶやいた。
それ以来、ママはなにかあるたびに、「ヨトキコさま」を出してくる。
(ばっかみたい)
晩ごはんのあと、はるかは、いつものように携帯ゲーム機の電源を入れて、ベッドにねっころがった。
今も、あと片づけを手伝いなさいといわれて、知らん顔をしていたら、またママにいわれた。
「『ヨトキコさま』が、くるよ」
(おじいちゃんちならともかく、こんな街中にそんな得体のしれないお化けがくるわけないじゃん)
だいたい、インターネットでは、もっとこわい都市伝説や動画がはやっている。
ただ見ているだけの神様なんて、こわくもなんともない。
「あれっ、電源が入ってない」
さっき、ボタンを押したのに、なぜだかゲーム機の画面がまっくらままだ。おかしいなと思ってのぞきこむ。
「ひっ」
思わず、ゲーム機をほうりだした。
今、画面の中に、大きな瞳のようなものが見えた。
まるで、じいっとこっちをのぞいているような。
「な、なに? 今の」
頭の中で、おおばあちゃんのしわがれた声がひびく。
「ヨトキコさまが、くるぞお」
短く息を止めてから、ぶるんと頭を降った。
(ばっかみたい。ママにおどされてばっかりいるから、変なものが見えた気がしただけだよ、きっと)
床に落ちたゲーム機を拾い上げようと、手を伸ばす。
そんなに遠くにほうりだしたわけではないのに、床に散らばったまんがや体操服が邪魔で見つからない。
(ベッドの下に入りこんだのかな?)
体を乗りだして、手探りしてみる。
手に当たるのは、雑誌にくつした、どこかでもらった景品など、関係ないものばかりだ。
しかたなく、ベッドから降りて下をのぞきこんでみた。
いろんなものが散らばったその奥に、人のような形の影が横たわっていた。
光る目が、じっとこちらを見つめている。
「ひゃあああああ!」
はるかは、さけび声をあげて部屋をとびだした。
キッチンで食器を洗っていたママと、ソファでテレビを見ていたパパが、きょとんとして振りかえる。
「どうしたんだ? はるか」
「いいらか、こっち来て!」
ふたりの腕をひっぱって、はるかは自分の部屋へと連れていった。
「ベッドの下に、誰かいる! こっち見てた!」
「ええっ、誰が?」
パパが、床にしゃがみこんでのぞきこむ。
「その前は、ゲーム機の電源が入らなくて、画面を見たら、大きな目が見えたんだよ。気味悪くて、ゲーム機をほうりなげたら、どっかにいっちゃって」
はるかが必死に説明をすると、ママがこともなげにいった。
「ここにあるじゃないの」
拾いあげたゲーム機をはるかに見せて、スイッチを入れた。
「ほら、ちゃんと電源も、入るわよ」
「うそ、だって……!」
画面を見ても、もちろん瞳なんて映っていない。
見なれたスタート画面になっているだけだ。
「ベッドの下になんて誰もいないぞ」
パパが、よっこらしょと起きあがった。
「それより、ちゃんと部屋を片付けなきゃ。ベッドの下にいろんなものが落ちてるぞ」
そういいながら、ズボンについたほこりをはらった。
「……もしかして、『ヨトキコさま』じゃない?」
ママが歌うような声でいった。
「えっ」
はるかが顔を上げると、ママはにっこり笑った。
「だからいったでしょう? はるかがちゃんとしているか、『ヨトキコさま』が見にいらしたのよ」
ママが、上機嫌でいう。
(そんなわけ、ないじゃない!)
はるかはいいかえそうとして言葉をのみこんだ。
さっき、画面に浮かんだ大きな瞳。
ベッドの下で光った目。
どちらも、はるかは見たのだ。
「ねぇ、パパ。今から片づけるから、ここにいて、お願い」
はるかは、おおあわてで部屋の片づけを始めた。
あの日から、はるかは毎日学校から帰ると、まっさきに手洗いうがいをするようになった。
ランドセルから給食袋とプリントを出し、宿題をすませてから、ママにいわれる前にせんたく物をたたんだり、おふろそうじもする。
「はるか、ありがとう。助かるわ」
ママも、小言を全くいわなくなった。
はるかの部屋もいつもきちんと片づいて、せいけつだ。
それでも、はるかは今でも時々うしろを振りかえる。
食器棚のすきまや、カーテンの間から、あの日に見た瞳がこちらを見ているような気がするのだ。
(大丈夫だよ。私、最近いい子だもん)
そのたび、自分で自分にいい聞かせる
おふろ上がり、洗面所でドライヤーをかけおえ、リビングに戻ろうとした時だった。
洗面台に、髪が散らばっていることに気がついた。
(ま、いいか。これくらい。とるの、めんどうだし)
そのままにして行こうと顔を上げた時、鏡の中のはるかの背後に、誰かの影が映った。
長くたらしたまっくろな髪のすきまから、こちらをじっと見つめている。
「きゃああああああ!」
はるかは、さけびながらリビングへとかけこんだ。
「どうした、はるか」
パパが、ソファから腰を浮かせ、泣きじゃくるはるかを支えた。
「今、そこに『ヨトキコさま』が!」
パパはおどろいた顔ではるかを見て、それからすぐにキッチンに立つママのほうへ向きなおった。
「おい、もういいだろ。はるか、こんなにおびえてるぞ。もうほんとうのこと、教えてやれよ」
「……本当のこと?」
「ごめんよ、はるか。『ヨトキコさま』なんて、いないんだよ。ママとふたりで、はるかをこらしめようって、ちょっと細工しただけなんだ」
そういうと、パパは説明を始めた。
ゲーム機のバッテリーをずらしておき、はるかがねっころがる位置を計算して、画面に目のようなものが映るように張り紙をしていたこと、ベッドの下には目に蛍光塗料をぬった人形をころがしておいたこと……。
「おかげで、最近のはるかはいい子になったけれど、ちょっと薬がききすぎたかも。ごめんね、はるか」
ママが苦笑いするのを見て、はるかはへなへなと床にくずれおちた。
「……そんなあ」
でも、よかった。
本当に『ヨトキコさま』が来たのかと思った。
(そうだよね。そんなの、いるわけないよね)
そう思ったらなんだか笑えてきた。
ふたりにおどかせれて、おびえていたなんて、ばかみたい。
「じゃあ、さっき、洗面所にいたのはママ? 髪の毛だら〜んとたらしたゃって、迫真の演技でビビっちゃった」
はるかが笑いながら立ち上がると、パパとママがきょとんとした顔でいった。
「洗面所って、なんのこと?」
「ママは、さっきからずっとここにいるぞ」
「えっ」
足元がすっと寒くなる。
(うそ。じゃあ、さっきのあれは……)
その時、耳元でしゃがれた声がした。
「『ヨトキコさま』が、くるぞお」
誰かのなかあたたかい息を感じる。
はるかは何も見ないように、きゅっとかたく目を閉じた。
ここまで頑張った!(๑•̀ㅂ•́)و✧
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コメント
6件
すげぇ
これ全部書けたのすご…!